新しい技術:再生医療
病気やケガなどで失われた臓器や組織を細胞から再生する新しい医療技術を再生医療といいます。
臓器や組織が失われると、細胞の種となる「幹細胞」が必要な細胞へ変化(分化)・分裂して増殖し細胞が修復されることで、元の状態に近い状態へ回復します。ケガで傷付いた皮膚が自然に治癒するのも幹細胞による再生力が働いたからです。しかし、幹細胞を再生医療で活用するためには、いくつかの条件があります。
幹細胞を活用するための条件
1.活発に増殖する能力(自己複製能)があること
2.複数の種類の細胞に変化できる能力(多分化能)があること
3.患者にとって安全であること
近年はES細胞(胚性幹細胞)やiPS細胞(人工多様性幹細胞)といった多彩な細胞に変化(分化)できる万能細胞(多能性幹細胞)で数多くの研究が進められ、細胞に特定の遺伝子を働かせて人工的に未分化の状態に戻すiPS細胞のように先進的な幹細胞の動向も注目を集めています。
一方、患者の臓器や組織にもともと存在している幹細胞(組織幹細胞)を利用して、安全かつ即応性も兼ね備えた治療の研究も進められています。
たとえば、骨に含まれている骨髄幹細胞を活用して血管や神経の細胞の再生を促進し、脳梗塞などの後遺症を和らげる治療などは、すでに臨床的に応用されています。
このような再生医療で近年注目を浴びるのが、歯の中にある歯髄(しずい)幹細胞です。
歯髄幹細胞から進める再生医療
◎エビデンス
歯髄は歯の中にある組織で、図1のようにX線写真上で歯の黒く写る部分(歯髄腔)にあります。歯に栄養や酸素を送る血管や痛みを感知する神経なども含んでおり、歯髄幹細胞も存在しています。

図1 歯髄腔
幼児の乳歯でも高齢者の歯からも採取できる歯髄幹細胞には、再生医療に適したさまざまな特性があることが明らかにされています1)。
先述した自己複製能や多分化能だけでなく、腫瘍化(がん化)する可能性がきわめて低率で、年齢や性別を問わずに患者から採取できるメリットもあります。さらに、患者自身の細胞を利用するため、移植後の拒絶反応を起こすリスクも少なく、安全性にも優れています。
歯髄幹細胞は骨髄幹細胞と比較して3~4倍も増殖する力があり、短い期間で大量の治療用細胞を入手できる利点もあります。
しかも、骨髄幹細胞を採取するためには骨髄穿刺という体に負担がかかる処置をしますが、歯髄幹細胞は必要な治療で抜いた歯(抜去歯)の歯髄から採取するため、体の負担は最小限で済みます。
これらの優れた特性により、歯髄幹細胞を用いた再生医療に期待が高まっています。
歯髄幹細胞への期待
歯髄幹細胞は骨や神経、筋肉等の細胞にも分化できるため、細菌感染などで失った歯髄の再生治療だけでなく、脊髄損傷や脳・心筋梗塞、筋ジストロフィーなどの疾患の治療への応用が期待されています。
神経疾患、筋疾患などは動物実験の段階ですでに効果が認められ、ヒトに対する有益性が実証されれば歯科と医科が連携した治療が実践されるでしょう。
このように多くの利点がある歯髄幹細胞ですから、「抜けた乳歯を捨てるんじゃなかった…」と悔やむ声があるかもしれません。では実際に、抜けた乳歯の行方はどうなっているのでしょうか?
抜けた乳歯の行方
2024年、30~40歳代の母親500人を対象に、抜けた、もしくは歯科医院で抜いた乳歯に関するアンケート調査が実施されました2)。
その結果、過半数の母親が歯を保管していると回答し、35%の母親がすべての乳歯を保管していました(図2)。

その理由として「子どもの記念」が最も多い一方で、乳歯を残す目的や保管方法に関する疑問も認められました(図3)。

ただ、乳歯を保管して眠らせているだけというのが大半で、実際に何かに有効的に活用されるケースはほぼ皆無だと言えるでしょう。
しかし、そのような現状を打破するような歯髄幹細胞を保管する取り組みも始まっています。
いつかは現実に? 歯の細胞バンク
日本歯科大学は2015年に「歯の細胞バンク」を設立し、将来必要になったときに歯髄幹細胞を利用した再生医療を受けることができるように細胞の保管システムを作りました3)。
このバンクでは、認定医(認定医講習会を受講した歯科医師)から送られてきた患者の抜去歯から無菌状態で歯髄を採取して細胞培養し、凍結して保管します。
対象となる歯は、乳歯・親知らず(智歯)・矯正治療などで抜いた歯で、認定医が在籍する歯科医院で抜去された歯であることが条件です。
残念ながら、現段階では完全な“歯の再生”は実現していませんが、大学以外でも歯や歯髄のプライベートバンクを推進するベンチャー企業などがあり、骨髄バンクや角膜のアイバンクなどと並んで「TOOTH BANK(歯のバンク)」の一環として今後増えることが予想されます。
* * *
Nさん(30歳代、女性)は義歯(入れ歯)の不具合で当院歯科を受診されました。
まだ若いNさんが義歯をしている箇所は、上顎前歯。以前、バイク事故で前歯を失い、歯が4本分の部分義歯を作ってもらったそうです。
引っ越しを機に、当院歯科を受診されました。X線写真などで詳しく調べると、義歯の金具をかける歯の歯根が割れており、義歯が不安定になっていました。
歯根が割れた歯は、残念ながら抜歯の適応だという旨をNさんに伝えると、
「仕方がないですね。子供のときみたいに、また生えてこないかな。歯は再生できますか?」
現実を受け入れた上で、冗談ぽくそんな風に話されました。
「まだまだ研究段階で、実用化は将来の話ですね」と筆者。
「歯を失うと、歯のありがたみを改めて身に染みて感じます」とNさん。
歯の再生医療の今後の進歩に期待したいですね。
1)細矢哲康、森戸亮行、山本 淳:歯髄の再生医療における現状と展望.日歯保存誌62(4):177-189,2019
2)ウィンポイント&アエラスバイオ:子どもの抜けた乳歯ってみんなはどうしてる? 500名のママにアンケート調査,2024,〔https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000140014.html〕(最終確認:2025年1月30日)
3)日本歯科大学:Webサイト「歯の細胞バンク」〔https://www.ndu.ac.jp/cell-bank/〕(最終確認2025年1月30日)