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第5回:花も嵐も踏み越えて~医師と看護師の協働的パートナーシップの構築

第5回:花も嵐も踏み越えて~医師と看護師の協働的パートナーシップの構築

2022.08.25酒井 郁子(千葉大学大学院看護学研究院附属専門職連携教育研究センター センター長・教授)

 カピバラのところでは、節電夏季休業で、10日間ほど大学がお休みになりました。みなさん、猛暑でのコロナ予防と節電の食い合わせをどう思います? 食い合わせということで、今回は医師‐看護師関係に踏み込んで語ってみたいと思います。残暑を吹っ飛ばしましょう。

医師は看護師の役割を理解しているのか問題

 さてカピバラには医師をやっている友人が何人かいるんですけど、その一人とちょっと前に、「外来ブースで医師が聴診するときに、看護師が患者さんの衣服をまくり上げる手伝いをする」というケアについて話題になりました。「患者さんのためにやっている」とその場にいた看護師たちが口々に言ったら、「えっ、今までずっと、看護師さんは、おれのためにやっていると思ってた‼ 同世代の医師はそう思っていると思う」とまさかのカミングアウトという事案がござった。
 しかしこのような他の職種の役割誤解は大学1年生の時から散見されます。っていうか医学生も看護学生も薬学生も1年生の時が一番ステレオタイプな見方をもっている。なぜなら、彼ら彼女らは専門の教育を受ける前に医療者になろうというキャリア選択をしているので、そのキャリア選択にはメディアと家庭や社会からの影響が多大にあるからです。
 ほら、白っぽい巨塔に出てくる男性だけの教授回診行列とか、何かっていうと怒鳴る〇龍とか、華々しくヘリで降臨する救命救急医〇Pとか、失敗しないと言い切る足長ミニスカ外科医さんとかが、高校生さん、中学生さんたちの潜在意識に多大な影響を与えているのです。よって、これらのメディアに影響を受けた学生さんたちは、ついつい「看護師は医師の介助をする」とか言っちゃうんです。いや、それ診療の補助だから、医師は介助されないと仕事できないんかい? とか心の中で突っ込みつつ、1年生のIPE初回授業から「みなさんが今もっている各職種への役割イメージはステレオタイプかもしれないですね。今は違っているし、これからどんどん変わっていきますね」などとフィードバックするわけです。
 そこからグループワークを繰り返し、お互いにお互いから学びあうことにより、お互いの職種への誤解やステレオタイプは解けていくんですけど、もしIPEがなかったら、どういうことになっているんでしょう。自職種の役割や仕事内容だけを学び、他の職種の役割や仕事内容を学ばずに専門職者になっていったら…って、それはカピバラ世代の医師と看護師のようになってしまうんです。
 看護師は自分のために働いてくれるものと思っている医師と、医師から自主独立を勝ち取りたい、それが難しいから医師の仕事のコントロールをしたり、医師を自動販売機のように扱ったりする看護師(「センセイ、この薬出しといて」とか言ってみたり)。これでは同僚としての信頼関係をつくることは難しかろう、いや確かに難しかった、と遠い目になるカピバラでござった。

看護師にかかっている古い呪い問題①:「ミニドクター」にはなるな

 カピバラの乱暴な私見ですが、昭和の時代、自主独立を目指した看護師たちは、「療養上の世話」という、もう一つの看護師の独占業務を洗練させようとしたんだと思うんです。そして診療の補助業務という独占業務は、医師の指示がないとできないから、看護師独自の仕事ではない、と思ったと思う。大学時代そんな言説をよく聞いたもん。昭和の看護師たちはよく言ってましたね、「ミニドクターになるな」と。これ、本来は看護の独自性を大切にしようとした言葉だったと思うんですが、「ミニドクターでなかったら、では看護師とは何か」を説明していないので、とくに医師に対して看護の独自性を説明する説得力をもちません。そのうえ、“なるな”と言っているのですから医師が仮想敵になっている言葉かなと思います。「ミニドクター」って、医師にも看護師にもすごく失礼な呼称ですよね。そして、ミニドクターと呼ばれる看護師にとっては、「あなたは医師の仲間であり、看護師の仲間ではない」と言われていることと一緒です。しかし実際、カピバラは「ミニドクター的看護師」に出会ったことはありません。なんか伝説のポケモンみたいですよね。それに、医師も看護師も医療者です。医療者という仲間なんです。

