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第1回:ヒトの生得的要素-共同注視

第1回:ヒトの生得的要素-共同注視

2022.01.25安保 寛明(山形県立保健医療大学 教授)

はじめに

 私は、精神保健学を専門にしています。人が生きがいを持って充実して生きるために必要なことは何かを考えたり調べたりしてきました。2015年以前に仕事をしていた精神科病院では、アウトリーチ推進事業という取り組みのプロジェクトマネージャーを務めていて、精神的な苦悩を持ちながらも医療や行政サービス、あるいは近所の方に助けを求めない人のところへ訪問するという仕事をしていました。

 人はなぜ、幸福や充実のために前向きになるということができなくなることがあるのか、どうすればその状況は打開できるのか、私もわかっているようでわからないことが多くありました。そのため私はアウトリーチチームの仲間と一緒に一人一人、ひと家庭一家庭ずつ丁寧に考え、最適と考えた方法やタイミングで訪問したり、家族と会ったりしてきました。その結果、何割かの方々が前向きになって行動をはじめて、例えば就職をしたり家族との関係に言葉や協力関係が生まれたりしていきました。その過程で多くの場合既存の知識の組み合わせで説明ができることに気づいていきました。
 

この連載で扱うこと1 ヒトはなぜ高度な知性をもつようになったのか

 連載の序盤は、人間がなぜ知性を持ったのか、という点を中心に書いていきたいと思います。
 人間の知性の獲得は、もちろん言葉の獲得や二足歩行の影響が大きいですが、ここまで人間が知性を獲得したのは、高度な社会的知性を持ち合わせていることが影響しています。社会的知性とは、自分以外の人間の考えていることを類推する力のことです。表情や行動から、自分の周囲にいる人がどのようなことを考えているのかがわかることで、言葉を使わなくても行動で協力し合うことができるようになりました。

 では、なぜ言葉を獲得できるようになり、社会的知性を獲得できるようになったのでしょう? 言葉や社会的知性の多くは自然学習するわけではなく、周囲の人から獲得しているようです。でも、サルやチンパンジーのような別な哺乳類も群れで暮らしますから、ただ群れで暮らすだけで言葉や社会的知性を獲得できるなら、言葉を獲得したり社会的知性を持ったりするはずです。

 そこで、この連載の冒頭では哺乳類のなかでの人間の特徴や成長過程で起きる人間らしさの獲得過程を紹介することで、人が高度な知性と豊かな情緒によって精神的に成熟する過程を明らかにしていきたいと思います。
 

この連載で扱うこと2 身体の一部としての脳と社会的知性の関係

 連載の中盤以降は、身体と脳の関係と大人の社会的知性を話題にしていきます。「心は脳にある」ということを疑う人は多くないと思います。脳は確かに記憶や判断、運動の指令などの司令塔の役割を持っています。加えて、身体を通じて身体や周囲に起きた変化を察知するセンサーの役割も持っています。
 一方で、脳自体も身体の一部であって、酸素や栄養がないと活動することができません。さらに脳は肝臓や腎臓と違って、脳の場所によってさまざまな役割分担があります。これらをもとに精神の乱れがどのようにして起きるかを整理していきます。

 連載の終盤では、依存症や自傷他害といった、精神保健学の分野で重要な領域で起きている事に関する研究結果を紹介したり、おとなの社会的知性の場である職場を舞台にした心理学(組織心理学)の最近の発見を紹介して、いわゆる「問題行動」とか「迷惑行為」とされること、その反対である社会的な連帯がどうやって起きるのかを述べていきたいと思います。

 
 さて、本連載の初回では、人の知的発達のいくつかが人の身体的な特徴から生まれることを紹介します。

 

白目が明らかなのは、ほぼ人間だけ

 ほかの哺乳類と人間の違いは、いろんなところにあります。二本足で歩く、体毛が少ない、表情が豊か…などなど。このうち人間の言語獲得と社会的知性の獲得に大きく影響した特徴に、白目があるということを紹介したいと思います。

 「白目」は眼球の外壁にある厚さ1ミリほどの強膜と呼ばれる部分です。ネコやイヌなどにも強膜があり、横を向いたときなどに白目部分が見えることがありますが、人間のように普段から「白目」が見える状態になっている動物はほとんど*いません。なぜヒト以外の動物は白目を出していないかというと、野生動物の世界では視線がわかることが弱点になり、生き残れないからです。

