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あとがき

あとがき

2022.12.20安保 寛明(山形県立保健医療大学 教授)

 この連載では、全20回にわたって、人の知的発達と脳と心の健康に関することを中心に連載してきました。また、人の成長や発達のうち、身体性と社会構造、知的機能の発達・適応・衰えについて焦点をあてて記述してきました。
 このような連載にしたのは理由があります。それは、人の知的発達やメンタルヘルスの特徴は「やる気や性格の問題」とするのではなく、「“身体性の特徴”や“過ごしてきた環境の特徴”によってそういう状況にならざるを得なかった」と考えることも必要だということを、読者の皆さんにも発見してほしかったからです。

 

身体や環境という要因の影響

 直前にも書きましたが、この連載では身体性や社会構造の背景を記述することで、「人が経験することと知性の獲得の関係」を重視してきました。とくに、連載の序盤では、人の知的発達に大きな影響を及ぼす10代までの経験を扱いました。
 WHO(世界保健機関)が2013年に発表したメンタルヘルスアクションプランでは、「成人の精神障害の50%が14歳より以前に始まることから、人生早期はメンタルヘルスプロモーションと精神障害の予防にとくに重要な機会である」1)と述べています。この連載では、人生早期の知的発達の背景にある代表的な仕掛けとして、「共同注視による名前への注目」や「感覚刺激の同時性による快情動への刺激」(⇒第1回第3回第4回参照)、「他者視点の獲得によるメタ認知の習得」(⇒第6回第7回参照)などを紹介してきました。メタ認知の獲得は他者に対する思考過程を強化することにつながり、共同作業や連携した行動でも予測があたるという快の感情・情動を持てるようになります。

 また、連載の後半では、文字や貨幣、会社などといった現代社会を形成する社会構造の意味(⇒第16回第17回参照)を敢えて扱いました。文字、貨幣、学校や会社などの社会構造は、情緒的な連帯感を持っていない人々でも意思の疎通をしたり、貸し借りをしたり、共同作業をしたりするために考案された、いわば「便利な構造」です。その「便利な構造」によって、人は情報や財産や労働を他人と分かち合うことができるようになっていき、現代社会では人が飢えや寒さで死ぬことがほとんどなくなりました。

 人が知的機能や社会機能を獲得する過程の背景は判明してきていますが、だからといってすべての人が等しく知的機能や社会構造を獲得できるわけではありません。人は、これまでも、そしてこれからも、その身体機能や環境という要因に大きく影響を受けます。逆境体験が多い幼少期を送って人生を過ごす人もいるでしょうし、さまざまな限界をもちながら暮らすことになる人もいるでしょう。ただ、そのような身体や環境の要因の差があることに気づくことができれば、その差を小さくするような援助や環境形成を行うこともできるはずです。

 

主体性とメンタルヘルスの重要性

 連載の中盤以降では、いくつかのメンタルヘルスの課題にちらりと触れました。職場(⇒第14~18回参照)、依存行動(⇒第14回第15回参照)、老いと認知症(⇒第19回第20回参照)のリスクなどを紹介しています。18世紀から20世紀には統合失調症とよばれる幻覚などを伴う精神的な危機が多くの人を悩み苦しませてきましたが、今後は徐々に、依存行動や身体機能の変化に伴うメンタルヘルスの課題に注目が集まっていくことになるでしょう。

 古代に比べて現代は、寒さや飢えをしのぐことは簡単になりました。いっぽうで、人間が設計した環境や枠組みは人が誕生した直後から存在するようになっていて、一つひとつの行動に「それはよい行動」「それは好ましくない行動」といった評価がしやすくなってしまいました。現代に生きる子どもたちや大人たちは、一度他者からの評価を気にすると際限なく気にしてしまうようになるので、自発性や積極性に対する足かせが大きい時代になっているかもしれません。