看護師にかかっている古い呪い問題②:医師に対して自分の意見を言ってはいけない

 「先生、〇〇さんが、夕べ△△って訴えてきて…✕✕だっていうことなんですけど、□□先生に言ったら、様子みようってことで、主任にも相談したんですけど、心配ないっていうことで、夜勤ナースも大丈夫じゃないかと言ってたんですけど…」。医師がたまらず、「で?」と言うと、「それで今、意識レベルが低下してるんです」。「…えっ?!!!!!」みたいなことってありませんか。
 この看護師は、診断や処方の提案はしちゃいけないって思い込んでいて、これが強力な呪いとなり、しちゃいけないけど伝えたい、そうして回り回ってトリプルアクセル、着地の時は反対向いてました、みたいなコミュニケーションになってる。医師に何かを報告したり相談したりするときに、その主語が患者になったり、患者家族になったり、医師になったり看護チームになったりと主語がくるくる入れ替わるんだけど、自分主語で「わたしの判断」を明確に伝えることを回避していますね。かなり面倒な状況です。そしてたぶんこのあとなんとか医師の判断と指示を引き出そうとしたりするかもしれない。

フィギュアスケートの3回転半ジャンプ。前向きの姿勢から片足で踏み切って跳び上がり、そのまま3回転半して、もう一方の足で氷面に下りる高難度の技。通常のジャンプより半回転多く回ることにより、着氷時は飛び上がった時と反対側を向いています(後ろ向きになっています)。

 看護師は基本的に「相手の思いを引き出す」ことに一生懸命、かつ集団思考が強いので、医師に対して自分の判断に基づいた意見を明確に述べることにかなりためらいがあるように思います。「わたしは」とは言わずに「看護サイドは」とか言っちゃうみたいな。自律した判断は自律した実践の核であり、その判断を看護師が医師に説明することにより、医師は看護実践を理解するのですが、そこがブロックされているため、効率的なコミュニケーションになりません。
 「医師の指示」は昭和の時代には確かに絶対的な力をもっていました。ですが、これは古い魔法です。令和の現代において医師の指示は、同僚とのコミュニケーションツールの一つになったと思います。

日本における医師の指示の多義性1)と指示が成立する前提

 皆さんもご存じと思いますが、医師の指示とは正確に言うと診療の補助すなわち医行為の補助と医行為の代行の際に限定されるものです。そして指示(order)は命令(command)ではありません。しかし、治療方針の決定(患者とチームが共有意思決定し、合意する)、コンサルテーション、スーパーバイズ(なんかちょっと相談したい。「この患者さん、筋力的にはトイレまで歩行できそうだけど、心臓の状態はどうなんですかね」とか)、リクエスト(「できればこれをお願いしたい」とか)などの仕事用コミュニケーションすべてが「医師の指示」として認識されている状況も散見されます。医師の指示が文脈により多義的になる。これでは医師の残業時間も減るわけがありません。医師の指示がすべての診療ケアのキックオフになってしまって、責任が医師に集中しているからです。
 先日とある医師とおしゃべりしていたら「看護師さん一人ひとり実践能力が違うから指示を出すときは、相手の実践能力を探り探りです。特定行為研修を受けた看護師さんなら、そこらへんこっちもわかるし標準化されているから、安心して指示を出せる。一方こちらも変な指示を出したら確認されるからピリッとする」とおっしゃってました。指示を出すほうもかなり気を遣う状況があるようです。
 診療の補助業務に関する医師の指示にはそれが成立する前提があります。対応可能な患者(の範囲)が明確である、対応可能な病態の変化が明確である、指示を受ける看護師が理解できる指示内容である、対応可能な範囲を逸脱した場合、医師に連絡を取り、その指示が受けられる体制が整えられている、の4点です2)。これらの前提が満たされていない場合「医師の指示」は成立しません。
 何でも指示を出し、何でも指示を受けていいわけではないのです。しかし現職ベテランの医師たちに聞いたら、このような授業を受けたことはなく、独学だったそうです。看護師も似たような状況ですよね。協働の要でありコミュニケーションツールの一つである「医師の指示」の前提や基本を学ぶ機会はほとんどなかった。お互いに学んでないから、医師の指示を命令だと思ったり、そして看護師は医師の指示には必ず従うものと思ったり、看護師の自律を阻むものと思ったりするリスクが高まっていったのです。

