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近代看護・看護学の原典『看護覚え書』
近代看護を形作ったナイチンゲールが1860年に『看護覚え書』を著してから160年余ですが、看護が「学」として展開されてからの歴史はまだ浅く、看護は様々に説明され、定義づけられています。すべてのカリキュラムが誰々の看護論に基づいて展開されていた、という人もいるでしょうし、基礎看護学では○○の理論、成人看護学では△△の理論、精神看護学では☆☆の理論に基づいて看護を展開した、という人もあるでしょう。
看護って何? 看護師って何する人? と問われた時、自らの言葉で看護を言い表し、説明できることが必要です。看護という現象を、どのように言語化すると腑に落ちるか、それぞれが探索していると思います。
看護学を学んだという人々が、共通して知っているべき原典は、ナイチンゲール(Nightingale F [1820-1910])の『看護覚え書』でしょう(以下、本連載ではうぶすな書院の『対訳 看護覚え書』[小林他訳]1)から引用します)。ヨーロッパにおいてキリスト教に基づく奉仕としての看護が衰退して、看護の暗黒時代と呼ばれていた時に、ナイチンゲールが彗星のように現れて、「看護とは、新鮮な空気や陽光、暖かさや清潔さや静かさを適正に保ち、食事を適切に選び提供する—すなわち、患者にとっての生命力の消耗が最小になるようにして、これらすべてを適切に行うことである、という意味をもつべき」(看護覚え書 )2)という看護の仮説を提示しました。
ナイチンゲールが生きた時代は、ちょうど近代医学の発祥の時です。1800年代は、産業革命のただ中で、蒸気機関車が走り出しました。この1800年代に、近代医学と近代看護学は時を同じくして萌芽しました。
ナイチンゲール以前、暗黒時代と称された時の看護の象徴的な人物が、『看護覚え書』にも引用されている“酔いどれのギャンプ夫人”です。ギャンプ夫人は『オリバー・ツイスト』や『デイビッド・コッパーフィールド』などの作者として知られるイギリスの作家、チャールズ・ディッケンズ(Dickens C[1812−1870])の『マーティン・チャズルウィット』に出てくる看護師です。宗教に基づく奉仕の精神はなく、教育もなく、暖炉のそばでワインを飲みながら時間を過ごしている付添婦として描かれています。このギャンプ夫人のイメージから白衣の天使へのイメージへの劇的な変換は、ナイチンゲールの働きによってもたらされました。
1年次に、時代背景を考慮し、ナイチンゲールが指摘していることが現代にどう繋がっているかを考えながら、1年かけて『看護覚え書』を読むのも一計だと思います。例えば、ナイチンゲールは換気のために窓を開けることを繰り返し述べています。空調が整った建物が当たり前の今日、窓を開けるという方法にのみ目が行くと、「今時そんなことを」と思いがちです。しかしこれは窓を開ける換気が当時の清潔な空気を保つ方法であっただけで、清潔で酸素が足りている空気を保つことの重要性を指摘しているのです。空調設備により、病室の空気はどのように回り、新鮮な空気になっているのかをどう確かめるのかに目を向けていかないと、ナイチンゲールが指摘している本質を見失います。これには教員のアドバイスが必要です。 そして卒業前にもう一度読んでみると、理解が深まると思います。学生に課題として読ませて、レポートを出させるという話をよく耳にしますが、初学者の学生が一人で読むには難しい本です。
看護師の教育制度は見直すべき
ナイチンゲールは『看護覚え書』で看護学の課題を示したあと、聖トマス病院ナイチンゲール看護婦養成学校を開設し、看護師の教育に力を注ぎました。職業訓練として看護師の養成が始まったのです。
これは日本でも同じです。日本でも,ギャンプ夫人のような看病人しかいなかったところに、聖トマス病院医学校に留学し、ナイチンゲール看護婦養成学校を見て帰国した高木兼寬(1849-1920)が、1885年に有志共立東京病院看護婦教育所を開設しました。これが看護師の職業訓練の始まりです。その後40年余を経たのち、1927年に聖路加女子専門学校によって、職業訓練から高等教育への転換が始まりました。第二次世界大戦前の学校教育制度は、現在のものとは違い、男女別学で、男子における大学に該当するのが、女子専門学校でした。職業訓練でなく高等教育へ舵を切ったのは、米国から赴任してきた宣教医のルドルフ・B・トイスラー(Teusler R B[1876−1934])です。この時から日本では性格の違う様々な教育機関での看護師の養成・教育が続いています。
日本の看護教育制度は、複雑です。多様な機会があるといえば聞こえはいいですが、1つの国家資格を得るのに、様々なルートがあることには個人的には反対です。医師や歯科医師、薬剤師は、学部教育のみの1ルートです。ところが看護師は、大学でも、短期大学でも、専門学校でも教育しています。さらに、中等教育に当たる高等学校と専攻科を合わせての教育もしています。そして准看護師は、中学卒業後に養成所で教育を受けられます。准看護師から看護師になるための教育ルートも複数あります。看護師という一つの職業人を、様々な教育目的をもつ学校種で教育をしているのは、見直す時期になっていると思います。なお助産師と保健師の教育は看護師教育に積み重ねる形となっていますが、大学でも大学の専攻科でも、専門学校でも、大学院でも教育しており、こちらも複数のルートになっています。
