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第14回:口腔の健康とQOL

第14回:口腔の健康とQOL

2024.09.19島谷 浩幸(医療法人恵泉会堺平成病院歯科 科長)

QOLとは?

 QOLはQuality of Lifeという言葉の略で「生活の質」あるいは「生命の質」などと訳され、「その人らしく充実した生活を送る」というような意味合いで用いられます。
 WHO(世界保健機関)はQOLを「個人が生活する文化や価値観の中で、目標や期待、基準または関心に関連した自分自身の人生の状況に対する認識」と定義しました1)
 QOLには身体面、心理面、社会面など多くの要素が統合されており、QOLが高い状態は身体的な苦痛や不自由がないだけでなく、精神的に安定し、社会活動にも従事して生きがいや充実感に満たされたような状態であるとも言えます。
 ここで大切なのは、他人から見て不自由でも本人は不自由に感じない場合、QOLは維持されていると言えることです。
 たとえば、治療効果が高いけれども副作用も大きく出やすい治療を選択するか、もしくは治療効果はあまり高くなくても副作用が少なく体に優しい治療を選択するか、QOLはその人の価値観によりさまざまです。
 個人の考えや価値観を尊重し、その人にとって満足できる生活、生きがいなどを維持することがQOLにとって大切なのです。

口の中のQOLとは?

 健康的な歯がそろっていれば食事や会話も満足にでき、栄養バランスの取れた食生活も維持できます。形の整った白い前歯がのぞく笑顔は、爽やかで健全な印象を与え、気分も前向きになれます。
 このように口の中が健康だとさまざまなメリットがありますが、虫歯や歯周病で歯や歯ぐきが弱っていくと、QOLは低下していきます。
 痛い、噛めないといった不満は精神面にも悪影響を及ぼしますので、痛い場合は虫歯や歯周病の治療をする、歯がなくて噛めない場合は、いわゆる補綴(ほてつ)治療で足りない歯を補う必要があります。
 補綴治療の具体例として、差し歯やブリッジのように歯を削って冠をかぶせるものや、歯に金具を引っ掛けて固定させる義歯(入れ歯)は健康保険が適用されますが、顎骨に埋めたチタン製の土台の上に冠をかぶせるインプラント(人工歯根)は健康保険が使えないため一般的に高額(数十万円)です。
 これらの中からどの治療法を選択するかは、患者さん個人により異なります。
 たとえば、健康な歯は削りたくないという要望があれば、治療の選択肢は義歯かインプラントになります。そのうち、取り外しの手間を考えるとインプラントが優先されますが、経済的な事情で断念せざるを得ないこともあります。
 歯科の治療においても患者さんのQOLを保つためには、さまざまな治療法の選択肢の中から患者さん個人のニーズに合った治療を納得して選んでもらうことが大切なのです。

QOLと義歯の関係

◎エビデンス

 2011年の東日本大震災と同年に実施された東北大学の調査2)では、宮城県の沿岸被災地域で震災前から義歯を使用していた758人を対象に、義歯喪失による口腔の健康への影響を調べました。およそ6人に1人である17.3%の人が震災で義歯を喪失しており、とくに食事や会話に不自由を感じてQOLの低下に悩んだ人が多く、歯科保健医療的な救護の必要性が浮き彫りになりました(図1)。

図1 義歯喪失の有無と不具合の関係
[Sato Y, Osaka K, Tsuji T et al: Impact of loss of removable dentures on oral health after the great East Japan earthquake: a retrospective cohort study. J Prosthodont 24(1): 32-36, 2015より一部抜粋]​​​​​​

 この調査は義歯が対象ですが、義歯であれ自分の歯であれ、歯を失うとQOLが著しく低下する、逆を言えば、歯の存在がQOLの維持につながることが改めて示されたのです。

◎高齢者における義歯の効用

 ところで、令和4年度の厚生労働省・歯科疾患実態調査で義歯使用率は75歳以上で52.7%となり半数を超えましたが3)、「目元、口元」という言葉があるように、口周りの雰囲気は顔全体の印象に影響を与えます。
 義歯を装着すると、ほうれい線や口元のシワが伸びて改善され、口元が若返ります。とくに前歯であれば、見た目の回復にもなります。
 また、義歯によって歯がそろうことで前向きな気持ちが生まれ、生きるためのモチベーションが上がるとも言われます。
 さらに、バランスのよい噛み合わせは姿勢を安定させます。歯周病でぐらつく歯や不安定な義歯では力を発揮できず姿勢も安定しませんが、たとえ義歯であっても、噛み合わせが安定していれば運動能力の低下が抑えられ、歩行でもふらつきにくくなります。
 このように、高齢者にとっての義歯は、眼鏡と同様にQOLが保たれた快適な日常生活を送る上で重要な存在なのです。