花も嵐も踏み越えて、共に学び、お互いから学び、お互いについて学ぼう

 平成から令和にかけて、看護師の職務拡大と社会的地位の向上は目覚ましいものがありました。わたしたちの先輩たちが何十年もかけて育ててきたものです。
 そして、これは縄張り争いの結果ではなく、専門職間の境界を取り除き、お互いの役割を重複させ患者への診療ケアに穴が開かないようにしてきた専門職間の合意形成のプロセスの成果です。その途中で医師は「力」を手放し、看護師は自分たちを医師という仮想敵から守るための「集団思考」を手放してきたのです。なぜなら互いに互いが存在しないと、患者への診療とケアが完結できないから。
 また別のある医師は「自分としては、看護師さんに医師みたいになってほしいとか、自分の仕事を手伝ってほしいとかは思わないんですよね。医師は看護師と働きたいんです。互いに得意なことが違うから患者さんにとって良いんです。看護師さんたちが自分の能力を最大限発揮できるようになったら、一緒に仕事してお互いにすごく楽しいと思うんですよ」と言いました。そして「タスクをシフトするっていう言い方は好きじゃない。シフトされた相手職種の仕事が増えるだけですよね。大切なのはタスクをシフトすることじゃないんです。診療ケアの判断、目標、アプローチ、責任をシェアすることだと思うんですよね。そしてその元になっている互いの知識をシェアすると、互いにできることとできないことがわかるでしょ。相手にできないことは自分がやる、自分ができないことは相手に任せる、両方にとって難しいことは力を合わせるということをしたいんです。それが結果的にタスクのシェアにつながるんです」と言ったのでした。自律的な活動は同僚に承認されて初めて自律となります。互いの承認のない「自律」は孤立となるのだと思います。

 花も嵐も踏み越えて、現場の医師と看護師の協働的パートナーシップはここまで来たのです。古い呪いが解けていないのはカピバラ世代だよなと、自分を振り返って思います。OSを更新しないとね。

 
引用・参考文献
1)平林勝政:保健医療福祉職の自律と法,保健医療社会学論集25(2):7-15,2015.
2)厚生労働省:第2回医師の働き方改革を進めるためのタスク・シフト/シェアの推進に関する検討会 参考資料2「診療の補助・医師の指示について」,2019,https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_07721.html,アクセス日:2022年8月9日

 

酒井 郁子

千葉大学大学院看護学研究院附属専門職連携教育研究センター センター長・教授

さかい・いくこ/千葉大学看護学部卒業後、千葉県千葉リハビリテーションセンター看護師、千葉県立衛生短期大学助手を経て、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(保健学博士)。川崎市立看護短期大学助教授から、2000年に千葉大学大学院看護学研究科助教授、2007年同独立専攻看護システム管理学教授、2015年専門職連携教育研究センター センター長、2021年より高度実践看護学・特定看護学プログラムの担当となる。日本看護系学会協議会理事、看保連理事、日本保健医療福祉連携教育学会副理事長などを兼務。著書は『看護学テキストNiCEリハビリテーション看護』[編集]など多数。趣味は、読書、韓流、ジェフ千葉の応援、料理。

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