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第28回:虎に噛まれ連れ去られても気を確かにもつこと~身体拘束縮小【episode 1】

第28回:虎に噛まれ連れ去られても気を確かにもつこと~身体拘束縮小【episode 1】

2024.07.31酒井 郁子(千葉大学大学院看護学研究院附属専門職連携教育研究センター センター長・教授)

 身の危険を感じる暑さが続き、大学から病院まで歩く間に幾度か気が遠くなるような感じがします。皆さん、お元気でいらっしゃいますか。先日、韓国語のお勉強をしている時に、韓国の諺「虎に噛まれ連れ去られても気を確かに」というのを知りました。危機一髪、あわやの時も精神さえしっかりもっていれば、生きるチャンスも見つけられる、という意味だそうです。虎に噛まれても、というメタファーがあまりに印象深かったので皆さんと共有しようと思います、ってこれで終わっては過去最短のアディショナルタイムになってしまいます。
 なぜこの諺に心が動いたのか、それはカピバラが最近、身体拘束縮小のことを考え続けているからです。というわけで、今回は身体拘束の話に取り組んでみようと思います。
 ついさっき最短と言っておきながら、一回では終わらない予感…(冒頭から episode 1 とか言っちゃってるし)。

身体拘束いまむかし

 超高齢社会の進展に伴い、入院患者の平均年齢が上がったこと、相対的に認知症のある方への治療の機会が増えたこと、これらとともに、治療が高度化しかつ医療費の抑制が意識されるようになり、短期間に集中的に治療が行われるようになったこと、これに伴い医療者の仕事の密度が格段に上がったことなどが、日本の病院における身体拘束の背景としてあると思います。1990年代までの医療は各駅停車の電車に乗っているようなもので、入院してから手術や治療の開始までに1週間以上の余裕があったのに、今では新幹線どころか、国内線飛行機に乗っているみたいですからね。
 このような患者-医療者相互のスケジュールの過密さと相対して、インシデント・アクシデントの可能性も急増していきました。とくに環境に慣れる時間がないままに、入院して次の日くらいには侵襲の強い治療を受ける高齢患者さんは、転倒・骨折リスクの増大、せん妄発症リスクの増大と、いわゆる「危ない」状況になることも多く、医療安全が強化されていきました。この流れで「患者の安全」を守るために、身体拘束が採用されることが日常となっていったと理解しています。
 一方、2000年の介護保険法の施行により、介護施設では身体拘束が原則禁止となりました。つまり、介護施設ではむしろそれまで身体拘束を「していた」のです。100人の入居者のユニットを夜勤3人でみるなどのあまりにも過酷な人員の足りなさから介護保険法以前の介護施設では身体拘束はされていました。ここ大きなポイントです。
 一方この時、病院では、そもそも高齢だから認知症があるからと、侵襲の強い治療の適応とならないと判断されることも多く、急性期病院に高齢者は多くいませんでした。そして身体拘束も今ほど頻度は高くなかったのです。それが、高齢の入院患者が増えるにつれて、身体拘束が増えていったわけです。そして介護保険施設では「原則禁止」の身体拘束も、病院ではそのような規制はなく、積極的には拘束縮小に取り組まない状況がつい最近まで続いていました。
 つまり日本では、ケアの必要な、すなわちケア依存状態にあり、かつ依存状態にあることを認識できない状態の(言い換えれば認知機能がいろいろな要因で低下している)高齢者は、規制のない状態では縛られる可能性が高かったし、今も高いのだ、ということが言えるかもしれません。

