学生だった私が考えた看護
私が学部生だった頃、とある実習のオリエンテーション時に担当の先生から「自分自身の言葉で看護をどのように説明しますか?」と問いかけられ、私は「療養上の世話と診療の補助です!」と即答した。そのとき、そばにいた実習指導者が呆れた顔をしていたのを今でも鮮明に覚えている。
実習では、脳血管疾患にて入院となった女性の患者を担当した。その方は、意識レベルが低く意思表示ができず、麻痺のため自力での体動が困難であり、カフ付きの気管切開チューブが挿入されていて痰の量が多く、適宜吸引が必要な状態であった。患者の夫が毎日面会に来ていて、入院前の生活について色々と私に話してくれた。その中でも「妻と話がしたい」、「家に帰って二人で生活したい」と話していたことを今でも覚えている。
患者に必要な看護ケアは何なのか、試行錯誤しながら携わっていたあるとき、呼吸療法サポートチーム(Respiratory Support Team:RST) がラウンドにきた。10年以上前のことなので理由は覚えていないが、患者の状態を確認した後、RSTの医師以外が退出し、医師と患者、実習を引率する先生、そして実習生である私の4名だけになった場面があった。
しばらくすると医師は患者に近づき、しゃがんで「〇〇さん、お話ができるチューブに変える?」と聞いていた。患者は閉眼しており、意思表示はみられなかった。
私はこのとき、はっとした思いが込み上げてきて、その次に悔しさを感じた。意識レベルがよかろうと悪かろうと、まずは患者の気持ちに寄り添う、確かめる姿勢が何よりも大事であるということを再認識した。またその次に、少し遅れて、看護学生として患者への問いかけが不十分であったことを痛感した。意識レベルが低く、意思表示ができない患者の看護ケアを行うために他覚的な情報は収集していたが、こちらからも情報を伝えようと試み、患者の思いを知ろうとすることが大事であると強く実感した。このような姿勢によって、患者をよりよい状態に導くための看護ケアが行えるのだと思った。
実習の最終日に、再度担当の先生から「自分自身の言葉で看護をどのように説明しますか?」と問いかけられた。私は「患者さんをハッピーにすることです」と答えた。私が感じ、考えたことを表す言葉として正しいのかどうかはわからない。一緒に実習に行った友人からは笑われたが、そのときの先生だけは話を真剣に聞いてくれた。私の中の「看護に対する考えの変化」を見守ってくれた先生には今も感謝している。
ある学生が考えた看護
私が大学教員 (基礎看護学領域) として勤務し、数年が経った頃である。大学2年生を対象とした実習を引率した。本学の2年生の実習では、学生が初めて患者を1名受け持ち、看護計画の立案・展開を行う。学生はこれまでに学んだ知識を基に受け持ち患者の看護計画を立てるが、初めて患者の看護計画を立てるため、抽象的な表現を用いたり、状況が整理できていない看護計画になったりすることがある。無論、私もそのような学生のひとりであった。私はこのようなときに、まず可能な限り学生に口頭で補足して説明してもらう。それだけでも自分の中で整理して課題を解決する学生もいる。
ある学生が、左片麻痺の症状を抱える患者を担当することがあった。その患者は、自力で車椅子に移乗することが困難であり、介助が必要な状態であった。また、患者は治療・リハビリを経て自宅退院したいという思いが強かった。学生は、車椅子移乗に関する介入が必要だと考えて、介入方法を検討したり、実習の合間に学内の演習室で基本的な車椅子移乗の援助の手技を再確認したりしていた。
ある朝、学生はベッドから車椅子に移乗させる(その逆も)計画を立ててきた。実際の手技を再確認したおかげでイメージが湧いたのか、とても具体的な看護計画になっていた。
しかし、指導者と私で順番に手順を確認していくと、車椅子を患側にセットする手順になっているのに気づいた。多くの場合は、健側を活用して一連の動作をスムーズに行うために、車椅子を健側にセットする看護計画を立案すると思われる。
指導者と教員である私からすると予想外な看護計画だったため、学生が混乱しているのではないかと思い、なぜ車椅子を患側にセットしようと思ったのか尋ねてみた。すると学生は、「患者さんが自宅に戻られた際、自宅の構造上、車椅子を患側にセットするしかないため、家に帰るには車椅子を患側にセットして移乗する練習が必要だと思いました」と述べた。私と指導者は顔を見合わせて、目を丸くしていたと思う。未履修の科目も多い学生が、医療者もまだ把握していない情報を収集し、必死に患者の今とこれからを考えてケアに結び付けようとしていたことがよく伝わったからである。
いくつかの改善点を確認した後に、学生と指導者、教員で患者をベッドから車椅子へ移乗させることができた。そのときの患者が笑顔だったのを今でも覚えている。このとき、学生が大事にしたい看護が垣間見えたような気がした。
自分の看護に対する考えの変化を感じたこと、学生なりに患者のことを考えながら必死に看護を行う姿をみることができたことは、とても記憶に残っている。私を育ててくれた恩師のように、「看護をどのように説明するか」について学生に尋ねることで、学生の思考を整理するような支援を心掛け、看護に対する考えの変化を見守っていける教員になりたい。また、教員である自分自身にも「看護をどのように説明するか」について問い続けていきたいと思う。数十年後の自分がどのように答えるのか楽しみである。