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第18回:正義は、いつ問題になるのか

第18回:正義は、いつ問題になるのか

2024.06.27川瀬 貴之(千葉大学大学院社会科学研究院 教授)

 正義は、この上なくセンチメンタルでエモーショナルである。法哲学者は、今も昔も、これを論じる時の声に、震えるような熱を帯びるのだが、それはアニメのヒーローも、会社の不正を告発する従業員も、変わりはないだろう。哲学の歴史でも、芸術の歴史でも、いや人類の歴史で、これほど長く一大テーマであり続けた事柄は、数多くはない。それはもちろん、看護にとっても大問題であり、自律・福利に続く看護の倫理の3本柱の最後を飾るにふさわしいものである。

概念は伸縮自在である

 第2回で述べたように、「正義」という言葉、あるいはその他の言葉や記号が、どれくらい狭義の、あるいは広義の概念を指し示すか、という定義の方法は、基本的に、その言葉・記号を使う人の自由であり、多様であるので、「正義」などの言葉が、どれくらい広いあるいは狭い意味で使われているのかは、その都度、注意する必要がある。

 今回は、正義論の初回なので、図式的・教科書的になることを許していただきたいが、正義の概念を、広く普遍的なものから、狭く具体的なものへと、順に並べると、以下のようになる(図1)。

 最広義の正義概念は、次回のテーマでもある「形式的正義」と呼ばれるものである。これが、最も薄く広いものなので、この外側にあるものは、いかなる意味でも正義の概念ではない。そして、その内部に、様々な正義の下位概念がある。

 そのすぐ下、つまりその次に広いカテゴリーには、「実質的(実体的)正義」と、「手続的正義」がある。実体と手続は、法律学ではおなじみの区別なのだが、正義論にとっても重要なので、回を改めて語りたい。

 さらに、実質的正義の下位には、「分配的正義」と「矯正的正義」がある。これらも、詳しい内容については、順に取り上げていく予定である。

 そして、これらの下に、というか内部に、自由主義・民主主義・功利主義・平等主義などの、様々な正義の構想(conception)が属している。とはいえ、これらは全て、形式的正義という正義の概念(concept)の内部にあるものなのである。

正義の問題が発生する条件

 正義は、24時間365日、常に出動しているわけではない。それが問われるのは、一定の条件が満たされたときのみである。

 第一の条件として重要なのは、正義は「(単数または複数の)他者との関係」を公平にすることを要求するものだという点である。逆に言えば、1人しか登場人物がいない文脈では、正義の問題は発生しない。下宿で独り寝そべっているときでも、不摂生はすべきでないという個人的な道徳は、規範力を有するかもしれないが、他者との関係の問題は存在しない。

 第二に、正義の主張がなされるのは、人間や、人間が運用している制度に対してであり、自然現象に対して、それが向けられることはない。日本列島は、地球上の他の場所と比べて、過度に不釣り合いな自然災害に見舞われるが、これを不運とか不幸と表現することはできても、不公平とか不正であると主張することは奇異である。正義は、人間が他者を処遇する扱いの正しさに関するものなので、その対象は、人間が意図的に制御できる問題に限定されることになる。

 ところで、人類の歩み、特に近代のそれは、従来は自然の領域、神による差配の領域にあって、人間の力にはいかんともし難く、そこでの苦難については、ただ耐えるか嘆くか、せいぜい神を呪うしかなかったような事柄について、人間の理性の力によって、問題を認識し、状況を制御し、苦境を乗り越えるというものであった。自然と神の領域が、人間の理性によって征服されたということは、運・不運しか語りえなかった事柄に、正・不正を問えるようになったということである。まさに、その典型が生死の問題である。かつて単なる不幸であった早世も、今では医療過誤による民事裁判になるかもしれない。もちろん、現在の最先端医療技術でも、まだ完全にそれを制御できるわけではないし、将来的にも完全にそうなる見込みはないし、そうすべきではないという保守的な主張もありうるが、かつてと比較すれば、人間理性の極致の1つである医療が征服した領域が広大であることも否定できない。

 以上の2点が、網羅的ではないが、少なくとも最も重要な、正義の問題の発生条件である。また、次々回あたりで触れることになるが、正義一般(つまり形式的正義)ではなく、とりわけ分配的正義の問題が生じるための条件というものも存在する。分配される財の希少性や排他的支配可能性、そして分配を行う人々の関係性などである。

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 今回は、駆け足で今後の内容も見通した、予習的な議論になったため、少し消化不良になったかもしれない。今回の内容、そして次回以降も数回にわたり、正義の概念分析となるが、これら議論は、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』によるところが大きい。時空を超えたヘレニズムの声に耳を傾けることで、この問題の普遍性と根源性を感じていただければと思う。

川瀬 貴之

千葉大学大学院社会科学研究院 教授

かわせ・たかゆき/1982年生まれ。専門は、法哲学。京都大学法学部卒業、同大学院法学研究科法政理論専攻博士後期課程修了。博士(法学)。千葉大学医学部附属病院講師などを経て、2022年10月より現職。好きなことは、旅行、娘と遊ぶこと、講義。耽美的な文学・マンガ・音楽・絵画が大好きです。好きな言葉は、自己鍛錬、挑戦。縁の下の力持ちになることが理想。

企画連載

人間の深淵を覗く~看護をめぐる法哲学~

正しさとは何か。生きるとはどういうことなのか。法哲学者である著者が、「生と死」や「生命倫理」といった看護にとって身近なテーマについて法哲学の視点から思索をめぐらし、人間の本質に迫ります。

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