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第13回:いつもどんな時も、学生の味方であるように

第13回:いつもどんな時も、学生の味方であるように

2023.03.09髙木 啓孝(元那覇市医師会那覇看護専門学校 専任教員)

“できない自分”が、教員への道を切り拓いてくれた

 学生時代から私は、決して優秀とは言えなかった。臨床に出てからも、できないことばかりで非常に苦労した。看護師を辞めたほうがいいのではと思うくらい、つらい時もあった。それでも、少しでもカバーしなければと、新人ナースの頃は仕事を終えて帰宅すると深夜まで勉強するという日々を過ごしていた。自分のできなさにはかなり苦しんだが、そのぶん勉強してきたことが、自らの実践能力として実を結んだだけでなく、後輩ができて教える立場になった時にもとても役に立った。自ら学んだからこそ、教えられるのだと実感した。
 そんなある日、病棟師長から「あなたは教育に向いている。実習指導者になってみないか」と打診を受け、私は挑戦することにした。
 そうして臨床看護師の立場で学生を指導する中で、臨床から見る学生と、教育現場から見る学生とに、どのような違いがあるのだろうかという興味を抱くようになった。そこで実習指導者講習会で指導して頂いた先生との縁から、私は看護教員の道に進むことになり、その先生と同じ学校に勤め始めた。

学生のつらさや苦しみを受け止められる教員でありたい

お手本とする先生が見せてくれた、学生を一番に考える姿

 まだまだ経験は浅いながらに、私には、教員として何より大事にしたいと思っていることがある。それは、どんな時も学生の味方でいることだ。私のお手本であり、教育の世界に導いてくれた例の先生が、まさしくそれを体現していた。常に学生のことを一番に考える人だった。

 私が担当した臨地実習で、看護師としての実践能力を身につけてほしいと、高いレベルを求める臨床の指導に、学生が苦しみ、つらい思いをするという場面があった。できないことのつらさをイヤというほど味わってきたはずなのに、私はその状況にうまく対処できず、学生に対して申し訳ない気持ちが募っていた。そんな時、当時上司であった例の先生が病院側にかけあってくれた。
 「学生は純粋な気持ちで実習に臨んでいる。その気持ちを損なうような指導はどうか控えて頂きたい」と、いつもは穏やかな先生が、怒りを押し殺すように、静かに、でも力強く伝えてくれた。すると、現場の看護師の指導姿勢が一変したのだ。
 看護師としての実践能力を身につける必要があるのはもっともだが、基礎教育の実習として学校がめざすところは、看護の基礎となる能力の修得だ。それをていねいに伝えたことで、臨床の指導者たちも学生のできないところではなく、できているところに目を向けてくれるようになった。臨床と学校とで、同じ目標に向かって指導にあたるという、よく考えれば本来あるべき指導ができるようになったのだ。

 学生は、いろいろな思いをもって看護師になろうとしている。教員のケアが行き届かないがために、その思いを途切れさせてしまうということは、あってはならないと思う。教員には、学生の思いをつなぎとめるという使命があるのだということを、その先生に教えられた。

学生の気持ちを途切れさせないために、何ができるのか

 終末期看護の実習指導でのこと。とある患者を学生が受け持つことになった。患者は実習に同意はしているものの、学生のケアをいっさい受け入れようとしない。会話すら拒否するという状況だった。それでも学生は、どうにか患者の気持ちに寄り添おうと努めた。しかし、とうとうケアらしいケアをさせてもらえないままに実習最終日を迎えた。最後のあいさつを患者にしに行くという学生に、私も一緒に行こうかと声をかけたが、大丈夫だと、学生は一人で病室へ向かった。しばらくして、彼は涙を流しながら戻ってきた。元来、ひょうきんで明るい性格の彼が見せる初めての姿に驚き、何があったのかと尋ねると、彼は患者からこんな言葉を頂いたのだと教えてくれた。
 「あなたたち学生さんも、医師も看護師も、たくさんやさしい言葉をかけてくれるけれど、患者の痛みや苦しみはわからない。それでも、その痛みや苦しみを理解しようとする看護師という道を、あなたは選んだのね。それは私には絶対に無理な選択。あなたが選んだその道は、とてもすばらしいのだから、がんばりなさい。」
 学生は、何もできずにいた自分に苦しんだことだろう。それでも、なんとか患者への気持ちを絶やさず、実習期間中ずっと患者のもとに足を運び続けた。そうして、最後に患者からこのような言葉をかけてもらうことができたのだ。彼にとって、今後、看護師として歩むうえでのかけがえのない大きな出会いになったことだろうと思う。

