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第5回:ケアとしての看護(前編)

第5回:ケアとしての看護(前編)

2025.01.08菱沼 典子(聖路加国際大学 名誉教授)

 “care”は、世話をする、面倒を見るという動詞であり、世話、心配、配慮、看護という名詞としても使われる一般用語です。しかし「ケア」とカタカナで表現される際は、一般用語というより「ケアワーカー」「看護ケア」といった福祉や看護、哲学などでの専門的な用語として使われているようです。

 今回は看護で使うこのカタカナのケアについて考え、ケアとしての看護を構成する要素を、多方面から探ってみたいと思います。書き下ろしに加え『看護学への招待』(ライフサポート社・2015年)の第1部5章の一部を改変の上転載します。

人間は他者から世話してもらって生きられる存在 

 岡野八代氏の『ケアの倫理』1)を読んで、人間の捉え方についてこれまで大変な勘違いをしていたのかもしれないと思いました。今日の社会は、人間は自立した存在であるという前提で、その人々に適した仕組みができ上がっています。自立に価値を置くと、生産年齢の元気で働き稼ぐ人々が社会の主人公になります。しかし社会の構成員には、放っておかれたら生きていけない赤ん坊、世話が必要な子どもや高齢者、病人などの脆弱な人々がいます。自立した人々を基準に作られた仕組みの中で、不自由な思いをしている人々がいます。そして自立している人々も、実は自覚されないまま他者からさまざまな世話を受けているという指摘がありました。人間は自立した存在であるのではなく、他者から面倒を見られる脆弱な存在である、誰もが世話をされる人・する人であるという前提で社会を考えようというのが、岡野氏の提案でした。

 私たち自身が、どちらの前提を受け入れるかを問われていると思いました。自立を前提にすると、世話を必要とする脆弱な人々と、世話を必要としない自立した人々とを分断し、自立した人が脆弱な人を世話する一方向の関係になります。脆弱を前提とすると、全員がここに入りますから分断は起こらず、相互に世話をする関係になります。私自身は、人間を自立した存在から脆弱な存在へ転換して見直すことで、ケアの説明が容易になったと思っています。

 もう一点、自立に価値を置くことは、脆弱な人々を世話するということを、社会にとって不可避であるにもかかわらず、価値のないものに落とし込んでしまいます。脆弱な病人の世話、脆弱な女性の出産の援助、脆弱な子どもの世話などは、家庭内で脆弱な女性誰もがやってきたことではないか、専門性や学問は不要だという論議にさらされてきた看護のしんどさの根本も、ここにあると思いました。社会に必要不可欠だと言われながら、看護師、保育士、介護士などが、一向に認められない背景が説明できると思います。

ケアとは

 フランスの哲学者ブルジェール(Brugère F)は、ケアとは脆弱と依存にある他者に配慮すること、と定義しています2)。ブルジェールは、人は依存や相互依存関係にあり、共に生きるものという認識に立っています。この点は岡野も同様で、ケアの社会は脆弱と依存を認め、相互にケアする対等な関係であることが前提になるでしょう。

 米国の哲学者メイヤロフ(Mayeroff M)は、『ケアの本質』の中で、ケアは他者の成長を助けることであり、「相手が成長し、自己実現することを助けることとしてのケアは、ひとつの過程であり、展開を内にはらみつつ人に関与するあり方」3)と述べています。メイヤロフは、親が子どもをケアすることも、教師が学生をケアすることも、医療者が患者をケアすることも、ケアとしては共通であって、相手の成長を助けることによって、自分自身を実現するという結果に至ると言っています。ケアの結果は受け手にも提供者にも自己実現という形で現れるけれども、ケアの目的は受け手の成長と自己実現であり、提供者の自己実現は結果であって目的ではないと、明確に区別しています。

看護はケアと言えるか

 看護は、看護職が相手とコミュニケーションを取りながら関係性を築き、相手の不具合を解消するために看護技術を提供し、その効果が相手に現れ、さらに、やり手・受け手の双方に満足や向上心が生まれる活動です。

 看護職から見た看護実践を、図1に示しました。この図は、看護職への調査4)5)から得られた結果です。看護職が患者と緊張なくコミュニケーションが取れることで、関係性が深まり、看護職が特定の患者に専心し、相互作用によって目的を達成する過程が示されました。そして技術の持つ効果と気持ちよさが患者にもたらされ、さらに患者のADLの拡大や意欲などが引き出されています。また看護職自身も満足感を覚え、向上心が芽生え、成長と自己実現に向かう姿が示されました。この図は看護がケアとして成り立っていることを示していると思います。ただしこれは看護職から見た様相であり、患者から見て看護がケアになっているかどうかは、まだ課題です。

図1 看護職から見た看護実践の構造
[菱沼典子:看護技術と看護職と患者の人間関係からみた看護実践のプロセス-看護職の視点から.日本看護技術学会誌23:4,2024より引用]

 看護職から見たケアとしての看護は、患者と看護職の人間関係と看護技術がセットになり、技術提供のプロセスがあって、結果として、患者には技術の目的とした効果と気持ちよさという一次効果、そしてさらに成長や自己実現につながる二次効果が生じています。そして看護職にも「やってよかった」「もっとやりたい」といった向上心や満足感が生まれます。患者の二次効果や看護職への効果は、ケアのやり手、受け手の双方に、成長と自己実現をもたらすケアの要素を満たしており、看護はケアであることをよく説明していると思います。

