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第6回:困難を乗り越えて育つ学生の強さ

第6回:困難を乗り越えて育つ学生の強さ

2022.05.23須賀 亜衣(慈恵看護専門学校)

 高校卒業後、大学へと進学する友人たちをよそに、早く自立したいと医療事務の道を進んだ。そこで患者と接し、彼らの不調や困りごとに対する悩みを聞く機会も増えてきて、いつしか「もっと体調不良を抱える人たちの力になりたい」と思うようになった。社会人三年目、21歳の春に慈恵看護専門学校へ入学し、看護師としての道を歩みだした。

院内研修をきっかけに看護教員の道へ

 教育に触れたのはその更に後、看護師としての病棟でプリセプターなどを経験しながらキャリアを8年ほど積み、院内のエデュケーションナース研修(指導者研修)に参加した時だ。ちょうど病棟から外来の勤務へと移った頃で、慣れない外来勤務の中、新人指導も兼任して苦悩していたところ、看護師長から研修への参加を勧められた。研修はこれまでの価値観が変わる出来事の連続だった。業務や指導に追われがちな毎日であったが、研修を通して看護を見つめ直すことも、「新人が育つ過程を見られるのが楽しい」と思う自分の存在を知ることもできた。
 もっとも、当時は新人指導のため研修に参加したのであり、学生と関わることは好きであったが、ゆくゆくは看護教員として学生を教えるなどとは思ってもみなかった。しかし、思えばこの院内研修が看護教員の道への一歩目であった。院内研修でキーワードとなっていた「まなざしの姿勢で関わる」は看護教員となった今も指導観として大切にしている。

 その1年後、長男が小学生になるタイミングで、自宅に近い東京慈恵会医科大学附属病院から同葛飾医療センターへ異動した。同センターは、複数校の臨地実習を受け入れており、学生と接する機会が多くあった。同センターで、様々な学生とのかかわりを通して基礎教育の重要さや学生と看護を語る楽しさを知った。「わかった!」と瞳を輝かせる学生らに出会い、心から看護教員になりたいと感じた。
 とはいえ自分に教員が務まるのか、子育てしながら勉強は出来るのか悩むことも多かったのだが、看護教員の役割について自己で調べていた時に、『教える人としての私を育てる―看護教員と臨地実習指導者』(屋宜 譜美子・目黒 悟(編)、医学書院、2009年)に出会った。「教員と学生は看護を学ぶ同志である」という一文にハッとした。学生の気付きからさらに気付きを得ている自分の姿を思い出し、教員になるためには立派な人物でなければならない、というような思い込みが抜けて、少し肩の荷が下りたような気がした。
 同書にも後押しされ、1年間の教員養成研修を経て、私は母校に看護教員として戻ることになった。

『教える人としての私を育てる―看護教員と臨地実習指導者』(屋宜 譜美子・目黒 悟(編)、医学書院、2009年)

 

患者にきつい言葉を投げかけられた教え子

 最近の話になるが、もうひとつ自分の分岐点として経た大切な経験として、2021年度に卒業していった学生Aさんとのかかわりは忘れられない。私は1年生の時から彼女を副担任として見守り続けてきて、素直で溌剌とした子であるが出来事を深く掘り下げて考えることに課題が残るという印象を抱いていた。

 3年生のある時、Aさんは臨地実習で80歳の女性COPD患者を受け持った。回復期にはあったが一時は急性増悪でICUにいた患者で、夜間はNPPVを使用しており、マスクのフィッティングなどに苦しみ不安や睡眠不足に陥ることもしばしばあった。加えて妄想性障害を併発しており、コンディション不良によって妄想が強くなってしまうことから難しい患者として知られていた。こういった状況なので「学生が何か言われてしまうのでは」という危惧もあったが、その時は案外早く訪れた。

