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第4回:韓国ドラマ『ミセン』にみる新人の機能

第4回:韓国ドラマ『ミセン』にみる新人の機能

2022.07.21酒井 郁子(千葉大学大学院看護学研究院附属専門職連携教育研究センター センター長・教授)

 お暑うございます。カピバラです。今回は韓国ドラマをネタに、組織にとっての新人の「機能」を考えてみたいと思います。皆さんの職場、あるいは実習施設の新人はフィットしてきましたか? なかなか調子が出ない新人もいるかもしれませんね。

韓国ドラマとのつきあい

 わたしは2020年のコロナパンデミック第1波のステイ・ホーム中に、『愛の不時着』をうっかり見て、そこから韓国ドラマの沼にはまり込んだ典型的なにわか韓国ドラマ視聴者です。『愛の不時着』から入ったもんだから、しばらくラブコメ、ラブロマンス専門で、そんな時間あるなら論文書けよ、と自分の中のホワイトカピバラがつぶやくのも無視して古いのも新しいのもとにかく見続けたのでした。かなり自分的に韓国恋愛系ドラマに関して“ダムに水がたまった”状態となった2022年3月に、韓国ドラマメンターのお友だちから強く勧められた、『ミセン』を見ることにしたのでした(いつか機会があれば、韓国恋愛ドラマレビューもしたいと思ってます。需要ある??)。

『ミセン』とは、なんの話?

 総合商社・ONE INTERNATIONALの営業3課に、高卒のチャン・グレ(演じるのはイム・シワン)が契約社員として配属されてきます。チャン・グレは幼いころから棋士を目指していたのですが、家庭の事情でその道をあきらめアルバイト生活を送っていました。しかし母親の伝手でコネ入社。そしてそこから組織内のあれやこれやが起きて登場人物たちが悩んだり喜んだり、因果応報の結果を引き受けたりしつつ、チャン・グレが新人から職業人として成長していく過程をていねいに描いています。韓国ドラマあるあるの恋愛要素も記憶喪失も交通事故もほとんどなし(カピバラはこのあるあるがけっこう好きでござる)ですが、一気に完走できること間違いなしです。韓国では2014年10月から12月に放送され、韓国国内にミセンシンドロームを巻き起こし、いろんな賞をとりました。日本では2016年に公開され、現在は各種動画配信サービスでも配信されています(ちなみに、同じく2016年には日本版ドラマ『HOPE~期待ゼロの新入社員』も放送されました)。

「おれたちはまだミセンだ。」

 キーワードである「ミセン」。漢字で「未生」と書く、韓国における囲碁用語です。碁盤の中で、死ぬ石なのか完全に生きる石なのかまだわからない“弱い石”を意味する言葉です。碁盤の石にはすべて打ち手にとっての意図と意味があり、弱い石にもまた何かの働きがあるというようなことを指しているのかなと思います。チャン・グレは社会経験も学歴もないまま総合商社に入社して、コピーの取り方もわからない状態で毎日右往左往しながら仕事を覚えようと必死です。そんな中、上司であるオ課長が会社の屋上で「とにかく踏ん張れ、おれたちはまだミセンだ」と、チャン・グレに声をかけるのです。
 この話だけ聞くと上司が熱血に励ましているような印象をもたれるかもしれないですが、このシーンのポイントは、オ課長が「おれたちは」と言っていること。新人も課長も「ミセン」だと。仕事というのは能力が上がるほどに次のステージが待っていて、そのステージではやはりミセンの状態から始まるのだと言っていると思います。キム代理(「代理」は職位の一つです。代理→課長→次長→部長と職位が上がっていきます)がチャン・グレにやはり「おれたちは成功とか失敗ではなく、死ぬまで扉を開け続けていくんだと思う」と、「おれたち」という言葉を使っています。新人と共に歩む上司たちのセリフが響きます。

新人の座敷童的機能

 ところで、チャン・グレはプロの棋士を目指していた人なので、リフレクションの能力がものすごく高く、かつ最適解に最短時間で到達する思考力をもっているミセンなんです。その結果、組織にとってこれまでにない視点でのアクションを取っていき、営業3課の座敷童的存在になっていくのです。つまりチャン・グレのやることは部署にとって幸運を運んでくることが多いんですが、その一方で彼には契約社員という立場が付きまとい、組織の“中の人”になり切っていない。組織と社会との境界にいて、組織内の人にとって「なんでそんなことを?」と驚くようなことをしでかすことも多いのです。

 岩手県や青森県に伝わる妖怪伝説・座敷童。いたずら好きでいろんなことを家の中でしでかすんですが、座敷童のいる家は栄え、座敷童の去った家は衰退するという言い伝えがあり、家の盛衰をつかさどるものとして意味づけられています。座敷童を信仰の対象として毎日小豆ご飯をお供えし、このお供え物が減らなくなったら座敷童が去る前兆だと言い伝えている家もあるくらいです。
 チャン・グレという新人は、言わば異界から来た存在であり、生きる石なのかどうかわからないどっちつかずのミセンです。そのどっちつかずの異世界の存在が、部署の中で生かされるのかは、組織が新人を承認するのかにかかっているとも言えますし、新人が不条理や汚さも含めて組織を承認し、ここでこの仕事をやっていこうと思うのかにかかっているとも言えます。座敷童的機能というのは、組織と新人の相互承認状況の判定機能であると思います。

