今回はちょっと趣向を変えてみましょう。感染症に関する難読文字や四文字熟語など、ちょっとマニアックなものを集めてみました。名付けて「感染症・漢和辞典」。
短め(2~4文字)の病名編
まずは短めの難読漢字から。いろんな病気の名前にはもちろん「やまいだれ」の漢字が多く見られ、その中には難しい漢字がたくさん出てきます。看護師国家試験はEPA(経済連携協定)に関連して外国の方も受験されますので、難読漢字には英単語を併記することになっていますが、日本人にとってもなじみの少ない漢字がいっぱいありますね。とくに感染症関連といいますと、次の2つの「やまいだれ漢字」は避けて通れません。
【癤】せつ、【癰】よう
ともに、おもに黄色ブドウ球菌による皮膚感染症(図1)の病名です。癤(せつ)はいわゆる毛包炎でして、ひとつの「毛穴」が黄色ブドウ球菌の感染を受けたものです。私もたまに、鼻の頭が赤く腫れることがあります。これ、面疔(めんちょう)っていいますが、実はこれも癤の一種です。関西弁では「めんちょ」っていいます。そういえば面疔の「疔」も、やまいだれ漢字ですねぇ…。
癤がさらに進展し、複数の毛穴に炎症が広がったものが癰(よう)です。私の出身地周辺ではとくにお尻にできた腫れ物のことを「でんぼ」と言っていましたが、まさにこれが癰です。椅子に座るときに痛いんですよねぇ…。ただ関西地方では、場所を問わず腫れ物・できもののことを一般的に「でんぼ」というようです。臀部の腫れ物だけをでんぼというのは、私が生まれ育った大阪市住之江区安立(あんりゅう)町周辺だけのものか、それとも私の勘違いだったのか…両親が生きていたら確認できたのですが…。
【鵞口瘡】が・こう・そう
つぎはユニークな三文字・四文字熟語、行ってみましょう。
真菌による口内炎(口の周りの炎症、図2)です。原因はおもにカンジダ属の真菌です。乳児・幼児が感染することが多いです。真菌というと日和見感染症か!? と思われるかもしれませんが、鵞口瘡は免疫機能が正常な宿主でも罹りますので、あまり心配はいりません。鵞口瘡の「鵞」は、がちょう(鵞鳥)を意味します。、なかなか難しい漢字ですが、病気と鵞鳥、なんか関係があるんでしょうか。
【裏急後重】り・きゅう・こう・じゅう
文字面だけではなんのことだかさっぱりですね。英語ではテネスムス(tenesmus)といいますが、試験で「裏急後重(tenesmus)」って併記してくれても、どっちも分からなければお手上げですねぇ…。これ、「しぶり腹」のことです。トイレに行きたいけど、行って座ってみても便があまり出ない。かといってトイレから出てくるとすぐにまた行きたくなる…、という状態です。ツライですねぇ…。中医学(中国を中心に用いられてきた伝統医学)で「裏急」はトイレに急げ~という状態、「後重」は、かといってあんまり便が出ない状態、なんだそうです。なるほど、字の通りですね。
この裏急後重、潰瘍性大腸炎のように、感染症以外の病気でも起こることはあるんですが、感染症では「赤痢」に典型的な症状とされています。赤痢といっても原因は2つあります。細菌である赤痢菌によって起こる「細菌性赤痢」と、原虫である赤痢アメーバによって起こる「アメーバ赤痢」です。そうです、第7回で赤痢菌の発見者は志賀潔で、菌の学名はShigella dysenteriae、っていうお話しをしましたよね。細菌性赤痢はその名のとおり「血便」が出るんですが、イチゴゼリー状とかイチゴジャム状とかいわれる「粘血便」であったり、そこに膿(うみ)が混じった「膿粘血便」であったり、というのが志賀赤痢菌S. dysenteriae(赤痢菌のA亜群)による細菌性赤痢における典型的な症状です。しかし最近のわが国の細菌性赤痢では、輸入例でも国内例でもD亜群であるS. sonnei(ソンネ菌)によるものが多くなり、その場合はちょっと柔らかい便であったり、まったくの普通便だったりすることもあり、明らかに軽症です。気がつかないうちに罹っている人もいるかもしれません。
【後弓反張】こう・きゅう・はん・ちょう、【牙関緊急】が・かん・きん・きゅう
こちらもなかなかの四文字熟語でしょ。これらはいずれも同じ疾患の症状を表しています。その疾患とは「破傷風(はしょうふう)」です。
破傷風は偏性嫌気性菌である破傷風菌Clostridium tetaniが原因菌です。破傷風菌は土中などの常在菌で、傷口から侵入します。イヌなどに噛まれた傷口から侵入することもあります。破傷風菌は偏性嫌気性菌ですので、傷口が閉じて嫌気的な環境になったとき増殖し、毒素(破傷風毒素=テタノスパスミン)を産生します。この毒素が全身に回ると強直性けいれんの原因になります。とくに背筋が強く収縮することから、体が「えび反り」みたいな格好になります。これが「後弓反張」ですね。また、口を閉じる咬筋(こうきん)が過緊張しますので、口を開けたくても開けられず、堅く閉じたようになります。これが「牙関緊急」です。さらに…
【痙笑】けい・しょう
こちらは二文字熟語ですが、顔の表情筋も強く収縮するために、引きつったような笑い顔に見える独特の表情になります。これが痙笑ですね。図3はこれら3つの症状が揃った典型的な破傷風患児の写真です。
