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第1回:学生の姿から、他の教員の姿から学んだこと

第1回:学生の姿から、他の教員の姿から学んだこと

2021.12.24中安 ゆかり(浦和学院専門学校 学科長)

指導に苦手意識を持たれてしまい……

 17年の臨床経験を経て、看護基礎教育の教員となった。理由は臨床に実習にやってくる学生たちに接するなかで、彼らへの教育に興味を抱いたからだ。教員となり、教育に懸命に取り組んだ。スキルアップのため厚生労働省看護研修研究センターの看護教員養成課程にも参加し、教育の原理や方法、看護基礎教育のカリキュラムづくりを学んだ。
 自分が教員として考える最善を尽くしていたし、自分なりに「やれている」と思っていた。しかし、学生の授業評価や実習評価から私の指導を「楽しい」「看護の良さを学べた」という学生がいる一方、少ないながらも「辛い」と感じている学生もいることが分かった。当然のことであるが、1つの助言から2つも3つも吸収して伸びる学生もいれば、同じ助言をしても理解に人より時間がかかる学生もいる。私の指導に苦手意識を感じたのは後者の学生だったように思う。当時の私は、指導に困難を感じるのは彼ら自身に問題があるからだと捉えていたが、ある時、この考え方を上司に咎められた。6人いる学生のうち、5人にとって最善でも、1人にとって受け入れられない指導よりも、平凡であっても6人全員が受け入れられる指導の方がよい、といったものであった。

 今であればよく理解できるが、キャリアの浅い当時は受け入れられないものだった。上司の注意が自分への否定のように思え、教員は向いていないと悩んだ。そして、その頃担当していた1年生の基礎看護学実習期間を終えたら退職しようという気持ちを抱いて指導にあたっていた。この実習が看護教員としての第一の転換点になるとは、思ってもみなかった。

学生の持つポテンシャルに感動

 私が担当したある学生が、がん終末期の60代男性患者を受け持った。仕事一筋で家族を養い妻に対しても優しい夫であったが、定年後発病し余命は数週間と宣告された。学生は1年生のため、当然疾患に関する知識が豊富ではなかったが、患者の気持ちに寄り添う力は誰よりも強かった。彼女は自ら、患者の「温泉旅行が好きで定年後は妻との温泉巡りを楽しみにしていたが、その希望も叶わなくなり無念だ」という思いを聴き取り、残りの時間をより良く過ごしてほしいと懸命に考えた。夫婦が行きたがった温泉地の写真をアルバムにし、浮腫があり倦怠感の強い下肢の足浴時には、毎日温泉の入浴剤を使って旅行気分を味わえるよう工夫した。患者と共に妻への心配りも忘れなかった。ふたりに穏やかな時間を過ごしてほしいからと、足浴の援助は妻の面会がある午後に合わせ、忙しい実習中でも夫婦と一緒に語り合う時間を共有した。実習最終日、患者夫婦に学生と終了の挨拶に伺った時、夫婦は私たちの手を取り「こんなに良い子をつかせてくれて本当にありがとうございました。先生、この子を一人前の看護師にしてやって下さい」と涙を流された。

 感動を覚えた。学生であっても、こんなにも患者の気持ちに寄り添い、癒すことができるのか。正しい疾患の知識で的確に看護過程を展開できた学生はそれまでにもいたが、彼女のケアの奥に知識の正しさだけではない看護の本質を見て、自分の想像を超える学生のポテンシャルがあることを知った。同時に、まだ1年生の彼女を「一人前の看護師に」と頼み込まれる患者夫婦の姿から、学生を育てる責任の重さも痛感した。そんな彼らを導く存在こそが我々教員なのだと思うと、自然と背筋が伸びた。教員を辞めたいという気持ちは、いつしか続けてみようという意思に変わっていた。

個別性に応じた教育実践に気付く

 それから私は、それまでの知識重視から、患者とかかわる力の育成を重視するようになった。学生への接し方も自分なりに配慮し、指導方法も変えた。より良い教育ができているという感触はあったものの、それでも変わらず指導受け入れ困難な学生がいた。

 どうしてよいかわからずもやもやとした日々を過ごしていた頃、東京慈恵会での教務主任養成講習会で学ぶ機会が得られた。講習会は、様々な講師からの講義、他の先生方の教育の様子を知ることができるグループワーク、文献研究などにより、自分の指導を振り返り看護教員としての歩みを見つめ直すよき場になった。講習会を通して、自分が学生に対して自らの価値観を当てはめがちな教員だったと知った。学生の行動を見ても足りない点ばかり目に入るが、彼らには彼らの考え方がある。こちらが善かれと行った指導であっても、当の学生が同じように感じてくれるとは限らない。かつての授業評価のように「よい」と思われることもあれば、「辛い」と捉えられてしまうこともある。ならば、辛いと感じた学生に向けた教育も必要なのではないか。援助を必要とする患者に看護を提供するのが看護師であるように、支援を必要とする学生に教育を提供するのが看護教員の役目なのだ。この考えに至った時、学生には常々患者の個別性を考えた看護を求めておきながら、自分は学生の個別性に応じた教育実践ができていなかったことに思い立った。この気付きこそが、私の第二の転換点である。

信頼関係の構築が学びの要

 一人ひとりの特性に合わせた教育を実践しようとする時、看護教員と生徒との関係は、看護師と患者のそれと似ている。よりよい看護を提供するには患者・看護師間の信頼関係の構築が重要であるように、生徒・看護教員間の信頼関係が必要である。学生のよりよい学びを引き出すには、学生が安心して学べる環境を用意しなければならない。例えば、近頃の子は褒めて育てたほうがよい、という理由で安易に褒めたところで、彼らは本当に褒められてはいないと敏感に感じ取る。学生たちが「先生なら自分のことをわかってくれる」と心から思えるような信頼関係があって初めて、褒めることに効果がある。そして、本来、学生は看護師として働くための基礎さえ身に着ければ、後は自分の力で進んでいける。そう彼らを信じ、基礎を養うことが大事なのだ。

 ナイチンゲールが述べた看護の本質が何年経っても色あせないように、看護教育の本質もまた普遍である。しかし時代は移ろい、社会の多様化とともに、看護学生の多様性もまた増している。いまに安住することなく、これからも教育を探求し、学生とともに成長できる看護教員であり続けたい。

中安 ゆかり

浦和学院専門学校 学科長

なかやす・ゆかり/聖隷学園浜松衛生短期大学(現聖隷クリストファー大学)卒業後、社会保険浜松病院・浜松北病院等で看護師として10年間勤務。その後、訪問看護ステーションコスモスに7年間務めたのち、看護教員を志す。2009年、浦和学院専門学校に看護教員として着任。2010年放送大学教養学部卒業。2015年4月、同校副学科長に就任。2016年より現職。趣味はバスケットボール。

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