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第5回:色とりどりの弔い

第5回:色とりどりの弔い

2023.11.09田中 大介(自治医科大学医学部・大学院医学研究科 教授)

 皆さんは死や弔いといった言葉から、どのような色を思い浮かべるでしょうか。今回のコラムが皆さんに届くのはちょうど秋から冬へと遷りかわって寒さが増してくる時候だと思いますが、生命の躍動を感じさせる鮮やかな木々の緑もいつしか淡い色彩の枯れ葉となり、さらに静まり返った雪景色に覆われていく……死や弔いという言葉には、このような寒々とした季節の印象とも重なるようなモノトーンの、つまり単調で彩りにとぼしい色合いを連想することが一般的かもしれません。

 しかし歴史を見渡してみると、亡き人をしのんで喪に服すことをあらわす「色の文化」は、意外と豊かな色彩感覚に満ちあふれているのです。というわけで、今回は弔いの色という視点からあれこれとフィールドワークをしてみましょう。

白い喪服

 現代では喪服といえば老若男女ともに「黒に決まってるでしょ!」と当たり前のように思われていますよね。ところが葬儀に際して黒い服を着ることが社会全体に広がったのはそれほど昔の話ではなく明治時代の半ばごろから、より具体的に言うと明治天皇の嫡母であった英照皇太后の葬儀あたりからではないかと考えられています。そして、当時の世相は文明開化と富国強兵まっしぐら。わが国では、西洋の列強諸国に追いつき追い越せという大号令のもと、何事につけ和から洋への変革が国家主導で大々的に行われていた時代でもありました。そこで政府は津々浦々の役所から学校にいたるまで、この英照皇太后の葬儀に際して「西洋にならって喪服は黒を基調とした洋装にすべし」という指示を下したのです。なにしろ、やんごとなき皇族の葬儀ですから「なるほど、これが正式なマナーなのだな」という前例をつくったという点では間違いなく影響力があったことでしょう。

 とは言うものの、普通の人びとの日常生活ではまだまだ和装が中心の時代が続きましたし、さほど登場の機会がない黒ずくめの洋服を結構な大金を出して誂えるなんて……という人びとも多かったことも事実。さらに言えば、実は葬儀の服装といえば「白」というほうが長らく圧倒的な主流だったのです。

白い喪服
[須藤 功:昭和の暮らし7 人生儀礼,p.198(撮影・佐藤久太郎),
農山漁村文化協会,2006より引用]

 たとえば上の写真は昭和30年代に撮影されたものですが、葬列へと向かう親族の女性たちがそろって白い着物を身につけ、頭にも白布をかぶっています。その列を左側で見守る人びとのなかには黒い和服を着ている者もいますが、それでもなんらかの白い装いを身にまとっているのがわかるでしょう。ちなみに、この写真のなかで一人だけ柄のついた着物のご婦人が混じっていますが、写真下にある説明文にはわざわざ「葬式には違和感がある」との説明が付されているほどです。

白黒だけじゃないんです

 「でも白と黒の組み合わせという点では、現代とあまり変わらないんじゃ……」と思われたそこのあなた、安心してください。履いていますよ……じゃなかった、今度は葬儀に付きものの「幕」を見てみると、さらにまた違った色合いが見受けられます。葬儀の幕というと、それこそ白と黒が交互に縦縞になった例のヤツ(俗に鯨幕(くじらまく)と言います)を思い浮かべる方が多いでしょうが、こんな幕も地域によっては用いられているんです。

浅葱幕と水裃
【左】浅葱幕:[K-factory:イラスト素材:青白幕 浅葱幕 地鎮祭 神事.イラストAC,
https://www.ac-illust.com/main/detail.php?id=1241825
(最終確認:2023年10月16日)より引用]
【右】水裃:[古井戸秀夫(監):『仮名手本忠臣蔵』塩冶判官高定(尾上菊五郎)平成19年2月歌舞伎座.
歌舞伎用語案内,https://enmokudb.kabuki.ne.jp/phraseology/3298
(最終確認:2023年10月16日)より引用]

