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第4回:昔の新興感染症・現在の再興感染症―梅毒のおはなし

第4回:昔の新興感染症・現在の再興感染症―梅毒のおはなし

2023.06.01中野 隆史(大阪医科薬科大学医学部 教授)

 今回は「古くて新しい」感染症、梅毒のお話しをしましょう。
 梅毒は性感染症(*1STD = sexually-transmitted disease(s))のひとつで、おもに性行為で感染します。しかし母子感染もありえまして、その場合は先天梅毒といわれます。梅毒は単純なペニシリンで治せる、今となっては数少ない感染症のひとつですが、ペニシリンは妊婦に投与しても安全な抗菌薬であることが証明されていますので、妊婦をペニシリンで治療することで母子感染も予防できます。

*1STD:無症候性キャリアの時期があるHIV感染症やB型肝炎が重要なSTDであることから「disease」という言葉に違和感がもたれるようになり、症状が出ていない感染状態も含めるために、徐々にSTI = sexually-transmitted infectionと呼ばれるようになってきています。
 

15世紀、梅毒の登場

 梅毒は15世紀の終わり、ヨーロッパに忽然と出現した感染症です。つまり当時は「新興感染症」だったわけです。その発生起源については、ちょうど1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見したことから、梅毒はアメリカ大陸の病気であったものがヨーロッパにもたらされたのだという「新大陸説(the new world theory)」を提唱する研究者がいます。そうではなく、梅毒はもともとヨーロッパの特定地域のみに存在していた風土病であり、人々の移動によって都会にもたらされて全国に拡がったという「旧大陸説(the old world theory)」を唱える人もいます。今となってはどちらが正しいのか分かりません。
 当時、梅毒はイタリアではフランス病、フランスではナポリ病などと呼ばれ、各国がお互い他国を「ディスっている(軽蔑している)」ような、さまざまな病名で呼ばれていましたが、その後、伝説上の羊飼いの名前を取ってsyphilisと呼ばれるようになりました。現在の日本では「梅毒」といわれますが、江戸時代では「唐瘡(とうがさ)」と呼ばれていたようです。

 第2期梅毒の代表的な症状に「*2バラ疹」というのがあります(そのため第2期のことを「バラ疹期」ともいいます)。これはバラの花びらを肌にちりばめたような発疹という意味で、ですから病名に入れるなら私は「バラ(薔薇)」だろうと思いますが、どうして「梅」が入っているのか、実はよく知らないのです、すみません・・・

*2バラ疹は腸チフスなどでも見られます。
 

「交流」によって広まった病

 当時のヨーロッパはルネッサンスの時代で、おそらく文化人がかなり「積極的な人的交流」をしていたのでしょう。性行為で感染する梅毒はまたたく間に当時の芸術家や政治家、宗教家などにまん延しました。私たち微生物学者がバイブルにしている教科書『戸田新細菌学』(南山堂,改訂34版)には、当時梅毒に感染した有名人の名前がこれでもかというほど列挙されています。曰く、ボードレール(詩人)、ハイネ(詩人)、スウィフト(『ガリバー旅行記』で有名な作家)、ドストエフスキー(『罪と罰』で有名な作家)、ニーチェ(哲学者;脳腫瘍だったともいわれる)、ゴーギャン(画家)、マネ(画家)、ショーペンハウエル(哲学者)、シューマン(音楽家)、ヘンリーⅧ世、ローマ教皇アレクサンデルⅥ世、ユリウスⅡ世などなど・・・
 当時の文化人はサロンと呼ばれる社交場で知的な会話を楽しみ、情報交換をしていました。そこで梅毒の病原菌も「交換」されていたのでしょう。

図1 フリードリヒ・ニーチェの肖像
[鈴木創士:コラム第110回 ニーチェを讃える,2019年5月,現代思想新社ウェブサイト,〔http://www.gendaishicho.co.jp/news/n29706.html〕(最終確認:2023年5月10日)より引用]
図2 ロベルト・シューマンの肖像
[19世紀の音楽.音楽史について学ぶ,ヤマハ株式会社ウェブサイト,〔https://jp.yamaha.com/services/music_pal/study/history/19c/p6/index.html〕(最終確認:2023年5月10日)より引用]
 

16世紀、日本にたどり着いた梅毒

 梅毒が日本で発生した最初の記録は1512年です。1492年に梅毒がアメリカ大陸からヨーロッパにもたらされたという「新大陸説」を取りますと、そののちわずか20年でユーラシア大陸を横断したことになります。当時の東西交遊はシルクロードから航路への転換期で、バスコ・ダ・ガマのインド航路はちょうどこの頃に開かれています。しかしそれにしても、インフルエンザのような飛沫感染で拡がる感染症ではなく、性行為のみで伝播する梅毒が当時、たった20年でアメリカ大陸からヨーロッパ、そしてアジアを経て日本まで地球を4分の3周もしたことは驚きです。

 わが国に梅毒がもたらされた1512年というと、応仁の乱からそのまま戦国時代に突入という時代です。つまり戦国武将も梅毒に悩まされたことになります。
 第2回でご紹介した「どうする家康」の徳川家康の息子、結城秀康も梅毒であったことが知られています。
 秀康は家康の次男ですが(長男の信康は切腹させられ死亡)、豊臣秀吉の養子に出されています。なので秀吉と家康から一文字ずつ取って「秀康」という、なんとも因縁めいた名前になっているのです。名将であったとの話もありますが、残念ながら実父の家康には認めてもらえなかったようで、2代将軍には弟の秀忠が就任しています。彼は福井藩の初代藩主となりましたが、梅毒に罹ったこともあり、34歳の若さで亡くなっています。福井県庁敷地内には秀康の石像があります(図3)。

