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第34回:最終目的地と旅行計画~定義から解放されて

第34回:最終目的地と旅行計画~定義から解放されて

2025.03.27酒井 郁子(千葉大学大学院看護学研究院附属専門職連携教育研究センター センター長・教授)

 気づけばもう3月も末。読者の皆さまもきっとそうだったと思いますが、1月から3月まで毎週のように、大学院生の論文提出に審査に、留学生の受け入れに派遣、海外からの訪問者への対応、そして毎週末のシンポジウムの司会と、目が回るとはこういうことか、という生活を送っていたカピバラです。ついに2月は連載原稿を「落とす」という状況になりまして、編集の S さんが心配して電話をくれたでござる。
 相変わらずのバタバタな暮らしぶりですけど、いろいろ言いたいことがたくさん。ということで今回は定義とミッションとビジョンの話をしてみようかなと思います。

「定義から入る」問題

 カピバラ、これまで数十年、イケてない授業をしてきました。というのは、どうしても授業の冒頭、定義したくなります。教育講演でも基調講演でもやっぱり定義から入ってしまう。院生指導でも「用語の定義」にうるさく言う。
 概念を正確に定義することが議論の基本といいますか、土台だと思っちゃうんですね。とくに研究者や教育者は、言葉の解釈の違いによる誤解を回避しようとする傾向があるんです。たとえば高度実践看護師(APN)といっても人によりそのイメージが違ったら議論がかみ合わないと思ってしまうので、「APNとは何か」を定義しようとする。

定義したくなる時

 もっと深く掘ってみると、「定義をしたくなる時とはどんな時だろう」という疑問がわいてきます。まず思い浮かぶのは、その事象について論点が拡散していて何から整理したらいいのかわからない時。○○は▽▽である、と暫定的に規定することにより、「だったら、▽▽は、こういうことでもありますよね」とか、派生させて何かを言えるような気がします。
 もうちょっと踏み込んで言うと、その事象についての自分の解釈に確信がもてない時も、定義に頼りたくなりますね。事象の行く末や影響が雲をつかむようなあやふやな話の時に、「で、▽▽とは、□□による定義ってことでいいですか?」みたいな感じです。。
 この定義問題、たとえば専門職のアイデンティティみたいな自分たちにかかわってくるとなると、がぜん盛り上がります。看護とは何か? 看護師とはどのような存在なのか? これはナイチンゲールの時代からずっと取り組んできた私たちの命題でもありますね。ですが、このようなアイデンティティの定義問題は、おのれが一人で定義するものではなく、社会との対話の中から生み出される暫定的なものなので、たいていの場合、すっきりした(もしくは自分が思っていたような)結論は出ません。仮に誰かが作成した定義が示されたとて、それに対して全面的な賛成をなんとなく表明できないという「気持ち」になってしまう。これは概念の定義に賛同できないのではなく、その「価値」に賛同できないということを示しています。
 逆に言えば、「このこと(▽▽)」の価値に違和感を覚える時に、「この▽▽の定義はあいまいです」と誰かが言えば、定義が定まっていない(合意できていない)ので、議論の前に定義を明確にしましょうという思考回路に入り、よって議論は進まないというわけです。カピバラもこれまでこんな感じの定義問題に巻き込まれたり、巻き込んだりしてきましたよ。
 でもこれも大人の階段を上るプロセスかも。定義問題から解放されていくことそのものが、成熟した専門職集団、すなわち職業的アイデンティティの確立および社会化が進んだということなのかもしれません。

定義から入らない議論をするために

 定義を明確にすることは、議論の出発点として確かに重要です。ですが、定義することが目的となってしまうと、未来に進めなくなることがあります。「▽▽とは何か?」を突き詰めるあまり、新しい発想や行動が出てこなくなり、議論が行き詰まってしまう。なぜなら、定義問題を持ち出すと、それは正しいのか、正しくないのかという価値の領域に踏み込んでしまうからです。そして「正しい定義」にこだわってしまうと、タイヤは回っているけど、車は前に進まないという空回り状態になりがち。
 本来、「定義すること」は、未来を描くために議論を進める手段、すなわち足場づくりみたいなもののはずです。本当に大切なのは定義を合意することではなく、どんな未来をつくりたいのかを共有することなのではないかと、不肖カピバラ思うようになってきました。なぜなら、カピバラの40年にわたる職業生活のなかで、看護とは何か? を考え続けてきた結果、「看護とは生ものである」という定義(笑)に至ったからです。今現場で行われている看護を説明しようとしても、それを正確に表現する概念はまだ育っていないことが多い。そう、実践は理論と概念を超えているのです、常に。概念化して理論化したとたん過去のものになる、ですから、概念や理論はいつも暫定的なものであると言えます。
 定義を確認すると、論点が整理され、足場ができるので話しやすくなる。安心感のあるスタートを切ることができます。でも、定義にこだわりすぎると、本来話したかった「未来の話」になかなか進まない。ですから、この安心感を捨てて、はるか彼方に見えるあの水平線に立つのだという意志をもつことが、建設的議論には大切なのではなかろうかと思います。

共有すべきことは何か?