 左側にあるのは浅葱幕(あさぎまく)と言って、その名前のとおり浅葱色を縞柄に織り込んだ幕。「あれ? どこかで見たかも」という読者もきっといらっしゃいますよね。これは現在でも園遊会をはじめとした皇室行事などでも用いられている、由緒正しい歴史と伝統をもつ幕なんです。基本的には祭事全般に供されるもので、葬儀に使われていてもまったく間違いではありませんから、この幕を葬儀で見かけても「なんでこんな色を!」と怒らないように。ちなみに浅葱色というのは中国の故事にある碧血(へきけつ)の色、すなわち主君に忠誠を誓う者が死に際に流す血の色にも通じ、そのため武士の死装束に用いられてきたと言われています。上図の右にあるのは歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」で今まさに切腹するという場面ですが、ここで身につけている浅葱色の水裃(みずかみしも)がまさに死という出来事を象徴しているのです。

 このほかにも、たとえば近畿地方を中心として香典袋の水引に黄白(きしろ)、つまり黄色と白の組み合わせを用いる事例は今でも多く見受けられます。お葬式のときに赤飯を炊いたり、紅白の饅頭を会葬者に配ったりすることが慣習になっている地域もあるぐらいで、さらに時代を遡ると弥生時代から古墳時代の遺跡を中心に、しばしば鮮やかな朱色の棺が発見されることも。改めて考えてみると、皆さんも「たしかに葬式は白黒一辺倒じゃないかもしれないなぁ」と思ったことが多かれ少なかれあるのではないでしょうか。

 わたし自身のフィールドワークを振り返ると、こんな思い出もあります。幼い子どもと夫を遺してこの世を去ったご婦人の葬儀に立ち会ったとき。悲しみの底で喪主をつとめられている夫、涙をこらえて葬儀屋さんに「妻は華やかなファッションが大好きだったんですよ。だから最期も……」と告げました。さて葬儀の当日。参列する人びとを待ち受けるかのごとく式場に飾られていたのは、故人が愛用していたカラフルな洋服の数々。そして棺におさめられていた亡骸が着ていたのは……美しく咲き誇る花々を散りばめたような色合いの、素敵なドレスでした。聞けば「これさ、奥さんが自分でデザインして……結婚式で着たドレスなんだ」とのこと。

 白と黒のしめやかな色が悪いというわけではありませんが、そんな鮮やかで色とりどりの弔いのかたちも、あっていいですよね。そういえば最近は看護師さんの白衣やスクラブも白色だけでなくパステルカラーなど、豊かな色彩になってきた気がします。自分の好きな色がいつも身近にあるというのはそれだけで人生を、そして人生を締めくくる最期の瞬間も、豊かにしてくれるのかもしれませんね。

田中 大介

自治医科大学医学部・大学院医学研究科 教授

たなか・だいすけ/1995年に金沢大学経済学部経済学科卒業後、三菱商事株式会社入社。6年間の商社勤務を経て2001年に東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻に入学し、修士課程および博士課程を修了して博士(学術)取得。早稲田大学人間科学学術院などで教職を経て、2020年に自治医科大学医学部・大学院医学研究科教授に就任。専門は文化人類学・死生学。大学院生時代は葬儀社に従業員として数年間勤務するというフィールドワークを展開し、その経験をもとに執筆した『葬儀業のエスノグラフィ』(東京大学出版会,2017)をはじめ、主に現代的な葬制への関心を通じて「死をめぐる文化」の調査研究を進めている。

企画連載

おとむらいフィールドノート ~人類学からみる死のかたち~

人間が死ぬってどういうことなんだろう……。このコラムでは、人類学者である筆者があれこれと書き留めていくフィールドノートのように、死・弔い・看取りをめぐる幅ひろく豊かな文化のありかたを描き出していきます。ご自身が思う「死」というものを見つめ直してみませんか。

フリーイラスト

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