決意のままに看護教育の世界に飛び込んだあなたへ
看護師教育を見直す決断をした時
長年お世話になった病院を退職し、看護教育を理解したいと思ったのは「現場の新人看護師への教育」がきっかけでしたね。新人看護師にどう接したらいいのか、何を指導したらいいのか分からなくなっていた頃です。すでに看護専門学校の教員をしていた友人の助言もあり、私は教育を学ぶことに決めました。
教育を学んだ後はどこに再就職するかも考えず、そうと決まればあっという間に退職したあなた。教えるための基礎を学ぶ看護教員養成課程は大変ですが、 自分自身の看護を振り返る貴重な機会、多くの新たなことを発見する場、教員として自信をもって学生の前に立つために必要な場であり、一生あなたの礎でありつづけます。ですから、未知の困難にもくじけずに立ち向かってください。また、ここで出会った友人をぜひ大切にしてください。彼らとは看護の話ができる大切な仲間として、教員としてのキャリアを重ねた今もつながっていますよ。
教員として、学生を通して看護を実感する難しさ
臨地での看護教育をしたいと思っていったん現場を離れ看護教育を学びましたが、ご縁を頂き臨地の現場ではなく初学者教育をすることになりましたね。初学者教育の場に進もうか悩んだ時、看護教育を学んだ恩師に「やってごらんなさいよ」と背中を押して頂き、大学で学生と悪戦苦闘する日々が始まります。
とくに苦労するのは臨地実習でしょう。教育者目線ではなく、現場の看護師寄りの視点で学生の指導をしてしまったり、学生を通してその場で行われている看護の是非を考えていたりした時期ですね。自分の看護の価値観と学生のもつ看護の価値観、臨床指導者がもつ看護の価値観のバランスをとるのが難しく、とても対応に苦労しているのではないでしょうか。今のあなたは、自分の看護の価値を学生に押しつけているのです。
学生は自分なりに患者の現状を分析し、看護計画を立案し実施しますが、できることは限られています。そのうえ、臨地の状況によっては立案した予定が変更になることや、学内で行えていたことすら緊張のためかスムーズに実践できないこともあります。それに対して、あなたは、「患者さんに迷惑をかけてはいけないから、学生とはあらかじめしっかり打ち合わせをしておこう」と、このようなことばかり考えていませんか。それでも、やっぱり計画通りには進まない、時には、臨床指導者からの指導にうまく対応できない学生を前に、自分が叱られているような気持ちになり、なんでこんな看護になるのだろうという気持ちになっていませんか。
学生は、「患者に必要な看護を見つけられない」「看護師さんからは注意され、教員は自分が考えていないようなことを求めてくる…」、こんなふうに感じているのだろうと思います。学生に教育的立場で接することができておらず、今思うと、学生は大変だったことでしょう。頑張ってたよね、ごめんなさいと反省しています。
教員3年目の時、ある病院での実習指導中にも似たようなことがありましたね。ベッドサイドで受け持ち患者さんの術後の観察を一緒に行っていた時、病衣を開き胸腹部が観察できる状態になっても、学生のゆっくりした段取りは変わりませんでした。声もかけないで胸腹部をはだけた状態で黙々と聴診する学生に代わり、あなたは「寒さはどうですか。」と声をかけました。
学生と病室を出て、実践を振り返る際、学生は「私は観察することだけでいっぱいになってしまって、声かけも配慮もできていませんでした」と伝えてきましたね。あなたは経験を積んだ後であれば、「良く気がついたね、一所懸命だったからね、次は観察だけでなく配慮もできるようにやってみよう」のような言葉を選ぶでしょう。ところが、その時は、「患者さんへの配慮が不十分だったのではないか、配慮は基本的に大事なことだと思う」というような声かけをしてしまいました。 それは、自分自身の指導力不足に焦点を当ててしまっていたからなのではないでしょうか。
教員としての学生とのかかわり方が少しつかめた時