破傷風はトキソイドといって、破傷風毒素をホルマリンで不活化したものをワクチンに用います。一般的には4種混合ワクチン(破傷風、百日咳、ジフテリア、ポリオ)として接種されます。近い将来、ヒブワクチンを加えた「5種混合ワクチン」が定期接種で使えるようになりますので、定期接種の接種回数が少し減ると思います。注射は誰だってイヤなので、接種回数が少しでも減るのはいいですね。また、破傷風の治療には抗毒素血清が用いられます。これはヒトで作られた製剤がありますので、異種動物のタンパク質によるアレルギーである「血清病」の心配はなく、安全に使用することができます。
【硬性下疳】こう・せい・げ・かん
こちらも「やまいだれ」の漢字が1つ入った4文字熟語です。下疳(げかん)というのは陰部の潰瘍のことなんだそうで、この病気の場合は、その潰瘍底がやや硬いため、硬性下疳と呼ばれるようになりました。そうです、第4回でも出た梅毒の症状のひとつですね。第1期梅毒の典型的な症状です。硬性とわざわざ言っているということは、軟らかいのもありそうですね。そうです…
【軟性下疳】なん・せい・げ・かん
梅毒の硬性下疳と同様、陰部に潰瘍ができる病気ですが、梅毒のそれと比べて潰瘍底は軟らかいためこう呼ばれます。こちらはその名も軟性下疳菌Haemophilus ducreyiによる疾患です。硬性下疳が梅毒による「症状の名前」であるのに対して、軟性下疳は「病気の名前」です。軟性下疳は梅毒とはまったく別の病気です。
長め(9文字以上)の病名編
ここからは、私が思いつく長い病名の感染症をピックアップしてみました。 最近の感染症の病名は長くなってしまうことが多いようです。たとえばSARSは英語でsevere acute respiratory syndromeですので、日本語では「重症急性呼吸器症候群」ですね。漢字10文字。英語の直訳だから長くなるのかもしれませんね。
【亜急性硬化性全脳炎】あ・きゅう・せい・こう・か・せい・ぜん・のうえん
麻疹が治癒したあと数年から十年以上経ったあとに発生する脳炎です。subacute sclerosing pan-encephalitis、略してSSPEと呼ばれます。こちらは9文字。
【進行性多巣性白質脳症】しん・こう・せい・た・そう・せい・はく・しつ・のう・しょう
SSPEと同じウイルス性の脳炎・脳症で、SSPEと同じように潜伏期が長く、このような疾患を「スローウイルス感染症」と呼ぶことがあります。こちらはJCウイルスによって起こります。progressive multifocal leukoencephalopathy、略してPMLですね。こちらは10文字です。
【重症熱性血小板減少症候群】じゅう・しょう・ねっ・せい・けっ・しょう・ばん・げん・しょう・しょう・こう・ぐん
おもに西日本で、野ダニであるフタトゲチマダニ(図4)などによって媒介されるウイルス疾患です。
その名の通り発熱と血小板減少が主な症状である疾患です。英語ではsevere fever with thrombocytopenia syndromeかな?でSFTSと略されます。原因ウイルスはSFT+ウイルス(SV)でSFTSVですね。特異的な治療法がないのでときに致死的な疾患です。12文字。
【劇症型溶血性連鎖球菌感染症】げき・しょう・がた・よう・けつ・せい・れん・さ・きゅう・きん・かん・せん・しょう
13文字です。一時期「人食いバクテリア」による感染症ということで、マスコミでセンセーショナルに取り上げられたことがある疾患です。最近でも2023年に報告された感染者数が過去最多を記録したとかで、話題になっていますね。
A群溶血性レンサ球菌は一部の人のノドに常在することもある、ポピュラーな細菌で、普通は咽頭炎を起こしたり、皮膚に膿痂疹(とびひ)を作ったりします。ところが、まれに軟部組織の壊死、とくに筋肉に壊死性筋膜炎を発症したり、腎不全やショックなどを起こすことがあります。これが劇症型溶血性連鎖球菌感染症なんです。なぜ重症化するのか、宿主側の要因と細菌側の要因がいろいろ考えられていますが、確定的なことはまだ分かっていません。わが国では劇症型、あるいは重症侵襲性連鎖球菌感染症severe invasive streptococcal infection (disease)と呼ばれることが多いですが、欧米では、黄色ブドウ球菌が起こすトキシック・ショック症候群toxic shock syndromeに類似しているため、toxic shock like syndrome (TSLS:トキシック・ショック様症候群)とか、連鎖球菌性トキシック・ショック症候群streptococcal toxic shock syndrome (STSS)と呼ぶことが多いようです。
私が思い浮かぶ漢字の感染症名の中では「劇症型溶血性連鎖球菌感染症」が13文字でもっとも長いのですが、ちょっと後ろめたいというか、ごまかしていることがございます。実は、「連鎖球菌」は細菌学的には「レンサ球菌」と書かれることが多いのです。一部をカタカナで書くのは「ブドウ球菌」と同じですね。正式な和名に根拠を求めるのはなかなか難しいのですが、この連載でよく出てくるわれわれ微生物学者のバイブル、『戸田新細菌学(改訂34版、南山堂)』では、「レンサ(連鎖)球菌」と書かれていますので、やはり一部カタカナ書きが優勢でしょうか。そうなると、この病名も「劇症型溶血性レンサ球菌感染症」になっちゃって、純粋な熟語ではなくなってしまうのです…。