口の中のQOLが高いと長生きする傾向も

◎エビデンス

 噛むことができる食品の種類が多いほど生存率が高いという研究報告があります。
 この研究は、九州地方で80代の697人を4年間追跡調査したもので、硬さの異なる15種類の食品を「噛める」と「噛めない」で分類し、噛む能力と寿命との関係を調べました4)
 その結果、「噛める」と回答した食品が最も少ないグループ(15のうち4個以下)は15食品をすべて「噛める」と回答したグループと比べ、死亡リスクが2倍を超えました(図2)。 

図2 噛める食品数と死亡率との関連性
Ansai T, Tanaka Y, Soh I et al: Relationship between chewing ability and 4-year mortality in a cohort of 80-year-old Japanese people. Oral Dis 13: 214-219, 2007より引用]

 この調査では刺身やちくわ等の動物性食品のほか、ごはん、こんにゃく、たくあん等の植物性食品が用いられましたが、自分の歯もしくは義歯で、しっかりと咀嚼できる人は栄養バランスもよく摂取でき、食事も楽しい時間になります。
 そのようなQOLの高い生活を続けることができれば長生きしやすい、というのは自然な成り行きだとも言えるでしょう。
 以上のように、口の中のQOLを維持して満足な生活を送るためには、歯がなくても義歯などできちんと歯を補うことが大切なのです。

* * * 

 Tさん(80歳代、女性)は足の骨折のため当院の整形外科で手術を受け、入院してリハビリに励んでいます。
 以前は上下の総義歯がありましたが、合わなくて処分したそうで、当院への入院を機に新しく作製することになりました。
 およそ1か月後、完成した義歯を装着し、鏡で見てもらいました。
 「おばあちゃんやけど歯があると美人やろ?」とご満悦の様子。「退院したら趣味のカラオケも頑張るわ」とおっしゃっていました。
 その後、さらに退院に向けたモチベーションも向上して順調にリハビリも進んだ結果、当初の予定よりも早く退院されました。

引用文献
1)World Health Organization: WHO QOL: Measuring Quality of Life, 2012
2)Sato Y, Osaka K, Tsuji T et al: Impact of loss of removable dentures on oral health after the great East Japan earthquake: a retrospective cohort study. J Prosthodont 24(1): 32-36, 2015
3)厚生労働省:令和4年歯科疾患実態調査,2023
4)Ansai T, Tanaka Y, Soh I et al: Relationship between chewing ability and 4-year mortality in a cohort of 80-year-old Japanese people. Oral Dis 13: 214-219, 2007

島谷 浩幸

医療法人恵泉会堺平成病院歯科 科長

しまたに・ひろゆき/大阪歯科大学卒業、同大学大学院博士課程修了。大阪大学微生物病研究所、京都文化医療専門学校非常勤講師等を経て、2019年より現職。歯科医師・歯学博士、野菜ソムリエ。TV番組『所さんの目がテン!』(日本テレビ)出演等のほか、著書に『歯磨き健康法』(アスキー・メディアワークス、2008)、『ミュータンス・ミュータント』(幻冬舎ルネッサンス、2017/文庫改訂版2021)、『頼れる歯医者さんの長生き歯磨き』(わかさ出版、2019)がある。雑誌掲載・連載多数。趣味は自然と触れ合うことと小説執筆、好きな言葉は晴耕雨読。ブログ「由流里舎(ゆるりしゃ)農園」は日本野菜ソムリエ協会公認。

企画連載

エビデンスでみる歯・口と健康のかかわり

歯の病気や口腔機能の障害・低下はさまざまな疾患や健康状態悪化の原因になります。また歯・口腔の状態は全身の健康状態や、さらには置かれている環境・社会状況などの映し鏡にもなります。本連載では、そんな歯・口と健康のかかわりを、エビデンスを基にわかりやすく紹介します。

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