 学生がつらい時、苦しい時に、いかに支えられるか。この学生の経験のように患者との関係の中で得るものもあるだろうし、さきほどの先生の行動のように、教員が導いてやれることもあるだろう。こうして学生たちの姿を思い返すと、できないことのつらさを知っている自分だからこそ、学生のつらさや苦しみを一番に理解してやりたいと、改めて思うのだ。

心に刻まれた、名前も知らない看護師のエピソード

 私はそもそもなぜ看護師を志したのか。そのきっかけとなった“出会い”もまた、私にとって非常に大切なものである。

 看護師になるなどと、まったく考えていなかった高校時代、沖縄のハンセン病療養所の入所者の講演を聞く機会があった。彼女は小学校3年生でハンセン病を発症し、両親からむりやり引き離され、療養所へ送られることになった。病気であることがわかり、突如ひとりぼっちになり心細い思いをしていた彼女のことを、療養所の看護師が抱きしめてくれたのだそうだ。そしてその看護師は彼女に、「ごめんね」と言ったという。
 ハンセン病への理解が世間に十分に広まっておらず、患者は差別の対象だった時代のこと。当時、患者に接する医療者は、過剰なまでに感染予防の装備をしていたが、その看護師は特段の装備もせず、普段のユニホーム姿のまま、彼女を抱きしめたのだという。その行為によって、周囲からどんな仕打ちを被ったかもわからない。そんな勇気ある行動をとった看護師にどれだけ救われたか、という彼女の話に、私の心は震えた。

 残念ながらその看護師が、どういう思いで彼女を抱きしめたのか、なぜ「ごめんね」と伝えたのか、その本心を知ることは叶わない。しかし、苦しみを抱く目の前の対象者に、私はあなたの味方だと、全身全霊を込めて表現したのだろうと、今は想像できる。そんな、実際に会ったこともない、名前すら知らない看護師との“出会い”が、私の看護職としての原点である。対象者の味方であること、その姿勢は、私の看護観、教育観の礎になっている。

おわりに

 私はこの1年間、事情があって教育現場を離れていたが、春からは再び看護教員に戻る予定だ。ちょっと自慢になるが、2年次まで指導していた学生たちから、ぜひ卒業式に出席してほしいと、このうえなくうれしい誘いをもらっている。教員として及第点はとれていたよと、彼らが評価をしてくれたような誇らしい気分だ。

 4月からはまた気持ちを新たに、教育者としての自分自身と再び向き合い、そして学生たちの“味方”として一緒に成長していきたい。これから先もきっと、できなかったあの日の自分という最高の相棒と共に、日々を歩んでいこう。

髙木 啓孝

元那覇市医師会那覇看護専門学校 専任教員

たかぎ・けいたか/沖縄県立看護大学卒業後、看護師として循環器病棟で9年間勤務。2018年4月、専任教員として那覇市医師会那覇看護専門学校に着任。2022年4月、子どもの進学を機に教育現場を離れて臨床看護師として現場に戻り、コロナ禍の臨床現場を身をもって経験した。その経験を自身の看護観・教育観に新たに取り入れ、2023年4月より、再び教育現場に戻る予定。趣味はバイクでのツーリングと漫画・アニメ鑑賞。漫画やアニメは、学生たちとのコミュニケーションにも役立った。

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