図3 福井県庁敷地内にある結城秀康の石像
[結城秀康像,福井市ウェブサイト,2016年4月5日,〔https://www.city.fukui.lg.jp/kankou/bunka/rekisi/zo-hideyasu.html〕(最終確認:2023年5月10日)より引用]
 

20世紀初頭、野口英世が梅毒の研究を進める

 ここで,第1回でちょろっと登場した、現在の千円札の肖像でおなじみ野口英世先生のお出ましです。
 彼は1911年、梅毒の病原体である梅毒トレポネーマの純粋培養に成功したと発表しましたが、現在ではヒトに梅毒を起こすトレポネーマ(T. pallidum subsp. pallidum)は純粋培養できないとされています。そのため、抗原抗体反応によって患者血清中に存在する抗体を検出するための抗原を準備するのが困難であり、代用抗原としてウシの心臓由来のカルジオリピン・レシチン・コレステロール抗原というものも用いられます。この非特異抗原を用いた血液検査をSTS =serological tests for syphilis(梅毒血清反応検査)といい、現在でも特異抗原を用いる検査と併用されます。ちなみにウシの心臓は「ハツ」と呼ばれ、ホルモン焼屋さんで出されますが、とてもおいしいですよ。

 黄熱の原因菌発見は、実は黄熱はウイルスが原因なので間違い、梅毒トレポネーマが純粋培養できたという発見も間違いとなると、野口英世の伝記を読んで微生物学者になった私にとってはとても残念なことなのですが、梅毒の晩期に出現する進行性麻痺や脊髄癆などの神経症状が梅毒によるものであることを証明したことは事実であり(1913年)、これだけとっても、とても大きな業績だと思います。
 アメリカ・ロックフェラー研究所における彼のニックネームは “human dynamo” =「人間発電機」だったそうですから1)、いかに精力的に研究に打ち込んでいたかが分かります。

21世紀、梅毒の再興

 実は現代、梅毒はまた急速に我が国で流行しています。大阪府の啓発パンフレットによると2010年から18年の8年間で大阪府下の感染者数は20倍になったとのこと2)。まさに「現代の再興感染症」であるといえます。
 梅毒の感染者の増加と、当時の急速なインバウンド(外国人観光客)の増加が同じ時期にあったことから、一部の週刊誌などでは梅毒が海外からもたらされたような報道をしていた時期がありました。その後、コロナ禍となり、人流も外国人観光客も急速に減少したため、梅毒の感染者数も減少傾向になりましたが、2021年、また増加に転じました(図4)。しかし、まだこの時期、コロナ禍の影響で外国人観光客はほとんど入国していなかったのです。

図4 近年の梅毒の届出患者数
[梅毒感染者、昨年最多の7873人…SNS通じ不特定多数との性交渉が増加か.読売新聞大阪版夕刊,2022年2月14日,第2社会面より引用]


 つまり、近年の我が国の梅毒の急速な増加は国内に原因があることが明らかだと思います。懸念すべきは感染者の年齢分布で、男性は20代から50代に広く分布しているのに対し、女性は20-24歳に高いピークがあります3)。異性間性的接触での感染拡大であるとすると、この年齢差をどう説明するか、私にはどうも分からないのです。またまた週刊誌ネタですが、「パパ活」が原因だと想像しているものもあります。果たしてこれが正解なんでしょうか・・・
 いずれにしても15世紀の「新興感染症」である梅毒が、この現代のわが国で「再興感染症」として再び問題になっていることを見ると、とくに性感染症の感染制御がいかに困難であるかということが理解できると思います。
 

引用文献
1)公益財団法人野口英世記念会:野口英世ってこんな人.野口英世記念館Webサイト,〔https://www.noguchihideyo.or.jp/person/〕(最終確認:2023年5月10日)
2)大阪府健康医療部保健医療室医療対策課感染症グループ:バイバイbai-doku,p.2,〔https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/6327/00181842/baidokuA4_just.pdf〕(最終確認:2023年5月10日)
3)梅毒感染者、昨年最多の7873人…SNS通じ不特定多数との性交渉が増加か.読売新聞大阪版夕刊,2022年2月14日,第2社会面

中野 隆史

大阪医科薬科大学医学部 教授

大阪医科大学(現・大阪医科薬科大学)医学部卒業後、同大学院医学研究科博士課程単位取得退学(博士(医学))。大学院時代にHarbor-UCLA Medical Centerに留学。同大学助手時代に国際協力事業団(現・同機構;JICA)フィリピンエイズ対策プロジェクト長期専門家として2年間マニラに滞在。同大学講師・助教授(准教授)を経て2018年4月より現職。医学教育センター長、大学安全対策室長、病院感染対策室などを兼任。日本感染症学会評議員、日本細菌学会関西支部支部長、大阪府医師会医学会運営委員なども勤める。主な編著書は『看護学テキストNiCE微生物学・感染症学』(南江堂)など。趣味は遠隔講義の準備(?)、中古カメラの収集など。

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微生物学・感染制御学の教員「とろろ先生」が、微生物や感染症について軽妙な語り口で綴ります。実際的なコラムや印象的なエピソード、明日使える豆知識などを通して、微生物や感染症の深い世界を覗いてみませんか。

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