 はるか彼方の水平線(北極星でもいいけど)は、理想と言えます。理想を掲げる。でもこれだけでは、現実問題として何をやればいいのかわかりませんよね。そこでまず次の目的地はどこなのかを決める。この目的地がビジョンです。飛び上がってまずどこに着陸するのか、そして最終的な着陸地点はどこか、その最終目的地ははるか彼方の水平線に近づいているのかを共に歩む仲間と相互確認しつつ、目的地を共有すること。これが未来に向かう議論(といいますか、対話)に欠かせないことなのではないかと思います。
 読者の皆さんは気づいたと思いますが、ここ、ビジョンの合意(agreement)ではないのです。ビジョンの共有(sharing)なんです。「私はこう考えるけど、あなたはどう?」ということですね。必ずしも意見の一致(合意)は必要ない。
 「目的地、こっちがいいって思うんだけど、どう?」「うーん、そっちもいいけど、そこだとさ、けっこう遠いよね」「ヨーロッパ方面に行くのは賛成。わたしはスペインがいいかな」「なんでスペインがいいの?」「食べ物がおいしいし、あったかい」「それだったらイタリアも南はあったかいし食べ物おいしいよ」「だねー、同じ地中海性気候だもんね」「それにどちらもそこでしか見られない教会とかお城とかあるよね」「オリーブオイルの料理ってのがいいよね」「じゃあさ、まずイタリアに行ってからスペインに行かない?」「だったら、10日間くらいで帰国って感じだよね」「そだね、帰るまでが遠足!」
 こんな感じで和やかかつ建設的に対話が進みますよね。そしてここで何かしらの合意ができているはず。「旅行とは、仲間と共にその地のおいしい食べ物を食べ、そこでしか見られない景色を見るために出かけて無事に帰還すること」。あら、この旅の仲間たちの「旅行」の定義っぽいものができましたね。

ビジョンに向かう道のりを指し示す旅行計画

 目的地の共有ができたら、その互いの目的地の重なり具合いを見て、いまいまの「見据える未来像→ビジョン」をゆるく決める。これは一人旅ではありませんから、ある程度の大人数で行く目的地。その目的地に到達するための「旅行計画」がミッション(使命)です。
 旅行計画は多岐にわたります。飛行機の手配、ホテルの手配、訪問先の調整と決定、持ち物リスト作成、保険に入り、「たびレジ」に登録し、地図を購入、そして一日一日の行動スケジュールをある程度決めて、留守の間の仕事の調整や自宅の管理などなど。これらのタスクを仲間と分担し、進捗を確認し合い、じゃあ搭乗口に集合ね、ということで旅行スタート。
 ここまでで、旅の仲間はそれぞれの役割に基づいてやることをやって集まります。目的地に到着したら、今度は地図を読める人、コミュニケーションに長けている人、その土地の歴史と文化に詳しい人、おいしいレストランを探し出す嗅覚がすごい人、とそれぞれの得意領域を活かして助け合って、一日一日かけがえのない時が共有されていく。不測の事態に遭遇したら、その事態に対応できる知識とスキルをもつ誰かが声を出し、旅行仲間のこれからの行動を示唆する。シェアドリーダーシップですね。
 このような時、旅行仲間の誰もが、「何のために何を成し遂げるのか」という目的と使命(ミッション)を自覚してそれぞれが具体的、主体的に行動を起こします。「わたしはこれをやる」「わたしはこれこれを連絡する」「私はあなたの荷物を見ているから、あなたはあちらに行って話をつけてきて」などです。ミッションとは、ビジョンに向かうためのグランドルールや旅行仲間一人ひとりの役割を含む旅行計画みたいなものですね。

未来を描くための一人ひとりの旅行計画の更新

 2013年、文部科学省が策定した「国立大学改革プラン」に基づいて、国立大学のミッションの再定義が行われました。2004年の法人化以前の国立大学のミッションは、どの大学も一律に「教育と研究」でした。しかし社会構造と産業のニーズの大きな変化が見込まれ、それまでの在り方では社会のニーズに応えられない、ということで「自分たちの大学の存在意義は何か、何を重視するのか」を改めて定義し直す流れになったのでした。そしてそのミッションに沿って、自律的経営が求められてきたのでござる。それがうまくいっているかいないかは、ちょっとさておき。
 「社会の変化により過去のミッションが機能しなくなったら、再定義する」「海外の事例が自国の状況に合わないなら、自らのミッションを設計する」。これは、より良い未来へ進むための柔軟な姿勢といえます。定義は重要。でも、それ自体が目的じゃない。大切なのは、共有されたビジョンに向け、一人ひとりが具体的な行動を起こすこと。定義に縛られず、未来を描き、そのためのミッションを更新し続けることが、前進するために必要だし、未来を描くための対話の場が必要です。
 旅行計画は、自分たちのしたいことの変化と現地情勢に合わせて、必要だと思ったら何度でも更新すること、これがより良い旅行計画ということだと思います。そして、共に旅を進めることにより、探し求めていた旅の定義がみんなの中に生まれ、共有される。それは旅が始まる前は考えてもいなかった定義かもしれない。でもそれはみんなでつくった確かな足場となることでしょう。


 

酒井 郁子

千葉大学大学院看護学研究院附属専門職連携教育研究センター センター長・教授

さかい・いくこ/千葉大学看護学部卒業後、千葉県千葉リハビリテーションセンター看護師、千葉県立衛生短期大学助手を経て、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(保健学博士)。川崎市立看護短期大学助教授から、2000年に千葉大学大学院看護学研究科助教授、2007年同独立専攻看護システム管理学教授、2015年専門職連携教育研究センター センター長、2021年より高度実践看護学・特定看護学プログラムの担当となる。日本看護系学会協議会理事、看保連理事、日本保健医療福祉連携教育学会副理事長などを兼務。著書は『看護学テキストNiCEリハビリテーション看護』[編集]など多数。趣味は、読書、韓流、ジェフ千葉の応援、料理。

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