家畜化したイヌの一部など、視線がわかっても問題がない生き物の場合には正面から見ても白目がある場合があります。

 野生動物の世界では、自分が追いかける側であるときに視線が獲物に知られてしまうと、自分が追いかける方向が獲物にばれてしまうので逃げられてしまいやすくなります。また、自分が逃げる側の場合でも視線が追いかける側の動物に知られてしまうと、自分が逃げる方向がばれてしまい、先回りされてしまいます。

 野生動物の世界では、自分の視線がほかの動物に知られることは弱点となります。おそらくヒトの場合も弱点でもあったことでしょう。ところが、ヒトの場合はこの弱点を、養育関係やコミュニケーションに活かすようになります。その代表例が共同注視です。そのことは次で紹介します。

視線がばれると先回りされる
視線がばれなければ逃げ切れる

 

共にある原始体験:共同注視

 人は、白目があるおかげで相手の人がどこを見ているかを察知することができます。そのため、赤ちゃんや子どもは目を合わせた人が目をそらした先を追跡して一緒に見る、ということができます。例えば、赤ちゃんと見つめ合ってかわいがっていた養育者が哺乳瓶やおもちゃを取ろうと視線をそちらに向けた時、見つめられていた赤ちゃんは養育者が向けた視線に合わせて哺乳瓶やおもちゃを見ることができるのです。共同注視とは、一緒に物を見るなどの方法で同時に同じものに関心を向けることをいいます。

A(養育者)「わーかわいいなー」
B(子ども)「(ニコニコ)」


A(養育者)「あっ、このおもちゃを見せてあげよう(と、おもちゃに視線を向ける)」
B(子ども)「(あっ視線がどっかに動いたぞ・・・そっちを見る)」
 


A(養育者)「このおもちゃ、かわいいでしょーほらほらー(と、おもちゃを見せる)」
B(子ども)「(わー何か見えるぞー、なんだろなんだろー」
 

 と、まあこんな感じのことがいろんな養育関係で発生する事でしょう。
 この共同注視によって、赤ちゃんは「周囲の人が見るものを一緒に見ると面白いことが起きるぞ」という経験を積み重ねます。この経験は発見の喜び、つまり知的好奇心のはじまりになります。人間が知的好奇心を強く持ち、未知の出来事に挑戦したり探求したりするのは、生まれる前から決まっている事ではなく、生まれてから経験によって積み重ねられる感情体験なのです。

共同注視は言葉の発達に有効

 さて、共同注視がもたらしてくれる効果をいくつか紹介しましょう。まず共同注視の体験は、「他者と目が合った後に一緒にものを見ることで新たな発見がある」という経験になります。一緒に見る物の名前がわからないときには、相手がその名前を発音してくれたら名前がわかります。こうして、視覚と聴覚を一緒に働かせることで言葉を覚えることができます。こうして名前を覚えることができるようになり、コミュニケーションにおいて豊かな語彙が蓄積されていきます。

 例えば、こんな感じです。

A(子ども)「(りんごを見つめながら)あれ、なあに?」
B(養育者)「(Aさんの視線の先にあるりんごに気づいて)あ、あれはりんごだよ」
A(子ども)「そっかーりんごっていうのかーー」

共同注視:目は口ほどに物をいう―ただし人間に限る

 この場面では、AとBの二人の間ではリンゴを手に取っていません。手に取っていないけれども視線がわかることで何に注目しているかがわかり、手に取っていない物質(りんご)の名前を教え・教わることができています。このように、手に取っていない何かに関する関心が共有できるには、共同注視が必要です。つまり、人でないとこのようなコミュニケーションをつうじた語彙の獲得はしにくいのです。

 なお、この共同注視の関係をうまく使って目と耳以外の方法で言葉を覚えていった人が、ヘレン・ケラーです。ヘレンは2歳の時に視覚と聴覚のほとんどを失い、2歳まで覚えていた言葉以外を追加で覚えることができませんでした。ヘレンが7歳の時にやってきた家庭教師のサリバンは、片手に水を流してあてて感じさせ、もう片方の手につづりで“WATER”と書いて、手に当たっている液体が“WATER”という名前なのだと学習することができました。感覚を同時に刺激すること(同時性)によって人間は物事を認識しやすくなり、言葉を豊富に獲得することができるようになったのです。

「共時性」は喜びと知性を生み出していく

 先ほど、ヘレン・ケラーの例で紹介した通り、言語の獲得に重要なのは「共同」であることを紹介しました。多くのヒトは共同「注視」から経験しますが、必ずしも視線と声での共同とは限りません。ヘレンの例では、両手にそれぞれ受け取る感覚によってヘレンはWATERを覚えることができたわけです。

