臨床経験11年目のある時、かつての恩師から声をかけて頂き、私は看護教員として母校に戻ることになりました。それから20年以上、学生や患者さん、実習施設で出会う方々など、周囲の人たち、そして自分自身の思いや願いを大切にした教育の尊さを様々な出来事を通して実感し、それを実践できるように努めてきました。実習施設の方々と「一緒に学生を育てたい」という思いを共有できたこと、学生の援助を患者さんが喜びその後の生活に変化をもたらせたこと…うれしかった経験はたくさんあります。
そんな私のこれまでの看護教員人生の中で、最も忘れられない経験をひとつ挙げるのならば、ある学生との出会いと別れでしょう。決して喜ばしかった思い出だけではありません。回顧すると、自責や後悔の念がよみがえることもあります。それでも、リレーエッセイ企画のお話を頂いた時に感じた「この機会に、きちんと彼女と向き合いたい」という気持ちのままに、心の整理が付けられずにいた少し前までの自分に語りかけてみたいと思います。
病と闘いながら看護師を目指す教え子
その学生と出会ったのは教員3年目、母校から別の学校へ異動したばかりの暖かい春のことでしたね。1年生の担任となった私のもとに、「看護師になりたい」という輝くような気持ちを抱いてやってきた彼女。それだけに、入学後すぐの健康診断でX線写真に影が見つかり、精密検査をして腫瘍があることがわかった時、なんとやるせない気持ちになったことか。
ご家族とも相談したうえで彼女の思いを尊重し、可能な限り「看護師になる」という願いに彼女が近づけるように、学びを深めてもらおうと決めました。他の学生には絶対に悟られないよう配慮し、限られた教員のみが病について知っているという状況で、なんとか対症療法を受け続けながら、彼女は看護学生としての生活を送り始めたのです。
いつもクラスメイトに囲まれて楽しそうに昼休みを過ごしていた彼女。その年の冬、「みんなと食事をするのが辛い」と打ち明けてくれたのは、調子が良くない日には食べ物を飲み込めなくなっていたからでした。それから毎日、他に誰もいない保健室で、彼女とふたりでこっそりと昼食の時間を過ごしましたね。頑張り屋の彼女は、ふたりきりになった時だけ、ぽつりぽつりと秘めた本音を語ってくれたものでした。
「今の私は自分と向き合うことで精一杯」
家族との連携も密にして、最大限に支援して頂きながら日々の講義や演習にも参加していた彼女。ですが体力の衰えは否めず、夢に向かって突き進んでいく力も徐々に失われていくのが見て取れました。2年次の戴帽式に出られるだろうか、3年次の海外研修には参加させてあげられるだろうか。実習を何事もなくやり遂げることはできるだろうか。彼女の未来を案じ、悩み続けることしかできない毎日でした。
だからこそ、そのどちらも実現できた喜びは図り知れませんでしたね。戴帽式で看護師の夢に一歩近付く彼女の姿を見た時は本当にうれしかったものです。出席して頂いたご家族も同じ気持ちでいてくださったのではないでしょうか。オーストラリアでの海外研修に行かせてよいのか悩んだ時も、「絶対に行きたい」と言い切る彼女の強いまなざしを受けて、一緒に行けるようにと尽力しましたね。実習も他の学生たちと同じようになんとか乗り越えました。
しかし3年生の秋には、頻繁に輸血をしなければならないほどに、彼女の病は進行していました。実習が終わると、そのまま実習施設の外来で輸血を受け、そこから自宅に帰って次の日にまた学校に来る、といった生活が続いていたある日。もう少しで実習期間が終わるかというタイミングで、どんな時でも「頑張る」と笑っていた彼女の顔からは笑みが消えていました。気力で“頑張る”だけではどうにもならない現実に、彼女自身気が付いていたのでしょう。