自分たちがどういう教育制度の中で学んでいるのかは、学生自身も知っておくべきでしょう。
看護とは
前述した『看護覚え書』におけるナイチンゲールの看護の仮説は、もはや定義になっていると思います。これを私自身が納得できる言葉にすると「看護は疾患の有無にかかわらず、健康上の理由で生活を変えなければならない人に、その生活の変え方について情報提供し、本人が納得して新しい生活を築き上げることを支援する、または本人ができない部分を看護技術を用いて補足してできるようにすること」となります。ここに至ったのは、解剖生理学を看護の視点で組み替える仕事をしていた時で、この経緯について、本サイトに『「人体の構造と機能」を看護に引きつけよう』という記事を執筆していますので、関心がある方はご覧ください。
看護は赤ん坊からお年寄りまでの、様々な健康状態の人が、息をして、食べて、出して、寝てという、毎日の生活を全うすることにかかわります。例えば、糖尿病の人の食事療法は、食べるという日常生活行動を変える必要があるので、情報提供をし、生活の工夫を一緒に考えます。骨折して突然ベッドの上で24時間生活しなければならなくなったら、食事はどうする、トイレはどうする、お風呂はどうする、洗面も、手を洗うのもどうしたらいいか、となりますね。健康上の理由で自分だけで生活行動ができなくなった場合、看護はそれをできるようにする技術を持っているので、支援できます。
もう一つ、どのように支援するか問われます。看護はケアです。ケアはする人とされる人双方に、成長と満足、喜び、さらに希望をもたらすものです。看護を受ける市民は、看護によって生活が全うできると同時に、これでやっていけるという安心、これでいいという安寧を得ることができます。看護師は病者のその状況に満足し、向上心が生まれます。これこそがやり甲斐なのです。しかしながらケアは、コミュニケーションが円滑に行われ、互いが安心して情報提供や技術提供がなされないと成立しません。緊張しすぎたり、忙しいから早く終わらせたいなど、相手に専心できない状況では、ケアは成り立たないのです。
どんな健康状態であっても、その人が日常生活を全うできるようにする、そしてその時、ケアとして成立するように行うのが看護なのです。この看護を体験させることが、基礎教育の仕事です。
看護学とは
すでに述べたように、近代看護は看護師の養成に力を入れてきました。しかし、『看護覚え書』には、看護に関する様々な仮説が述べられています。その仮説は、ナイチンゲールの経験知です。例えば「紅い花を見ると元気になり、深青色の花を見ると気が滅入る患者がいる」(看護覚え書)3)という記述があります。この経験知を、理論的に説明するためには、なぜ赤の花がよく、青い花はいけないのかの理由が必要です。色彩が人に与える影響が明らかになること、そして実際にどんな違いが出るのか、実験的な検証が求められます。こうした研究により、ベッドサイドの花の色に関しても、理論的に説明可能になります。これは経験知を理論知へ転換することであり、その追求があるからこそ、看護は看護学という学問へ転換してきたのです。
看護は日常の中で、病人を看病する、お産を助けるなど、当たり前に行われてきたこと だったため、研究の対象になると思われなかったということもあるでしょう。訓練の中で、理論を求めないまま、型通りを伝えていたということもあったでしょう。
看護の現象が研究対象となり、言語化されるようになった、あるいは研究しようという人が出てきたのは、『看護覚え書』から100年近くもたってからでした。今日、看護学は学問として成り立っていますが、日本で看護学の大学院ができたのは1979年です。「看護に研究が要りますか?」「看護は学問ですか?」と問われて、看護界がイエスと答えてからまだ、50年になっていないのです。しかしこの間に、様々な看護現象が言語化され、新しい看護技術が開発され、看護は看護学を基盤にした実践活動に変換されてきました。
これから看護学を学ぶ人たちは、この看護学の成果を学び、実践に生かしていかなければなりません。そのために学としての探究の方法、成果の読み取り方を学生時代に徹底的に学んでおく必要があります。それは論文を読むことです。仕事を始めてから読み始めるのでは間に合いません。学生時代に論文を読む癖をつける、教員は学生が論文を読めるように支援することが求められると思います。
看護学が新しい学問領域であるからこそ、その時々で妥当な知が変わり、新しい知が見つかってきます。ワクワクする研究領域が無限に広がっているのを、学生に気づかせて欲しいと思います。
1) ナイチンゲール著,小林章夫,竹内喜訳:対訳看護覚え書,うぶすな書院,1998
2)前掲1), p.5.
3)前掲1), p.101.