看護が看る相手は、何らかの潜在的・顕在的な健康上の課題があって、いつも通りの生活ができなくなっている、あるいは生活を変える必要がある人々です。課題となっている疾患や成長過程に伴う(例えば妊娠)特有な体の変化の他に、共通して起こる体の変化があります。この変化をしっかり理解しておくことは、看護にはとても大切です。
今回は『看護学への招待』(ライフサポート社・2015年)の第1部3章を一部改変の上転載します。
「食欲がない」「眠れない」「お通じがない」「風邪をひく」
「食欲がない」「眠れない」「お通じがない」という訴えを聞いたことがない看護職はいないと思います。もちろん「痛い」「苦しい」の方が切迫した訴えですが、「食欲がない」「眠れない」「お通じがない」は病者の訴えの定番です。
日常でも、体の変調や不調がある時、あるいは元気がない時、「食欲がない」「眠れない」「お通じがない」は経験することです。また、ここ一番という時に風邪をひいてしまった、あるいは、頑張って乗り切ったとたんに風邪をひいてしまったという「風邪をひく」話もしばしば耳にするでしょう。
「食欲がない」「眠れない」「お通じがない」「風邪をひく」の4つは、体という実体を持った丸ごとの人間の変調のバロメータです。私たちは内外の刺激に対して、自分でバランスを取って、ある一定範囲内の状況に自分を収める力があります(これを恒常性の維持と言います)。刺激があっても、これなら大丈夫、何とかなるという感覚を持てれば、医療機関にかからずとも、自分の調整力で回復できるのですが、さらに刺激が大きいと、恒常性が保てなくなり、バランスを崩します―これが病いの状態です。
ナイチンゲールはこの病いを、もう無理が利かなくなったので、休息して自分でバランスを取り戻しなさい、というサインだと説明しています。「(病気は)気づかれることなく起こっている、毒され衰弱する過程を治癒しようとする自然の働きなのであり」(『看護覚え書』)1)と述べ、病気は修復の過程だと言っています。何らかの刺激によって崩れたバランスを取り戻す回復過程、これが、命を守るための病気の意味だと説明しているのです。
バランスが崩れ、刺激に抵抗している間に生じる変化が、「食欲がない」「眠れない」「お通じがない」「風邪をひく」です。なぜこの4徴候が生じるのかを、体の仕組みから理解しておくことは、病者を知るためにまた、病者が陥っている状況を理解する重要なカギの1つです。
草原でライオンに出会う
人類はアフリカのサバンナで誕生したのではないかと言われています。草原でライオンに出会ったらどうしますか? 草原から森に入った人間が、今度はクマに出会ったらどうしますか? ライオンに出会ってもクマに出会っても、私たちの体の反応は1つ、逃げるか闘って勝つか、つまり「逃走か闘争か」を選びます。そうでなければ、自分の命がないからです。どちらを選んでも、使うのは骨格筋です。
骨格筋が働くには、燃料のブドウ糖と、ブドウ糖を燃やす酸素が必要です。そこで、骨格筋に酸素を送るため、気管の平滑筋を弛緩させて、酸素の取り込みを増やします。ブドウ糖を血中に動員し、血糖値を上げます。骨格筋に酸素やブドウ糖を送り込むのは血液ですから、心臓の収縮力を増強し心拍数を増やし、骨格筋の動脈を拡げます。敵の位置を確認するために、瞳孔を見開きます。副腎髄質からアドレナリン、ノルアドレナリン、微量のドーパミン(これらを総称してカテコールアミンと呼びます)が、血中に放出されます。
筋骨隆々で目をかっと見開く、これはお寺の仁王門でみる仁王像(図1)そのものですね。心臓はどきどきし、呼吸は速く大きくなり、敵から目を離さないよう瞳孔は見開き、手に汗を握る、という体の状態です。これらすべては「交感神経」の作用です。骨格筋を働かすことに集中するため、他の器官の働きは抑えます。

体内の血液量は一定ですから、骨格筋に回す分、消化器や泌尿器への血液の供給を抑えます。内臓の平滑筋は弛緩し、腺の分泌は減ります。唾液の分泌が減り、口はカラカラに乾きますが、唾液ばかりでなく、消化液の分泌全部が抑えられます。平滑筋が弛緩しますので、消化管は運動が弱くなり、膀胱は弛緩して尿を貯め排尿は控えます。この一連の体の反応が交感神経と副腎髄質から分泌されるアドレナリンの働きによることを見出したのは、キャノン(Cannon W.B[1871~1945])で、この反応を「キャノンの緊急反応」と呼びます2)3)4)。
この交感神経が頑張るキャノンの緊急反応は、骨格筋を使って闘う 、あるいは逃げるのにはふさわしいものです。人類が誕生した昔の、ライオンやクマに遭遇するという緊急事態には、大変いい対応です。しかし今日の社会では、ライオンやクマには出会わないですね。何が緊急事態になるかは様々ですが、病気になった、手術をすることになった、入院することになった、人間関係がまずくなった、責められた、愛する人を失った、盆暮れの準備をしなければならない等、なんでも、その人が追われている感覚を持ったり、「大変!」と判断すれば、それが緊急事態です。しかし、緊急事態を引き起こした刺激源と、殴り合いをするわけでもなく、逃げ出すわけでもなく、じっと耐えるというのが、今日の社会での実際です。暮らす環境が大きく変化していますが、人間の体の仕組みは変わっていないのです。
看護職が出会う病者は、交感神経とアドレナリンで仁王像のような体になっているのに、そのエネルギーを筋肉を使って爆発させることなく、じっと抑えているのですね。病気に対して、腕力でねじ伏せるということも、足を使って逃げおおせることもあり得ませんから。瞳孔が見開く、息が速い、心臓がどきどきしている、血圧が上がっている、血糖が上がっている、消化管は動かない、消化液も出ない―これらキャノンの緊急反応が起きている病者は、眠れるでしょうか。食欲がわくでしょうか。
<後編へ続く>
1) ナイチンゲール著,小林章夫,竹内喜訳:対訳看護覚え書,p.3,うぶすな書院,1998
2)Cannon WB:The emergency function of the adrenal medullain pain and the major emotions. American Journal of Physiology 33: 356-372,1914
3)Cannon WB:Wisdom of the Body,1932/キャノン著,舘隣他訳:からだの知恵,講談社,1992
4)Cannon WB:Stresses and Strains of Homeostasis,The American Journal of the Medicalsciences,189,p.1-14,1935