その日あなたは、予定されている実習の半分が経過した頃で、実習先の病棟看護師長と実習の到達目標の状況や学生の体調など、さまざまな話をする機会があります。看護師長は、師長職に就く前、大学の教員をされてきた人です。あなたは看護師長に、「学生を通して私の看護を押しつけている」「受け持ちをさせて頂いている患者さんの思いにどうやって応えたらいいだろうか」「学生には患者さんとうまくかかわれるように事前に手立てをしているが、思うような看護ができていない」「どうしたら患者さんに迷惑をかけずに学生も満足できる実習になるのだろうか」と、考えていることを伝えました。看護師長は、「先生、大丈夫ですよ。患者さんは看護学生だと分かってくれています。先生は学生をフォローして。私は患者さんをフォローするから」と手助けや答えをくださいました。
この時看護師長と話をしながら、涙を流してしまうかもしれません。それほどまでに、あなたは看護師長の言葉に「完璧な看護、しなくてもいいんだ。私だけで頑張らなくてもいいんだ」と感じることができたのです。 これをきっかけにようやくあなたは、教員の視点で学生に接し、教員として守っていくことに専念できるようになります。あなたは、自分の立場も不安でひとりでなんでもやろうとしていたのです。
学生に実習で自信をもたせたるために奮闘するあなたへ
キャリアを重ねたあなたは、実習指導をする際に、学生と面接をしてどの段階を目指して到達できるように指導をしたらいいのか確認をするようになります。ある面接の時、1人の学生が、「先生、私が担当する患者さんはいつも状態が悪くなるんです。今までの実習では、計画しても修正して行っても翌日は状態が変わることが続いていて」と話してくれました。その学生は学習準備もていねいで、やる気もありました。ですからあなたは、順調な回復過程が期待できる受け持ち患者を担当することで彼女の自信獲得につなげたいと思い、対象を調整しましたね。
ところが、その学生が担当した患者は、想定外の合併症を発症し7日遅れでの初回歩行訓練となりました。あなたは学生を励まし、一緒に彼女の考える看護を支えることを約束しながらも、心の中では受持ち患者について気になっているでしょう。それでも学生はめげずに症状を観察、評価し、改善に向けての看護を継続し、残り2日で実習が終了という日、生活指導について患者に合わせたポスターを作成しました。自分が説明した内容を患者が繰り返し口に出して読んでくれたと学生は喜んでいました。
そして実習最終日、患者はゆっくりと小さな歩幅ですが初めて歩くことができました。患者は学生に「今日は最後だから、いいところ見せようと思って。頑張れたよ。一緒に居てくれてありがとう」と涙ながらに伝えてくれました。学生もまた、「今までは状態が悪くなっていく患者さんに何もできない無力感でいっぱいだったけど、今回の実習では患者さんと一緒に頑張れたことがたくさんあって、達成感でいっぱいです」と満面の笑顔で伝えてくれましたね。
この時あなたは、状態の不安定な患者を繰り返し担当する学生に対して、スムーズな回復過程をたどる患者の看護実践を通して自信を付けさせようとしていたことが、間違いであったと感じたはずです。そして、いつも担当する患者の状態が悪くなるのなら、悪くなった状態から回復する看護を学ぶことが、本当に必要な場面だったのではないかと考え直したのではないでしょうか。
臨床教育の目的をしっかりと考える
最後に、私が心に留めている一文をご紹介します。
私は看護師から看護教育の世界に入るための学びの場で、多くの本と人に出会いました。その時に紹介された図書に書かれていたことです。
臨床教育の目的は、学生をケアするものとして成長させるために、学生のこの我執*にほんの小さなほころびをつくることなのかも知れない1)。
私は 学生が自分で気付いて修正できるような“ちいさなほころび”をつくれるような教員でありたいと思っています。そして、人との出会いを大切に学生と一緒に学んでいきたいと思います。