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第1回:看護教育を志した私へ、自身の看護教育と向き合う私へ

第1回:看護教育を志した私へ、自身の看護教育と向き合う私へ

2022.01.14阪井谷 朱里(JR東京総合病院高等看護学園)

本連載では、看護教員のみなさまによる「過去の自分への手紙」をリレーエッセイでお届けします。それぞれの先生の、“経験を積んだ未来の自分”から“困難に直面した過去の自分”へ宛てたアドバイスやメッセージをとおし、明日からの看護教育実践へのヒントやエールを受け取っていただけるかもしれません 。

はじめに

 私は臨床で6年間経験を積んだ後に、厚生労働省看護研修研究センターで1年間、看護教育を学びました。その後、母校であるJR東京総合病院高等看護学園で看護教員として働き、気がつけば現在14年目になります。今回リレーエッセイに執筆させて頂くことになり、自分に務められるのかと心配はつきませんが、このようなお話を頂いたことに感謝し、ただただ走り抜けてきた自分の看護教員としての歩みを、少しだけ立ち止まって振り返って見ようと思います。

1通目:臨床の現場でプリセプターとなった私へ

 看護師として働いて6年目、初めて人に教える立場となりましたね。看護師になった当初は目の前の仕事をこなすことだけで精一杯でしたが、プリセプターとして新人看護師への指導を行う毎日を通して、次第に教育について考えることが増えているのではありませんか?
 あの頃の現場には移植後の状態が不安定で亡くなる患者さんが多く、日々化学療法や輸血療法が行われ、絶対に間違えてはならないという緊張感がありましたね。そんな空気に影響されて、目の前の業務のことしか見えなくなっていませんか。担当する新人看護師が安全に確実に看護を行えるような指導は確かに大切です。業務手順を教え覚えてもらえれば安全に業務を行えますし、あなたは少しずつ仕事を覚えていった彼らに満足していることでしょう。しかし、あなたはその数か月後、教わる立場だと思っていた新人看護師から「看護とは何か」を学び取ることになるのです。
 あなたたちの受け持ち患者に、高齢の女性がいらっしゃいますね。抗がん剤治療により何度も入退院を繰り返しておられて、とても身なりを気にされていた、あの上品な方です。衰弱が進んで身なりにまで気が回らなくなってゆく中、奥様を「きれいにしてあげたい」というご主人の思いを汲み取った新人がご主人とともに懸命にケアをする姿を、ある日あなたは目の当たりにします。清拭や洗髪をしたり、時には特浴に入ったり、お顔に化粧水やクリームを塗ってスキンケアをしたり。新人が患者さんにかけた言葉や眼差し、多忙な中でも患者さんによりよく残りの時間を過ごしてもらいたいと真摯に看護を実践する様子を通して、業務を教えていても、看護を教えられてはいない自分の存在に気付くはずです。そう、看護を教えてもらっているのはあなた自身なのです。それまでは、自分の持っている知識や技術を教えることが教育だと思ってきたのかもしれません。しかし、そうではない。教育は一方的に教えることではなく、共に学び成長することなのです。
 近いうち、あなたは看護教員として母校に戻るお話を頂きます。看護教育は難しいですが、奥深くやりがいのある世界。すぐに「教育を学んでみたい」と思えるはずですよ。

2通目:新人教員の私へ

 看護教育の場へ足を踏み入れたあなたは、様々な場で自らの教育実践と向き合っていくこととなるでしょう。そのひとつが、厚生労働省看護研修研究センターで過ごした1年間です。看護師としても人間としても先輩にあたる同級生に囲まれ、夜遅くまで寮のロビーに集まっては白熱したディスカッションを繰り広げる経験は、多くの刺激が得られるとても貴重な経験となることでしょう。また、苦労した教育実習期間に担当教官から頂く言葉は、あなたの宝物となるはずです。
 その言葉の本質を、その時すべて理解しようとしなくてもかまいません。でも、あなたは必ず教官の言葉に何かを感じるに違いありません。いつかきっと、あなたの支えになってくれる言葉ですから。
 時には、学生から厳しい授業評価を受けることがあります。「何が大切なのか分かりません」「考えることが少ない授業です」こういった評価を目にしてしまうと、積み上げてきたものが足元から崩れていくような気持ちになります。でも、これは自分の授業、ひいては「学生にとって生涯で一回きりの授業をする責任」を果たせていない自分自身と深く対峙するよいきっかけになります。自分の実践から目を逸らさず、学ぶことの意味に立ち返って、まずは様々なことに興味関心を持ってみましょう。積極的に研修に参加し、教材研究や授業方法に取り入れてみましょう。授業後のリフレクションは欠かさず、授業評価もこまめに受けて、学生の理解度や関心がどこにあるのかを把握してみましょう。自分だけでは気づき得ない点は、先輩の力をお借りするのもよいと思います。積極的に授業を公開して先輩教員からのフィードバックを頂き、意見交換をしてみましょう。
 行き詰った時は、学生が患者さんと関係を築き、学校で得た知識と技術を活用して生き生きと看護を実践している姿を見てください。そこはあなたにとっての気づきの宝庫です。学生が理論と自己の経験を結びつけ、看護として意味づける過程を支えたり、学生たちが対面した看護場面を教材化してよい授業に生かしたり。懸命に育つ彼らからあなた自身もまた学ぶことで、看護教育の意味を実感できる日が来るでしょう。
 そうしてたくさんの経験を経て、未来のあなたは学生と共に学ぶことを楽しめる看護教員になっていますから。今をひたむきに、学生と向き合ってください。

おわりに

学習者として、学ぶとはどういうことか経験をしなさい。学ぶことの意味を考えなさい。自分の教育実践の中にのみ答えがある。自分の実践から目を逸らしてはいけない。

 10年以上の月日を経て様々な経験を通して、やっと担当教官から当時頂いたこの言葉の意味を理解した自分がいます。
 学生も同じかもしれません。ともすると、授業でも実習でも成長を願うあまり、直ぐに目に見える変化を期待してしまいます。しかし、植物が「育つ」には、種を蒔き、水をやり、日光を注ぐことはできても、最後には植物自身が暖かい日も寒い日も風の強い日も乗り越えることが必要であるように、人も様々な経験を通して自分の力で成長することが必要です。そして、成長には個人差もあり、時間もかかるものです。
 あの頃の自分がそうであったように、人は皆、よく学びよく育つ力を持っているということを信じて、これからも、学生と共に私も成長をしていきたいと思います。

阪井谷 朱里

JR東京総合病院高等看護学園

さかいたに・あかり/JR東京総合病院高等看護学園卒業後、JR東京総合病院に入職。循環器内科、血液内科の病棟でケアを実践する。6年の臨床経験を経て、厚生労働省看護研修研究センターで1年間学び、2008年よりJR東京総合病院高等看護学園で講師として勤める。趣味は旅行、読書。

企画連載

リレー企画「あの頃の自分へ」

本連載では、看護教員のみなさまによる「過去の自分への手紙」をリレーエッセイでお届けします。それぞれの先生の、“経験を積んだ未来の自分”から“困難に直面した過去の自分”へ宛てたアドバイスやメッセージをとおし、明日からの看護教育実践へのヒントやエールを受け取っていただけるかもしれません 。

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