実践における患者と看護師の人間関係

 足浴の実験中に、足浴で上がった下肢血流が、怖いと思う人の存在によって下がってしまったのを目の当たりにしたことがあります。看護技術の刺激は、薬物や手術などの医学的治療の刺激量とは比べ物にならないほど小さいので、人間関係が強い影響を及ぼしてしまうのです6)。深井ら7)は痛みの研究で、人間関係が痛みの閾値に関係することを証明しています。

 苦手だなあと感じる患者もいれば、気が合う患者もいるという実感があり、看護技術の効果に人間関係がどう影響するのかを知りたくて調査4)をした結果から作ったのが先に示した図1です。「患者と相性が良い、悪いを感じたことがありますか」という質問に、165名の看護師・助産師から回答を得ました。95.2%が「相性がいいと感じたことがある」、92.7%が「相性が悪いと感じたことがある」という結果でした。ほとんどの看護職が、患者との相性の良し悪しを感じていたという、当たり前な結果が示され、ホッとしました。「相性の良し悪しが看護技術の効果に影響すると感じますか」という質問については、相性が良いときは67.5%、悪いときは59.5%が感じると回答していました。相性が影響すると感じている方が多かったですが、一方で看護を相性の良し悪しで左右させてはならないと、頑張っているのかなとも思いました。

 質問紙調査の後、8名の協力者から具体的な場面を教えてもらいました。8名は全員、患者との相性の良し悪しを経験していました。相性が良いと緊張がなく、良好な関係が結べ、そういう相手には技術の提供の過程が非常にスムーズで、その結果、技術の効果があり、さらに患者が気持ちよくなり、ADLの拡大などが起こること、また看護職も満足し意欲が湧くと語られました。

 一方、相性が悪く、看護職が緊張して関係がうまく結べないときには、患者から試されているように感じ、なるべく早く終わらせて離れたいと思い、技術の提供はスムーズに行かない、できるはずなのに手が止まってしまうとのことでした。また、患者は協力してくれず笑顔もない結果、技術の効果はあったとしても、患者の「気持ちいい」をもたらすことや、その次に来る効果もなく、看護師自身にも負の思いはあっても成長への向上心は生じないということでした。これを図2に示します。

図2 看護職から見た看護もどきの構造
[菱沼典子:看護技術と看護職と患者の人間関係からみた看護実践のプロセス-看護職の視点から.日本看護技術学会誌23:4,2024より引用]

 患者と看護職の人間関係、人間関係を築くコミュニケーション能力は、看護技術の提供のプロセスに影響し、結果に違いをもたらすと言えそうです。

 おそらく読者の看護職の皆さまは、図1と図2の両方を経験されたことがあるのではないでしょうか。「そうそう、あるある」と思っていただけたなら、図1、2は妥当と言えます。

後編へ続く> 

引用文献
1)岡野八代:ケアの倫理―フェミニズムの政治思想,岩波書店,2024
2)ブルジェールF著,原山哲・山下りえ子訳:ケアの倫理,白水社,2014
3)メイヤロフM著,田村真・向野宣之訳:ケアの本質,p.14,ゆみる出版,1989
4)Hishinuma M,Katogi M:Nurses' Relationships with Patients and It’s Impact on Effectiveness of Nursing Skills.聖路加看護学会誌26,1-10,2022  
5)菱沼典子:看護技術と看護職と患者の人間関係からみた看護実践のプロセス-看護職の視点から.日本看護技術学会誌23:1-7,2024  
6)菱沼典子:研究による経験知の実証―筋が通った看護技術を確立するために.日本看護技術学会誌8(3):4-9,2009
7)深井喜代子,小野和美,田中美穂ほか:痛みの感受性と痛みの反応の性差及び人間関係の違いによる差.川崎医療福祉学会誌7(1):125-135,1997

菱沼 典子

聖路加国際大学 名誉教授

ひしぬま・みちこ/聖路加看護大学衛生看護学部(現 聖路加国際大学看護学部)卒業。天理よろづ相談所病院で看護師として勤務。その後、聖路加看護大学(当時)に勤め、聖路加国際大学教授、三重県立看護大学学長を歴任。2024年6月より日本看護学教育評価機構代表理事。 筑波大学大学院医科学研究科修了(修士〔医科学〕)。博士(看護学)(日本赤十字看護大学)。誰もが体の知識を持つ社会をめざしたNPO 法人「からだフシギ」(https://karada-kenkyu.jimdofree.com/)の活動をライフワークとしている。

企画連載

看護の知を伝えたい~看護学を学ぶ/教えるみなさんへ~

聖路加国際大学にて約10年にわたり看護学概論の講義を担当した筆者。その講義録をもとに、いま改めて伝えたい、看護の「知」について語ります。 ※本連載は『看護学への招待』(ライフサポート社・2015年)第1部「看護学概論」の1−7章を加筆修正、また一部書き下ろしのうえ掲載します。

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