「先生、先生たちはいつも『その人が何を願っていて、どうしたらその人らしく持てる力を発揮して暮らしていけるかを考えなさい』って言うけれど、今の私は自分と向き合うことに精一杯。正直、他の人の人生のことは考えられない」。彼女の言葉は、何年先の未来でもずっと、あなたの心に突き刺さり続けています。「大事だと分かっているのに、考える余裕がない。その余裕のなさがすごく苦しい」と話す姿に、かける言葉が見つかりませんでした。
ようやく絞り出した「看護師になるために人生を懸けて生きているあなたが患者とかかわることには、きっと意味があるよ」という言葉を、彼女がどう捉えてくれたかは分かりませんね。しかし、その後彼女がきっちりと単位を取り切り、国家試験にも合格して晴れやかな顔で卒業していった時、あなたは学生自身の若さと想像もつかないほどの努力、そして自分たちの“学生に看護師になってもらいたい”という思いの強さを確かに感じ取ったのではないでしょうか。
教え子が最も輝いた3年間
就職先の病院にも状況を理解して頂き、彼女は看護師として働き始めることができました。4月には初めてのお給料が、6月には初めてのボーナスが出たからと学校に挨拶に来てくれて、本当に誇らしくうれしい気持ちになりましたね。6月の訪問では、同席してくださったご家族が「娘の夢が叶っていくことが、親としては何物にも代えがたい喜びです」とおっしゃってくださいました。彼女とのかかわりの中で悩んだことは数知れませんでしたが、3年間後押ししてこられたことを純粋に「よかったな」と思えた瞬間でした。
その年の秋、彼女は亡くなりました。「最近顔を出さないな」とは思っていたところ、学校のすぐそばの病院に入院していた事実を逝去の後に知り、あなたは近くにいながら一度も訪ねられなかったことをさぞ後悔したでしょう。「こんなに近くにいたのに」「彼女は、連絡しなくても私たち教員が訪ねて来ると思っていたのではないか」と悔やみながら参列した葬儀で、ご家族からはたくさんの感謝の言葉を頂きましたね。その中には、あなたと一緒に保健室でお昼ご飯を食べていた時の話もありました。看護師として働けることへの喜びも伝わってきました。看護学生時代から思うように学べず歯がゆさを抱く毎日で、夜勤はできず、通院のため日勤帯の業務もままならない。それでも、彼女は立派に看護師として生きてくれました。
そして葬儀の会場で目にしたのは、学生時代の彼女を写したたくさんの写真でした。不安を抱えながら迎えたあの戴帽式、満面の笑みを浮かべて卒業証書を手にした晴れ姿…人生で一番輝いていたであろう3年間を、彼女はあなたとともに、看護の学び舎で過ごしたのです。
看護教員は、学生が「看護」を通して輝くための後押しをする仕事
見送ってから16年が経った今でも、当時かかわった一部の教員としか彼女の話をすることができなかったあなた。きっと心の中に渦巻く後悔や、どのような言葉で伝えればよいのかという迷いが、あなたをそうさせてきたのでしょう。
しかし、彼女とのかかわりは本当に苦く悲しいことばかりでしたか? 彼女の顔、そしてあなたが教えてきた学生たちの顔を思い浮かべてください。彼らは皆、それぞれの人生が「看護」を通して輝いていくことへの期待をもっていて、苦しみや葛藤も含め、その輝きは誰もに起こり得るのだと、あなたはすべての学生から教わってきたでしょう。そして、その後押しができる教員という仕事は本当に尊いものなのだということも、彼らが教えてくれているでしょう。それに気付くきっかけをくれた彼女に敬意を込めて、今のあなたの心の中では、彼女のことを語ろうという決心ができつつあるのではないでしょうか。
おわりに
今、私の周りには同僚となったかつての教え子が4人います。彼らが悩みながらも一生懸命に、わくわく生き生きと頑張る姿を見ていると、看護の道、そして看護教育の道を志してくれた喜びが湧き上がります。看護教育を通して、彼らの人生を豊かにする手助けができているのかもしれない、生き生きと生きる学生たちの人生のいろどりにかかわっているのかもしれないと、実感できたような気がしています。
これからも、学生たちが「看護」を通してそれぞれの人生を豊かに歩んでいくことを、支えていけるようにと願っています。