なぜ看護師は身体拘束という手段を選ぶのか

 2006年には診療報酬改定による7対1看護体制の導入があり、急性期病院では、診療報酬獲得のため、一気に看護職員を採用し、病棟にたくさんの新人や職場復帰したばかりの看護師が増えた時期もありました。そんなこんなで、看護師の人数は昭和の時代から増えているのに、やたら忙しく人手不足の実感がじわじわと看護師たちを襲う。患者とゆっくりコミュニケーションする時間がとれないのでケアのニードをアセスメントするのも困難になったり、(とくに高齢の)患者が自分なりのペースでトイレに行ったり食事をしたりするのを待っている余裕がなく、医療者のペースに患者が乗ってくれないとドミノ倒し的にその日の業務が遅れてしまう。それに転倒やせん妄になると、そもそもの入院目的であるはずの治療が進まず退院延期、ベッドが空かず新しい入院患者が入れないため経営陣から圧がかかる、というような状況が起きたわけです。
 「この患者さん、理解がいまひとつで指示を守ってくれない」「看護師を呼んでくださいと言っても一人で歩いちゃう」「今ここでこの人にずっと付き添っているような余剰の人員はいない、人手が足りない」という切羽詰まった流れで「あ、身体拘束っていう手段があるよね」となったこと、カピバラ、大変によく理解できます。身体拘束という介入を発想したら、次には、適切な拘束手段の選択になるわけです。治療の中断を防止したいのでチューブ抜去防止のためにミトン、転倒を防止したいので安全ベルトや4点柵、過活動型せん妄になり興奮している(しそうだ)から自傷他害を防ぎたいので体幹抑制という感じです。なんなら80歳以上の患者が入院してくるという情報が病棟に来たら、体幹抑制グッズを準備万端ベッドにセッティングしておくなんていうこともよくある光景だったのかなと思います。
 このような状況に陥るのはなぜなのか、そこには組織的問題があるのですが、そこに研究者が切り込んでいくことは難しかったのでした。

身体拘束の話をする時、教育研究者の腰が引けるわけ

 身体拘束を選択する看護師の皆さんも、縛りたいから縛っているわけではないのです。むしろ、「第21回:今日もあなたに太陽を~看護師の傷とせん妄と」でも触れましたけど、ごめんねと言いながら縛っていることのほうが多いのかなと思います。なぜごめんねと言いながら縛るのかというと、卒前の老年看護学で高齢者への身体拘束は人権の侵害であり高齢者虐待にあたる可能性が高いということを学んで看護師になっているからです。しかし現場の、医療安全優先かつ転倒したら・チューブ抜去したら担当看護師の責任追及という組織の雰囲気が看護師たちの心理的安全を脅かし、同調圧力も相まって、「申し訳ないけど身体拘束させてもらう」という苦渋の選択が行われる。
 「身体拘束縮小の研修を受けるたびに非常にもやもやします。なにか講師にひとこと言いたくなります」と言ってくれた看護師さんがいましたけど、それはとても正直な言葉だなあと思います。つまりこの看護師さんのもやもやは、「身体拘束してはいけないと簡単に言うけど、じゃあ、この現場の大変さをあなたはどのくらいわかっていっているんですか? 夜勤で一人ナースが休憩に入っている、もう一人は重症患者に付きっきり、コールが同時に3ヵ所で鳴っている、対応できるのは私だけ? みたいな状況であなたはどうするのか、何ができるのか問いたい!!」という、「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ!」と言い放つ青島刑事(古くてごめん)の気持ちなんですよね。
 教育研究者が、これまで身体拘束縮小に資する調査研究にコミットすることに腰が引けていた要因はここにあるとカピバラ思います。必死にこの一晩のもしくはこの日勤帯の患者の安全を守っている現場の看護師に、「身体拘束って弊害も多いし尊厳あるケアと言えないですから、やめましょう」とだけ伝えたり(カピバラも昔はよくこんな講義をしていたものです)、「身体拘束、自分がやられたらどんな気持ちか体験してみましょう」とか演習させられたりしてもさあ、そこじゃないんだよってことですよね。だれだって、できれば拘束はしたくない、けどほかに選択肢がない(ような気がする)のでやっていると、教育研究者も理解している。ですからなおさら、現場にいない、つまり会議室で会議ばっかりやっているみたいな立場の研究者自身引け目を感じるし、そもそも身体拘束縮小の研究に取り組むこと自体、現場からブーイングが起きそうだと思っていたので、近年まで身体拘束縮小に対して研究的にアプローチすることに腰が引けてきたのです。
 そして、研究してないから効果的な代替手段も提案できない。なので前述の「身体拘束って弊害も多いし尊厳あるケアと言えないですから、やめましょう」とだけ伝えるようなレクチャーになって、以降、身体拘束縮小案件において不毛なループが続いたのです。カピバラ、大変に身に覚えがあります。研究者はケアの介入案を提案・検証・普及してなんぼ、でございます。
 病院の身体拘束縮小は最近まで医療界といいますか看護界のアンタッチャブルな案件になっていたんですね。

