連載を始めるにあたって
聖路加国際大学看護学部において、1年生への看護学の導入科目を10年ほど担当しました。その講義録を『看護学への招待』というタイトルで、ライフサポート社から出版したのが2015年です。しかしながら2023年末に同社が閉鎖し、この本は絶版になりました。授業に使っていただいていた大学もあり、訴えたいテーマもあって、今回、NurSHAREに『看護学への招待』の第1部「看護学概論」の1−7章に加筆修正を加え、また書き下ろしも含めて、改めて連載することにいたしました。転載についてライフサポート社の佐藤信也氏のご協力に感謝いたします。また、このような機会を設けてくださった南江堂NurSHARE編集部に御礼申し上げます。
看護職は満足な仕事ができているの?
今日の看護を巡る状況は、楽観できるものではないと思います。看護の仕事はAI・ロボットに置き換えられず、人間がする仕事として残ると言われていますが、看護師は何をする人なのか、大変曖昧になっていると感じます。学生時代に考えていた看護と、働き出した現場の看護は違うと看護師は言います。看護や医療の受け手の市民(患者という言葉には、医療の管理下にある病者という意味が含まれるので、市民という言葉を使います) は、「看護師は何をしてくれる人?」と疑問を呈し、「看護師は忙しそうで何も聞けないし頼めなかった」と言います。もちろん、生き生きと働く看護師も、看護によって回復している市民がいることも確かですが、この現状をどう考えたらいいのでしょうか。
医師の働き方改革のために、看護師に医療行為を実施させる傾向が強まっています。また診療報酬にかかわるチェック作業が膨大になっていると言われます。これらは看護行為の時間を奪い、看護師は何をする人かが今以上にわからなくなってしまう危険があります。医療行為に取られた時間を補うために看護師が増員されているわけではありません。看護行為を看護助手(補助者)にシフトさせる流れがありますが、それで看護師は満足に仕事ができているのかと問われれば、そうではないと思います。
2020年、看護師132.0万人、保健師6.7万人、助産師4.2万人、准看護師30.5万人で、総数173.4万人(人口10万人対1,369人)でした1)。ちなみに医師数は2020年33万9,623人(人口10万人に対し、269.2人)2)でした。1990年の看護職の総数は83.4万人でしたから、30年で倍以上になっています。それでもまだ不足していると言われています。
しかし看護職の供給源から見ると、2023年4月に看護基礎教育の入学定員数を満たしたのは4年制大学のみです。専門学校や短期大学、高校の5年一貫教育校のいずれもが定員を満たしておらず、准看護師養成所・高等学校衛生看護科も同様です1)。18歳人口が減少の一途をたどる中で、看護職を目指す若者の数が増えるわけもありません。この状況からだけでも、看護職が働き続けること、働き続けられる職場環境が保証されることが必要です。
看護基礎教育は何をすべきか
看護師が看護の仕事を一生のものとして働き続けるには、一人ひとりがその意思を持っていることが大切です。これを育むことが基礎教育の役割だと考えています。卒業時において各自が、看護にアイデンティティを持っていることが、看護を一生の仕事にする基礎ではないかと思います。看護へのアイデンティティとは、具体的には看護を主張する力があることです。そのためには学生時代に看護の体験と、看護学の可能性を実感することが必要で、看護学教育はこれらを保証しなければならないと思うのです。
どうやってこれらを保証するのかを考えた時、看護学教育に身を置いていたものとしての反省があります3)。
一つは実習で何を体験させるのかということです。COVID-19の経験は、実習のあり方を見直す機会になりました。学習の動機づけ、知らない人とのコミュニケーションの取り方から、看護過程の展開、看護技術の実施まで、私たちは実習の中であまりにも患者に頼って教育をしてきたのではないか、と気がつきました。COVID-19で現場に出られなかった時の学内実習(演習)をみて、患者の前に出る時には、練習ではなく本番だという自覚を、学生も教員も持っていただろうか、と反省することがたくさんありました。学生は実習において患者に専心し、看護技術を提供し、患者への効果を確認するとともに、自身がやってよかった、もっとやりたいと思う向上心を持てることが、看護の体験だと思います。コミュニケーション実習、看護過程の練習などと、どこかだけを切り取ったものは、看護の実習ではないのです。
現状の2週間(2単位)ごとに場が変わる実習で、相手との関係性を築き、看護を体験することは困難だと思います。もちろん体験できた学生もいるでしょう。でも、どれくらい可能でしょうか。一方で、「学生のレベルに合う患者がいない」と言う教員、「私の受け持ち患者が退院してしまって看護過程が回せません」と言う学生、このような本末転倒の話が聞こえるのは、学習目標の示し方や方法に問題があるからだと思います。
大事なのは看護を体験することです。学生が看護を体験できたら看護の面白さ、やりがいを感じることができると思います。これが生涯仕事を続けていく意思につながると思います。
もう一つの反省は、基礎教育が病院における看護に偏り過ぎていることです。地域包括ケアが進展し、医療の拠点が病院から地域へと移行しているにもかかわらず、訪問看護ステーションを始め、地域包括ケアや自分の家で暮らしている人々の看護に関する教育が少ないと感じます。病院、そしてその中で行われる治療に焦点が当たり、生活の中で健康課題とともに生きている市民を知らなすぎるのです。赤ちゃんを知らない、子どもを知らない、お年寄りを知らない中で、いくら疾病の知識があっても生活を整えるための支援ができるはずがありません。個々の市民の生活や考え方は実に幅広く、ステレオタイプに看護の問題を挙げていくことは、見当違いをもたらします。もっと丁寧に人々の生活と価値観を学ぶ時間を設けなければならないと思います。
実習における看護の体験と並んで学生時代に学んで欲しいのは、看護は看護学によって説明される、また開発される一学問領域をなしていることです。ナイチンゲールが近代看護を提唱し、まず看護師の養成に力を入れたことで、看護は一つの職業として成り立つようになり、職業訓練が定着しました。ナイチンゲールは看護学のテーマをたくさん提示していましたが、それらへの研究的取り組みが始まって、まだ70余年程度ではないかと考えられます。看護を成り立たせる諸要素に関して、研究によって説明可能になっていることを、学生に伝えていくのが基礎教育のもう一つの役割です。この点を、本連載で提案していきたいと思います。
<後編へ続く>
1)厚生労働省:第2回看護師等確保基本指針検討部会参考資料2,〔https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/001118192.pdf〕(最終確認:2024年6月27日)
2)厚生労働省:令和2(2020)年医師・歯科医師・薬剤師統計の概況,〔https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/ishi/20/dl/R02_kekka-1.pdf〕(最終確認:2024年6月27日)
3) 菱沼典子:COVID-19は看護学教育を変える―臨地実習再考.聖路加看護学会誌24(2):p.37-39,2021