 このように現代社会は、周囲の人の視線や視点を気にしようとするといくらでも気にすることができます。親や教師や上司といった目上の人の視点が気になる環境もあるでしょうし、同級生や同僚、近所の人といった上下関係が明確ではない人の視点が気になる場合もあることでしょう。また、SNSに代表されるインターネット上のコミュニケーションでは、インターネット場で見る文字や動画などから周囲の人の考えや主張を知ることもできるようになりました。

 もし、自分で意思決定を放棄しようとしたら、周囲の人々の考えに影響されて、あるいはこれらの人々の考えのせいにして、簡単に人は主体性を失います。たとえば、家族や友人、自分自身の健康を顧みずに何かに没頭することができ、そこに他者の影響や責任を見出しやすいのです。そうして、人は依存行動をとってしまうことがあるのでしょう。しかしながら、その没頭が「仕事」「学校での勉強・部活動」などの価値あることとされやすいものであれば、周囲の人々は異論をさしはさむことがしにくいことでしょう。

 ところで、「職場」や「学校」といった社会的な場は、連載でも述べてきたように「便利な構造」にすぎません。「職場」は、所属の感覚や金銭的報酬、社会的地位を得るのに便利な構造ですし、「学校」は同級生とのつながり、家族以外の大人、その国や地域で獲得していたほうがいい知識を得るのに便利な構造です。

 ここで重要なことは、職場や学校はあくまでも「便利な構造」であって、義務を負わせる構造ではないということです。現代では、職場での長期休職や学校での長期欠席をするような状況にある人も多くなりました。その状況は苦労や困難のある経験ではあると思いますが、決してその人たちが「義務を果たしていない人」といわれることがなくていいようにと思います。また、「便利なこと」を理由にして幸福感や充実感といったQOLの構成要素を失うことがないよう、価値や意味をときどき捉えなおしながら暮らすことが重要だと思います。

 

おわりに

 主体的に生きることの意味や価値を持ち続けられるよう、この連載を最後まで読んでくださった方への願いを込めて、この連載を終えたいと思います。なお、この連載には少し補足を行うかもしれません。その際には改めて、南江堂のこのWEBサイトを通じてお知らせしてまいりたいと思います。
 最後に、この連載では南江堂の沖和弥様に多くの助けを借りてきました。また、この連載を構成するにあたっては、山形県立保健医療大学の精神保健学・精神看護学研究室のメンバーとの時間によって多くの着想を得ています。この場を借りて感謝申し上げます。

引用文献
1)独立行政法人国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所:メンタルヘルスアクションプラン2013-2020,p.18,2014,
http://apps.who.int/iris/bitstream/handle/10665/89966/9789241506021_jpn.pdf;jsessionid=DE78FDE6932E48542C2939C40585D5AE?sequence=5,アクセス日:2022年12月16日

安保 寛明

山形県立保健医療大学 教授

あんぼ・ひろあき/東京大学医学部健康科学・看護学科卒業、同医学系研究科博士課程修了(保健学博士)。岩手県立大学助手、東北福祉大学講師、岩手晴和病院(現・未来の風せいわ病院)社会復帰支援室長、これからの暮らし支援部副部長を経て2015年より現所属、2019年より現職。日本精神保健看護学会理事長、日本精神障害者リハビリテーション学会理事。著書は『コンコーダンス―患者の気持ちに寄り添うためのスキル21』(2010、医学書院)[共著]、『看護診断のためのよくわかる中範囲理論 第3版』(2021、学研メディカル秀潤社)[分担執筆]など。趣味は家族団らん。

企画連載

人間の知的発達と精神保健

長年にわたり精神保健に携わってきた筆者が、人の精神の発達過程や、身体と脳の関係、脳と精神の関係、今日的な精神保健の課題である「依存症」や「自傷他害」、職場における心理学、「問題行動」や「迷惑行為」といった社会問題となる行為など、多様なテーマについてわかりやすくひも解いていきます。

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