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最終回:これからの学生支援~ケアとしての教育をめざして

最終回:これからの学生支援~ケアとしての教育をめざして

2022.06.01三森 寧子(千葉大学教育学部 准教授)

新年度がスタートし、4月、5月は学生も教員も何かと落ち着かない日々が続いていたのではないでしょうか。本企画ではおよそ2ヵ月間にわたって学生支援について取り上げ、いろいろな立場の専門家より貴重な示唆をいただきました。読者の方々はどのようなご感想、ご意見をもたれたでしょうか。最終回となる本稿では、これからの学生支援のあり方についてまとめ、“ケアとしての教育”について筆者の考えを述べたいと思います。

企画:三森寧子(千葉大学教育学部 准教授)

 

学生の生き方を支援する

 つい先日、本企画の座談会の記事を読み返しながら、改めて我々教員の役割は何かと考えていたところに、「進路について相談したい」と学生からメールがあった。自分が所属する研究室を決め、大学生活の後半をより専門的に学ぶ時期を迎えた3年生である。その学生は養護教諭ではなく、公務員試験を受けようか迷っており、その試験対策のための講座を受講すべきか悩んでいるという。これまで本企画でも触れてきたように、看護師になりたい、養護教諭になりたいと思って進学しても、3年ないし4年間の中で将来の方向性を変更する学生は少なくはない。筆者はどうキャリア支援できるか、入学時からその学生に起きた変化や公務員への志望理由など興味をもって面談に臨んだ。
 しかし、その学生から語られた言葉は、筆者が(勝手に)期待していた内容ではなく、現在の交際相手との将来を考えて異動がある公立学校の教員になるのはやめたということであった。学生自身のライフプランを考えてのことであり、大事な意思決定であると思う反面、公務員を選択する明確な理由はないという本人の回答に、筆者はどのように反応すればよいか困惑してしまった。
 話を聞いていく中で、高校での進路決定時に「保健室の先生ってよさそう」とあまり深く調べずに大学を受験したことや、コロナ禍での入学後、ほぼオンラインで丸2年間勉強してきたが、興味をもって学修できていないことが語られ、それならば他学部へ行くか養護教諭免許をとらずに卒業するかなど考えるようになったということであった。
 この学生がこれまで生きてきた中で、自分のキャリアを考える機会はあったはずである。キャリア教育という言葉自体は、文部科学省1)が小学校の段階から児童生徒の発達段階に応じた組織的・系統的なキャリア教育が必要であるとして、小・中・高等学校においてさまざまな取り組みが推進されている。しかし、高校入試、大学入試に際して進学のことは考えられても、自分自身がどう生きていきたいか、という問いには向き合ってこなかった、もしくはそういった支援を受けてこなかったのかもしれない。
 エリクソンは青年期の発達課題を「自我アイデンティティ」としている。人間としての生き方を踏まえ、自分を見つめ、自己のあり方に関する思考をめぐらせ、「自分とはこうである」とアイデンティティを確立できるか、「自分は何者なのか?」とアイデンティティの混乱を招くのか、その課題の達成によって変わってくる。そのような、人生において重要な時期にある学生に対する支援を考えると、矢野香先生が示してくださった“生き方を支援する”という視点(第5回座談会(2)参照)が重要であると改めて考えさせられる。「どう生きていきたいか」について個別に対応することも必要であるが一方で、キャリア教育という教育の一環として大学の授業に位置づけることで、学生一人ひとりのキャリア支援につなげていく長崎大学のような取り組みが、高等教育においてさらに推進されるべきであろう。

教育をとおして学生の学びを支える

 本企画をとおして改めて筆者が考えさせられたこととして、教員が行わなければならないのは教育であるということである。教員とは「学校に勤務して教育を行う人。教師。教育職員」(広辞苑第7版より)である。つまり、我々教員は、学生に対して教育という行為をとおしてかかわらなければならないといえる。
 川越明日香先生にはカリキュラムで学生を支えることを、具体的な実践例とともに示していただいた(第4回座談会(2)参照)。教養教育における複数の科目をひとかたまりの科目群として、専門分野が異なる複数の教員が担当することで、学生は幅広い価値観に触れることができ、充実した学びにつながる。また、一人の学生について複数の目で見ることで教員同士のコミュニケーションのきっかけになったり、情報を共有することで教員も一人で抱え込まずにサポートできたりといった成果が得られているとのことである。
 また、池口佳子先生からは、学生の主体性を導き出すLA(ラーニング・アシスタント)のシステムについてご紹介いただいた(第3回座談会(1)参照)。教育の一環として、学生同士が共に学ぶ機会を大学として保障し、提供することそのものが学生支援にもなっているのである。
 授業づくりや実践など教育活動は、教員一人ひとりの努力も重要だが、カリキュラムや制度といった学校や大学が学びの仕組みをつくることも重要である。とくに資格取得を目指している看護学生は学ぶ目的が明確であり、その目的を達成するための教育そのものを充実させることが学生たちのモチベーションを高め、学生生活の支援に直結すると考えられる。筆者自身、大学教員としてさらに教育に注力すべきことを再確認し、教育方法について探求していかなければならないと考えている。