 受け持ち3日目の朝、患者が医師の回診を受けている間に病棟の主任看護師から、Aさんが患者に「あなたのせいで全て悪くなった」と言われたことを知らされた。回診の少し前、患者へ朝の挨拶をしに行った時だという。確かに、よく見ると彼女は目に涙を浮かべながら回診のやりとりを聞いていた。患者のカルテを読むとやはり呼吸困難感による苦痛・不安と睡眠不足による消耗があったと分かった。
 回診後に声をかけたとたん、Aさんは堰を切ったように泣き始めた。気持ちを受け止めつつも、私にはAさんが“自分が”きつい言葉をぶつけられたことにしか目が向かず、ベクトルは自分にむいており、なぜ“患者が”きつい言葉を発したのかを考えられていない状況が気になった。

壁を乗り越えていく学生の強さ

 Aさんを落ち着かせ、夜間の患者の状況を振り返った。やはり彼女はカルテから患者の不安や睡眠不足を読み取れていなかった。また、COPDの呼吸状態のような目に見える症状はすぐに調べて状態を把握していても、視認できない妄想性障害についての情報は不足していることもわかった。テキストも確認しながら患者の当時の状態を深く考えられるように関わると、次第に学生は「苦しくて不安で寝不足でしんどかったのかもしれない」と患者の辛さを理解していった。

 周囲の臨床指導者たちも心配してくれて、師長は患者への挨拶にAさんを連れて行ってくださった。師長の不安な気持ちを受け止めつつ、安心できる楽しいと思える話題に転換していく関わりによって患者が落ち着いていく様子を観察することができた。その様子をみて安心したのか、Aさんに笑顔が見られた。患者のアセスメントを行い、午前中は睡眠不足を引きずらないようゆっくり休み、美容への関心が高い患者の性格を踏まえて快の刺激を与えるために、午後は清潔に関するケアを行うと自分で立案できた。この時、自分自身に向いていたAさんの気持ちのベクトルが、患者の方を向くようになったと確かに感じた。
 一方で教員として「学生が受け持つことで患者の消耗になっていては良くない」との思いも残っていたため、患者のもとへ伺うと、患者は「朝は混乱しちゃって」とAさんへの発言も覚えていない様子であった。受け持ちを継続できると判断し、私はAさんがケアを実践する様子を見守った。はじめのうちは声をかけるのにも緊張していたAさんだったが、足浴ケアを受けた患者が「気持ちいい、幸せ」といった言葉を発し表情も柔らかくなっていく姿に、次第に元気を取り戻したようだった。臨床の知であると感じた。

 彼女たちの世代は、コロナ禍の影響を受け、知識や思考の整理は出来ていても、技術・心持ち双方の面で臨地実習やそれに向けた準備が十分に行いきれなかったという背景がある。午後からのケアに向かいたくないと言い出しても不思議ではないし、今後病室を訪れる際は毎日付き添わないといけないかもしれないとも予想していた。しかし、Aさんはやりきった。その後も患者との場面に立ち止まり理解を深め、情報を整理して全力で向かっていくことで、関係はすぐに良好なものとなった。実習最終日、患者から「あなたがいなくなったら不安だわ」と寂しがられるAさんの姿を見て、学生の力と強さとを知った。

学生の成長に喜びもひとしお

 無事に国家試験をパスしたAさんは、ことし3月12日に2021年度の卒業生として胸を張って本校を去っていった。1年次から学びや経験を積み上げていき、高校生から社会人へと成長していく過程を見ていると、感慨深いという言葉では言い表せないほどの喜びで心がいっぱいになる。
 看護教員としてはまだまだ実力不足であると思うことも多いが、現任教育の担い手となる指導者の方々へ「よろしくお願いします。大切に育てて下さい。」とバトンをつなぎ、「看護教員になって本当に良かった」という気持ちを噛みしめながら、次に入学してくる学生たちの学びに関われることを心待ちにしている。(記事執筆は3月末時点)

須賀 亜衣

慈恵看護専門学校

医療事務として勤務後、看護職を目指し慈恵看護専門学校に入学。 卒業後、東京慈恵会医科大学附属病院・同葛飾医療センターの病棟、外来に10年勤務後、母校に看護教員として異動し2019年より現職。 休日の楽しみは、小学6年生と3年生の息子たちの野球の応援。

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