今までの連載のところどころで、細菌の学名(英字の斜字体・イタリック)が出てきたと思います。看護師国家試験では、細菌の名前は通常和名で出題されると思いますが(緑膿菌、大腸菌、黄色ブドウ球菌など)、患者さんの検査データを見るとどうしても菌の学名に触れることになりますよね。学名はイタリックで書くきまりなのですが、この「斜めに並んだ意味不明のアルファベット」に強烈なアレルギーのある方がいらっしゃるかもしれません。
そこで今回は、学名って実は意外とおもしろいんですよ、というお話をしたいのです。実はこのテーマ、第3回で軽く「予告」していたんですが、かなりチャレンジングな企画です。最後まで読んで頂けるか、ヒヤヒヤものです・・・。ぜひ、お気軽にお読みくださいね。
細菌の「名字」と「名前」?
われわれヒトの学名はHomo sapiensですが、Homoは属名、sapiensが種名で、ヒトという生き物を表す場合はその2つを組み合わせた「二名法」で表記します。名字と名前、みたいな感じなのですが、この約束事は細菌でも同じです。
細菌分類学のバイブルである、『Bergey’s Manual of Systematic Bacteriology,2nd edition』(Lippincott Williams & Wilkins,1989)にはこのような菌の属名・種名の由来がもれなく書かれていますので、私、授業で出てくる菌についてはこの本で予習して、学生が覚えやすいように学名の由来を紹介するようにしています。すると自分でもだんだん学名に親しみを感じるようになってきたんです。
ちなみにBergey’s Manualですが、第3版からはオンライン版だけになってしまいました。細菌の分類はかなりのスピードで変わっていますので、やむを得ないかなとは思いますが、こういうウンチクというか、雑学というか、を紙の本で調べるのも楽しいんですがね・・・。
色を由来とする学名
まずは「色」が関係する学名からご紹介しましょう。これは第3回『五感と微生物』の「視覚」ですでにいくつか紹介しています。黄色ブドウ球菌の学名はStaphylococcus aureusですが、種名のaureusはラテン語で「金色の」という意味です。典型的なコロニーの色がレモン色だからですが、まさに金のように光り輝く菌というわけです。
また、第4回で出てきた梅毒の原因菌、梅毒トレポネーマの学名はTreponema pallidumですが、このpallidumは「青白い」というラテン語が由来です。同じく「青白い」だとか、「(色が)薄い、淡い」といった意味を指す英語のpaleと語源はいっしょなんです。この菌に感染すると顔が真っ青になる・・・ということではなく、実は菌を暗視野顕微鏡で見ると青白く光るからなんだそうです。Treponemaの方の由来は、またのちほど・・・。
和名で色がついている菌といえば、緑膿菌(図1)が代表だと思います。その学名はPseudomonas aeruginosaです。種名はaeruginosaですが、これはラテン語で銅が酸化して生成された青緑色の錆(さび)、つまり「緑青(ろくしょう)」(図2)のことなんだそうです。和名だけでなく、学名でも「緑」だったのですね。
形を由来とする学名
「色」と同じ視覚の一部でもあるのですが、「形」が由来というのもよくあります。前述の梅毒トレポネーマ(Treponema pallidum)のTreponemaは、trepoはギリシャ語ですが英語でいう“turn”(「回転する」「曲がる」など)の意味、nemaはギリシャ語で糸だそうですから、「くりくりした糸」というような意味です。まさに菌の形を表していますね(図3)。
黄色ブドウ球菌の属名Staphylococcusも第3回でお話ししましたが、こちらのcoccusはギリシャ語で木の実や穀物の粒を表していて、一般的に「球菌」の場合、○○コッカスという属名になることが多いです。たとえば「レンサ球菌属」はStreptococcus、「腸球菌属」はEnterococcusという具合ですね。逆に長細い菌=桿菌はバシラスbacillusといいます。これ、ラテン語で「短い棒」の意味だそうです。まさにバシラス属Bacillusという属があって、炭疽菌Bacillus anthracisや食中毒を起こすセレウス菌Bacillus cereus、納豆菌が含まれる枯草菌Bacillus subtilisなんかが入っています。
動物の名前を由来とする学名
