看護の原点となる体験を経て、看護師、そして教員へ
高校を卒業した頃、祖母の介護を家族で行うことになった。もう40年ほど前のことだが、自宅療養する祖母のもとに、入院していた病院から医師が訪問診療にやって来て、そこにいつも看護師が同行してくれていた。まだ訪問看護制度が一般に整備されていなかった時代だったので、病気をもちながら地域で生きる人を支えるという医療・看護のあり方に初めて触れ、とても印象深く感じたのだ。
当時、すでに看護ではない別の仕事に就いていたが、働きながらもあの看護師の姿がずっと心の隅に残っていた。そんなある時、近所の通りを歩いていると、ふと准看護学校の学生募集の広告が目に入った。准看護師と看護師の違いすら認識していなかったが、「看護」という文字に惹きつけられるままに、私はその学校の学生になった。そして2年間の学びを終えようとしていた時、このまま臨床に出て大丈夫なのだろうか、患者さんをケアできるだけの力が本当に身についているのだろうかと不安がよぎり、2年課程に進学してさらに学んだ。そうして看護師になり、祖母がお世話になった地元の病院で働くことになった。
5年ほど看護師として経験を積んだ頃、母校の校長から「教員にならないか」と誘いを頂いた。恥ずかしながら記憶は定かではないのだが、母校を卒業する際、私はどうやら「いつか学校の先生になりたい」と言ったそうで、その言葉を覚えてくれていた先生が、校長につないでくれたということだった。
まだ5年の臨床経験しかない自分が、学生に教えられることなどあるのだろうかと悩んだ。しかし当時、一人娘がまだ幼く、夜勤の日には、彼女が寝ている間に出かけようとすると目を覚まし、そんな娘の様子にいつもうしろ髪を引かれながら出勤していたから、「学校なら夜勤がなくていいかも」と、新米ママとしての切実な思いが勝った(今思えば、なんと短絡的な考えかと、我ながら苦笑してしまうが)。それに、経験の浅い自分だからこそ、まだまだ勉強すべきことがあって、そのチャンスを頂いたのかもしれないという気持ちも起こり、思い切って教員になろうと決心した。
教育観の軸が出来上がった専任教員時代
実際に教員になると、当然ながら一筋縄ではいかないことばかりだった。
准看護学校には、現役生から社会人経験のある学生まで、幅広い層の学生が集まる。新人教員だった私よりも年上の学生もいたし、働きながら、あるいは子どもを育てながら学ぶ学生もいた。さまざまな背景をもった学生たちは、それぞれに多様な考えをもっていた。「准看護師になる」という将来像への捉え方も多様で、未熟すぎた私は、学生とぶつかってしまうこともあった。そんな時、私自身を育ててくれた学校がずっと大切にしてきた「学生と共に」という教育理念に立ち返った。そうすると、自分なりに大切にしたい信念のようなものが浮かび上がってきた。
教員の思うままに学生を指導するのではなく、学生と共に物事を探究するべく、相手を知り、良いところを見つめ、寄り添う。学生の心を傷つけてしまったのならば、しっかり謝罪するという当たり前のことを当たり前に行う。一方ですべてを是として受け入れるのではなく、職業人になるために正すべきことは学生自身が気づけるよう働きかけ、そしてどうすれば良くなるのかを一緒に考える。
このようにして学生との関係性を築いていけるよう努めた。すると、「学校を辞めたい」と嘆いていた学生が気持ちを立て直し、無事に卒業したどころか、さらに進学を重ね、助産師として歩み出したという喜ばしい出来事もあった。しかし中には救い切ることができなかった学生もいた。もっと学生のことを知り、理解しようと努め、寄り添わなくてはならないと思った。
その後、私は学内の2年課程の学科に異動した。2年課程の学生たちは、准看護師課程の学生よりもさらに経験が豊富で、その分、教員である私にも、より深い知識や自律性が求められた。この時もやはり、「学生と共に」という姿勢を大切にした。自分に不足している知識があれば学生たちと一緒に調べたし、知恵を働かせてその場を切り抜けようとする学生がいればその理由を聞き出し、どうすべきかを一緒に考えた。
新しい課程の立ち上げから、管理職へ
准看護師養成を主体としてきた学校でも、社会の要請に応じるべく、新たに3年課程を設置することになった。新課程の立ち上げは想像以上の大変さだったが、同僚の教員たちと奔走し、外部の先生とのありがたいご縁も得て、必死の思いでカリキュラムを構築した。
そうして迎え入れた3年課程の学生たちは、高校を卒業したばかりの現役世代がほとんどで、若いエネルギーと、物事をバイアスなく素直に捉えて吸収できるという強みをもっていた。一方で、これまで接してきた学生たちとのギャップに戸惑うこともしばしばだったが、やはりそんな彼らと共に成長していきたいと思った。
その後私は、教務課長として、そして教務部長として、学科を越えて学校全体の運営にかかわる立場となった。それまで以上に、さまざまな相手と向き合う場面が自ずと増えた。
単位を落としてしまった学生の保護者に説明を求められたこともあった。そんな時にこそ、信念をもって学生を教育するという責任を自分たちが果たせているのかを振り返るべく、教員間で大切にしてきた教育理念を改めて見つめ合った。そして保護者を説得することに終始するのではなく、学生自身が自らを省みて改善すべきことに気づけるようにと、単位をもらえなかった理由を共に考え、じっくりかかわるということを大切にした。その結果、学生は学習に臨む態度をがらりと変え、そして立派に卒業の日を迎えてくれた。
こうして振り返ると、私の教育は、自分自身が学生にさかんに伝えてきた「患者の個別性を尊重したかかわりを」という、看護のあり方そのものであった。自分が個々の学生を尊重して向き合うことで、学生にも同じような姿勢で患者にかかわることができるようになってほしいと、いつも願っていたように思う。
おわりに
この春、私は看護教員としてのキャリアを終えたが、心には一人ひとりの学生の顔が浮かんでいる。彼らを想うと、看護の道を選んだことに後悔はないと胸を張って言える。
そんな私は今、次なるステージに向け、娘夫婦と5人の孫たち、そしてあたたかなご近所さんたちに囲まれ、充電期間を過ごしている。元気いっぱいの孫たちが毎日さまざまな“事件”を起こしてくれるので、せわしなさは教員時代と変わらない気もするが、ひとりっ子として育った娘が、にぎやかな環境で暮らしている姿を近くで見られる、このなにげない日常に感謝している。
充電が完了したら、私の原点である、地域で働く看護師になる予定だ。教員として培った、相手と「共に」というあり方をこの先もずっと大切にし、地域の方々に必要とされる看護師になりたい。