若手が職場を去るわけ

 たとえば、看護師が1,000人くらいの大規模な病院組織では毎年100人程度の新人職員を採用します。つまり毎年100人程度その組織を去るので離職率10%です。その退職者100人を分類したことがありますが、A 群:人事担当者や同僚にはよく理解できない不思議な理由で1年目から2年目のあたりで退職する10人、B 群:組織はやめてほしくないが落ち着かなくなって退職する3年目から5年目くらいの20人、C 群:次のキャリアステップが明確で退職する70人と、ざっくり分けられるようでした。
 A 群離職者は、組織に「ここに座敷童がいる」ということを承認されず職場を去ってしまう。B 群離職者は組織を承認できずに去ってしまう…。
 C 群の場合は看護師としての成長のために必要な退職ですから、お互いに笑ってさよならして、この先ご縁があればまた一緒に何かやれるかもしれないですね。看護師としてのキャリアは継続するわけなので看護界全体の資源が減るわけではありません。

B 群の離職を防止するには

 3つのグループのうち、B 群の離職率は減らすことが可能だと思います。毎日きっちり仕事をしてふるまいになんの問題もなく、組織としてはこの先戦力になってくれると期待していたB 群。しかしB 群たちは、「この組織にいても、何者にもなれないかも」と思わせられることがたくさんあったのかもしれません。今の職場環境が悪いわけではない(心理的安全性が高い)が、このままいても自分の成長はないと思う(キャリア安全性が低い)、同期はどんどんやりたいことをやって自分は後れをとっている(ように見えてしまう)という状態です。

 『ミセン』でいうとドラマ前半のチャン・ベッキ君みたいな状態。すみません、見てない方には通じないですね。チャン・ベッキ君はチャン・グレと同期のエリート新人で、まさにB 群離職者予備軍です(2人とも「チャン」でまぎらわしいですね)。自分自身への期待と、同期への羨望と現実のはざまでぐるぐるしているんですが、はた目には順調に見えるし、将来を嘱望されている。しかしベッキ君の上司であるカン代理は、そんなベッキ君を甘やかすことなく「基礎ができていない。仕事用の文章をちゃんと書けるようになること」「人からどう見られようと関係ないんです。華やかじゃなくても必要な仕事をやることが大切なんです」と言って、毎日文章の添削トレーニングを課し、淡々とフィードバックを続けます。カン代理は組織の中で目立つ存在ではなく、ベッキ君はそんな地味な上司のもと、不満たらたらで文章トレーニングを続けるわけです。トレーニングの甲斐があり、少しずつ仕事用の文章もうまくなってきたある日、社内で緊急事態が勃発し、ベッキ君はカン代理に「どうしたらよいでしょうか?」と素直に教えを乞うことができました。それに対してカン代理は的確に指示をしたあと、「ベッキ君、またあした会いましょう」と言ってさわやかに去っていくんですね。ここがまさに「相互承認」が成立したシーンだな、と感動したカピバラでござった。「またあした会いましょう」という言葉には、あなたが組織にいることが当たり前なんだよ、あなたのbeingを全面的に承認するよ、という意味がこめられているなあと思ったのでした。
 こうやってベッキ君は先輩を信頼する(ひいては組織を信頼する)ことを学ぶのですが、そこに至るまでにカン代理は過干渉にはならない程度に適切な支援をし続けます。それが蓄積していくことでベッキ君は組織を承認できる、つまり先輩を頼ることができるようになるんですね。そしてベッキ君はこの会社で仕事を続けていこうと思うようになっていく。

A 群離職者予備群が組織に与える大切な影響

 A 群離職者の数は、組織が職員の座敷童状態を許容できるかどうか、という組織の寛容さや余裕を表しているのではないかと思います。A 群の離職人数が多いということは、組織の伸びしろがなく、ぱっつんぱっつんな状態を示しているのではないか、と。そのような組織では新しいチャレンジなどできませんよね。チャン・グレは営業3課が大切している座敷童です。チャン・グレがいることにより先輩たちは何かに感謝したり謙虚になったり、仕事に真摯に向き合うことを思い出したりします。座敷童的存在を許容し、良い影響を与えられていることをどこかで認めています。
 何者かになるのか、あるがままに生きるのかまだわからず毎日を過ごしているそんなミセンたちの離職が多くなってきたら、組織を振り返るチャンスなのかもしれません。碁盤におかれた石の一つひとつには大切な意味があります。ミセンを生かすにしろ死なせるにしろ、組織とミセンの両方にとって良い形での着地ができるようにしていくことが組織管理の面からは必要になるのかなって思います。

 自律とは自分の中で完結する自己決定ではなく、相互承認です。新人が自律しない、という悩みがある場合、組織は新人の「ありたい」自律を承認しているのか、新人から組織の自律(組織の決定)が承認されているのか、という2つの視点で点検することが重要かなと思います。
 そのような視点でいうと、一人前の国家資格を有する看護師に、1年生、2年生と呼びかけるなどをまずやめるというところから取り組みたいものです。新人は学生ではない。同じ看護師であり、「わたしたち」はミセンです。一人前の看護師として遇し、かつ、お互いにまたあしたと言えるような組織には、相互承認があるのかなと思います。

 

酒井 郁子

千葉大学大学院看護学研究院附属専門職連携教育研究センター センター長・教授

さかい・いくこ/千葉大学看護学部卒業後、千葉県千葉リハビリテーションセンター看護師、千葉県立衛生短期大学助手を経て、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(保健学博士)。川崎市立看護短期大学助教授から、2000年に千葉大学大学院看護学研究科助教授、2007年同独立専攻看護システム管理学教授、2015年専門職連携教育研究センター センター長、2021年より高度実践看護学・特定看護学プログラムの担当となる。日本看護系学会協議会理事、看保連理事、日本保健医療福祉連携教育学会副理事長などを兼務。著書は『看護学テキストNiCEリハビリテーション看護』[編集]など多数。趣味は、読書、韓流、ジェフ千葉の応援、料理。

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