第3回でレモン色の菌といえば、というところで抗酸菌のお話をしましたが、実は抗酸菌の種名には、その菌が最初に分離された動物の名前が入っているものがたくさんあります。すでにお話ししたのはMycobacterium aviumで、こちらはM. intracellulareと合わせて「MAC症」という日和見感染症を起こす菌として有名ですが、このaviumはラテン語で「トリ」を意味しています。英語ではavianで、同じ語源で航空会社が社名にaviationと入れていることも第3回で紹介していますね。つまりM. aviumは「トリ型結核菌」といえるかと思います。
同じようにM. bovisはウシ型結核菌*で、ウシという動物を英語で学術的にいうとbovineとなります。結核の弱毒生ワクチンはウシ型結核菌のBCG株を使っています。M. simiaeはサル型菌で、英語でサルはsimianです。M. xenopusはツメカエル属のxenopusから、M. microtiはハタネズミ属を指すmicrotusから、M. marinumはmarine=海というわけで魚から分離されたことが菌種名の由来になっています。というわけで、抗酸菌の表を見ると動物の名前のオンパレードなんです。
抗酸菌の種名には入っていませんが、イヌを英語で学術的にいうとcanine、ネコはfelineとなります。イヌの口から分離されたレンサ球菌がStreptococcus canisで、ネコから分離されたブドウ球菌はStaphylococcus felisという具合です。
アメリカに留学していたときに、後部座席の開いた窓からシェパードが首を出しているパトカーをよく目撃しました。なぜかそのパトカーには「K-9」と書いてあったので、K-9課ってのが犬を飼っているのか、じゃあKの8課とか7課とかもあって、警察でネコやヘビでも飼ってるのかな、なんて思ってたんですが、これは犬を意味するcanine(発音は「ケイナイン」)とK-nine をかけたしゃれなんですね。つまり警察犬を扱う部署がK-9というわけです(図4)。なのでK-8課やK-7課はないのでした・・・。
病気の名前を由来とする学名
もちろんこれはいっぱいあります。コレラ菌がVibrio cholerae、ペスト菌はYersinia pestisという感じです。学生からするとこういう菌名がいちばん覚えやすくてわかりやすいですよね。全部の菌がそうなってくれたらいいんですが・・・。ちなみにコレラ菌の属名Vibrioはvibrationからも分かるように「ぶるぶる震える」という感じで、らせん菌の一種であることを表しています。ペスト菌の属名Yersiniaは菌の発見者のエルサン(Yersin A)が由来ですが、実は北里柴三郎もほぼ同時にペスト菌を発見していて、どうも北里の方が先だったようなのですが*、学名にはエルサンが残っています。ううん、とても残念に思います。
テルモ株式会社:医療の挑戦者たち 35 ペスト菌の発見④〔https://www.terumo.co.jp/story/ad/challengers/35〕
人名を由来とする学名
ペスト菌のエルサンのように発見者の名前が由来のものがあります。淋菌Neisseria gonorrhoeaeはナイセル(Neisser A)から、赤痢菌Shigella dysenteriaeの属名Shigellaは志賀潔からきています。日本人の名前が付いた菌はその他にもありますよ。腸内細菌科に含まれるEnterobacter sakazakiiはかつて殺菌不十分な粉ミルクが原因で乳児に髄膜炎を起こす菌として注目されましたが、種名のsakazakiiは国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)の坂崎利一先生の名前が由来です。
そうそう、第6回で「培地学」ってあるんですよ、っていうお話をしましたが、坂崎先生が著者の一人である『新 細菌培地学講座<上><下>』(近代出版,1986)が名著でして、私はこの本で培地学の勉強をさせていただきました。また、本学の非常勤講師としてたいへんお世話になった大阪市立大学(現・大阪公立大学)名誉教授・矢野郁也先生のお名前が由来のSphingomonas yanoikuyaeという菌もあります。かっこいいですよね。日本人の姓か名いずれかが、属名か種名のどちらかに含まれる菌はそこそこあると思いますが、「フルネーム」が菌名に織り込まれている例は矢野郁也先生以外にはないんじゃないでしょうか。
私も新しい菌を発見して、たとえばHelicobacter nakanotakashiiみたいに、自分の名前を菌の学名として、それもフルネームでつけることが夢なんです。あ、このコラムではH. tororoでしたね・・・。いずれにしても、これからも研究、がんばります!