教育を語るコミュニティをつくる

 よりよい学生支援のために学校や大学として支援のフレームをつくる一方で重要となるのが、そのフレームの中で教育を行う者同士のコミュニティである。一人の教員が個別に対応することは負担も大きく限界があるが、教員同士で自分が抱いている悩みや思いを共有できること、相談できることで、教員の精神的な負担も軽減されるであろう。川越先生が挙げてくださった「パッケージ制」のように一つの授業を複数の教員で担当することは、コミュニティ形成につながり、学生にとっても教員にとってもメリットがあるといえる。
 ところで、初中等教育に携わる教員のメンタルヘルスは、年々深刻化している。その主な要因は、「異動に伴う環境の変化」「生徒指導上の問題」「特定の保護者からのクレーム」によるストレスであり、「同僚性(教員同士の協力体制)」と「管理職の対応」がストレス軽減に重要といわれている2)。本企画第1回で指摘したように、学生対応に困難さを抱く大学教員が増えていることからも、高等教育を担う教員も少なからず似たような状況に陥りかねないと考えると、「同僚性」は必然的に求められると考える。教員が自分のゼミや授業科目の中で気になることを誰かに話したり、悩んだときに相談したりできれば、自分一人で抱え込むことなく負担感も軽減する。筆者自身、一歩も自分の研究室を出ない日があったり、学生以外誰とも話さない日があったりすると、「自分はこのままでいいのか」と社会に取り残された気持ちになる時がある。とくにコロナ禍ではそれが顕著であったが、オンライン授業のやり方やつくり方から、学生のこと、日々のことまで気軽に話ができる教員組織であることが望ましいと考える。そのような教員間の雰囲気は学生にも伝わるものであり、良好であれば学生も安心するのである。もちろん個々人の性格的な部分もあり、強制はできないが、教育に対して自分が思っていることや考えていることを自由に共有できるコミュニティづくりは学生支援には重要であるといえる。

学校や大学におけるケア機能への期待

 最後に、筆者自身が大事にしているテーマである「ケア」について触れたい。「ケア/ケアリング」は看護に携わる人ならば、おそらく日常的に使用する言葉であり、看護実践に欠かせない重要な概念である。そのため、ここで改めて取り上げる必要はないかもしれないが、本企画第3回で池口先生が書かれた冒頭の言葉にあるように、「看護」と「教育」は似ているのである。つまり教育においても「ケア/ケアリング」という概念が重要であるということである。
 ネル・ノディングス3)は、教育の主な目的は道徳教育にあるべきであり、ケアし、愛し愛される能力のある個人の成長を育むことにあるべきであると主張している。人は、ケアしケアされることによって責任ある人生を創造するのであり、愛する人、愛されるべき人に成長することによって幸福な人生を創造すると言及している。そして、教育が人生の幸福を目的とするならば、学校教育はその目的を実現する源であるケアリングを中心に再構成されるべきであり、ケアの認識と実践によるものである。つまり学校そのものがケアリングに基づいて組織されるべきであると論じている。
 加えてノディングス3)は、ケアリングの本質的な要素は、「ケアする者」と「ケアされる者」とのつながり、出会い、関係であると述べている。ケアされる者がケアリングを受容し、この受け容れられたという承認を受け、ケアする人は専心没頭において承認そのものを受容し、ケアされた者はケアされたことに応答することでケアリングが完成する。すなわち教員がケアしようと試みても、もし相手の児童、生徒、学生に受け入れられなければその教員はケアしていないことになるのである。
 教育の主体である学校や大学と学生との間に「ケアリング」の関係は成立しているのだろうか。学校や大学のカリキュラム、規則、評価のシステム、設備などが学生に対するケアを支えるものになっているのか、むしろケアを阻害するものになっていないだろうか、組織として見直す必要があるだろう。また、我々教員は、教育を行う相手がいるからこそ教員として自身のアイデンティティが成立する。学生がいなければ教育が行えず教員とはいえないのである。そのように考えると、教員は学生に対してケアするという認識とその実践が求められるであろう。ノディングスの言葉を用いれば、ケアリングが機能する学校組織において、教員一人ひとりがケアに基づいた教育を行うことが、学生の人生の創造に貢献するのではないだろうか。
 よりよい教育のあり方を考えるとき、この「ケア」の考え方を適用することで、自ずと学生支援につながるものであると考える。「ケア」に基づいて学校としてカリキュラムや制度、設備などの組織体制をつくること、教員同士がケアし合うコミュニティをつくること、個別のケアを行うことが、学生の幸福を願い、人生を支えることになるだろう。そのような実践ができる教育者でありたいと、改めて思う。

引用文献
1) 文部科学省:キャリア教育の推進について,https://www.mext.go.jp/apollon/mod/pdf/mext_propulsion_20180223.pdf,アクセス日:2022年5月24日
2)保坂亨:教員のメンタルヘルス問題を構造的にとらえる;教職員の健康・学校組織の健康,日本教育経営学会紀要52:129-133,2010
3)ネル・ノディングス,佐藤学 監訳:学校におけるケアの挑戦;もう一つの教育を求めて,ゆみる出版,2007

 

三森 寧子

千葉大学教育学部 准教授

みつもり・やすこ/聖路加看護大学(現 聖路加国際大学、以下同)卒業後、聖路加看護大学大学院看護学研究科・千葉大学大学院教育学研究科修了(修士〔看護学・教育学〕)。虎の門病院分院 肝臓内科・脳神経外科病棟に2年間勤務したのち、都内私立中高一貫校で養護教諭として4年間勤務。出産を経て再び都内私立中高一貫校で養護教諭として勤務。その後、聖路加看護大学地域看護学教室に着任。2019年4月より現職。日本公衆衛生看護学会理事、日本養護教諭養成大学協議会理事、区立中学校学校評価委員、保健師助産師看護師国家試験委員(2021-2022年度)。著書に『みんなでつくる学校のスポーツ安全』(少年写真新聞社、2020年)[共著]、『学校の事例から学ぶ フィジカルアセスメント ワークブック』(北樹出版、2018年)[分担]。趣味は食に関すること(食べること、作ること)。

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