診療報酬と身体拘束

 ですが、介護保険法とともに介護保険施設での身体拘束原則禁止から24年、2024年度の診療報酬改定で、身体拘束を最小化する取り組みの強化が明文化されました。「入院料通則」の改定により「医療機関における身体的拘束を最小化する取組を強化するため、入院料の施設基準に、患者又は他の患者等の生命又は身体を保護するため緊急やむを得ない場合を除き、身体的拘束を行ってはならないことを規定するとともに、医療機関において組織的に身体的拘束を最小化する体制を整備することを規定する」とされ、「身体的拘束最小化に関する基準を満たすことができない保険医療機関については、入院基本料(特別入院基本料等を除く)、特定入院料又は短期滞在手術等基本料(短期滞在手術等基本料1を除く)の所定点数から1日につき40点を減算する」1)と踏み込んだ規制がなされることとなったのです。
 2016年の診療報酬改定で取り上げられた認知症ケア加算についても、2024年度改定では身体的拘束を実施しなかった日および実施した日の点数をそれぞれ見直すとされ、かつせん妄ケアの強化も併せて明記されました。ちなみにこの認知症ケア加算、医療施設での身体拘束に対して、診療報酬改定の沿革上はじめて算定要件で「やったら減算」と明記され、「基本的に認知症の患者に身体拘束を病院でやることは好ましくありません」というメッセージが付加されたものとして、一部極小身体拘束縮小研究者クラスターの間で有名です。
 このようにこれまでアンタッチャブル案件だった医療機関での身体拘束に対して、2024年6月から規制がかかる状況となりました。この改定が病院に与えた影響はけっこう大きく、病院では身体拘束縮小チームの構築が課題となり、なぜだか、辺境警備隊カピバラ隊長のところには、講演依頼がどんどん舞い込んでくるようになりました。これはバタフライ効果なのでしょうか。

どんな時にも気を確かにもつこと

 最近、カピバラが身体拘束縮小戦略の講演をすると決まっていただく質問があります。①身体拘束をせずに転倒などのインシデントが起きた時にどうすればいいのか(もしくは訴訟に至ったらどうするのか)という医療安全担当の方からの質問、②身体拘束を縮小するべくいろんな活動をしようとすると、医療安全担当者や管理者から、拘束せずに事故が起きたらどうするのかと言われ何も進まない、どうしたらいいのでしょうかという認定看護師さんからの質問、③医師も薬剤師も理学療法士も作業療法士も病院長も、身体拘束縮小活動に参加してくれません、どうしたらいいでしょうかという身体拘束縮小チームの看護師さんからの質問の3点です。
 みんなそれぞれの立場で、絶体絶命のピンチに陥っているような気持ちになっているのかもしれません。身体拘束なしでどうすりゃいいのよ、という気持ちもあるかもしれません。でも、どんな時にも気を確かにもち、身体拘束の3原則(切迫性、非代替性、一時性)に基づいて、考え続けましょう。病院での身体拘束はすでに、ルーティンで行うものではなくなっています。

 日本の身体拘束縮小案件について、背景、要因、いまいまの変化など、周辺情報について述べてきました。
 読者の皆さまから、「じゃあ、どうやって身体拘束縮小すんねん」と盛大な突っ込みが聞こえてくるような気がします。しかしながら、もうすぐ5,000字を超えてしまいそうなので、身体拘束縮小戦略の組み立て方のヒントについては、次回書いてみたいと思います。

 組織一丸となり、本人・家族・施設での共通意識の醸成とともに、身体拘束を必要としないケアを実現し、常に代替方法を考える。これが身体拘束縮小のための方針です2)。そしてepisode 2 に続きます。

 

引用文献
1)厚生労働省:令和6年度診療報酬改定について 第2改定の概要 1・個別改訂項目について(令和6年2月14日)Ⅰ-1-②入院基本料等の見直し, p.37, 2024[https://www.mhlw.go.jp/content/12404000/001220531.pdf](最終確認:2024年7月29日)
2)厚生労働省:介護施設・事業所等で働く方々への身体拘束廃止・防止の手引き,2023年,[https://www.mhlw.go.jp/content/12300000/001248430.pdf](最終確認:2024年7月29日)
 

酒井 郁子

千葉大学大学院看護学研究院附属専門職連携教育研究センター センター長・教授

さかい・いくこ/千葉大学看護学部卒業後、千葉県千葉リハビリテーションセンター看護師、千葉県立衛生短期大学助手を経て、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(保健学博士)。川崎市立看護短期大学助教授から、2000年に千葉大学大学院看護学研究科助教授、2007年同独立専攻看護システム管理学教授、2015年専門職連携教育研究センター センター長、2021年より高度実践看護学・特定看護学プログラムの担当となる。日本看護系学会協議会理事、看保連理事、日本保健医療福祉連携教育学会副理事長などを兼務。著書は『看護学テキストNiCEリハビリテーション看護』[編集]など多数。趣味は、読書、韓流、ジェフ千葉の応援、料理。

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