 ところで、ここでいう「共同」には二つの意味があります。
 ひとつは、視覚と聴覚、左手と右手(の触覚)のような、自分が受ける五感の刺激が同時に二つあるということ(感覚の同時性(感覚共時性))です。先ほどのヘレンの例でいえば、左手に水をあてながら右手に“WATER”と書いたところです。
 もうひとつの「共同」は、自分と誰かが同時にあることに注目していることを感じるということ(他者との同時性(存在共時性))です。先ほどのヘレンの例でいえば、ヘレンの発見の物語をサリバン先生が同時にいて、ヘレンの感動体験の様子をサリバン先生もそばで感じていたということです。

 さて、読者のみなさんは気づいたかもしれませんね。前の項で紹介した「言語の獲得」などの概念の理解には意味では感覚共時性が重要ですが、他者の存在を肯定的に受け止めて行動する社会性の獲得という意味では存在共時性が重要なのです。

 例えば、日本の小学校ではよく、教科書の音読をしたり、掛け算の九九を声に出したりしますね。これは感覚共時性をつかって読み方や計算といった新しい概念の獲得を進めていく例です。もう一方で、合唱や給食などで同じ曲を歌ったり食事をとったりしますね。そのように、誰かと一緒に経験をすることは喜びや満足などの経験を強化しやすくなります。また、このような経験が繰り返されることで他者の存在を肯定的にとらえやすくなり、話したり聞いたりといった他者への働きかけにも肯定的な認識が生まれやすくなります。共時性は知性と喜びをもたらすことで、人の精神的な成熟を促していると言えそうです。 

予告による手渡しも、ほぼヒトだけ

 ところで、共同注視の経験と感覚共時性を組み合わせると、人間ができるもう一つの社会的行為が生まれます。それは、「手渡し」です。手が使えるだけでは「手渡し」はできません。なぜって「今から手渡しをしますよ」という意図が相手に伝わって相手が受け取る準備をすることで、はじめて手渡しが成立するのです。そう、手渡しは「意図を相手に伝える」という社会的行為のひとつなのです。

 さて、「意図を相手に伝える」という行為は、ヒト以外の生き物ではとてもハードルの高い行為です。もちろん、鳴き声を出したり、体を大きく見せたりして意図を伝えることはありますが、これらの方法は相手を驚かせるような関心の向け方なので手渡しには向いていません。威圧的行為ではない方法で自分の意図を相手に伝えるには、相手が関心を持ってくれるような行為を予測できることが必要です。

 共同注視と手渡しと予測の関係を説明しましょう。
 人は乳児期から共同注視の経験を持っていますので、誰かと誰かが視線があうと「今から何かがはじまるのではないか」と期待をすることができます。期待によっていろいろな準備をしますから、手渡ししようとする動作を見たときにすばやく受け取る動作をすることができ、手渡しが成立するのです。例えば、野球のキャッチボールやサッカーやバスケットボールのパス交換には視線が合ったり「パス!」という言葉があったりして相手に意図が伝わってから実際にボールが届きますね。このときキャッチボールでは、以下のようなプロセスが起きていると考えられます。

A「キャッチボール、はじめるよー」
B「オッケー」
A「(視線をあわせて)いくよー、それっ(投げる)」
B「(ボールを捕る)おーじゃあこっちから。それっ(投げる)」
A「(ボールを捕る)いいねー」

 このようなボールの投げ合いの時には、まず視線があうことでボールがこっちに来るという期待が発生しています。そして、ボールが実際に投げられて受け取るという行為は、ボールが来るという期待が現実のものになるという経験になります。期待が現実化するという経験が喜びをもたらします。共同注視や予告による手渡しといった行為は、視線があうことで期待を持たせ、その期待が現実化することを通じて相手に喜びを与えるという行為なのです。

第1回のおわりに

 さて、第1回では、共同注視によってヒトが関心や感覚を共有することの意味を扱ってきました。共同注視は人の白目という野生動物の世界では弱点になりそうな機能を活用した方法であることも紹介してきました。ヒトは、多くの弱点を工夫で克服してきた生き物であるとも言えるのですが、第2回ではヒトの「弱者」としての経験がもたらす精神の発達と成熟を紹介したいと思います。 

安保 寛明

山形県立保健医療大学 教授

あんぼ・ひろあき/東京大学医学部健康科学・看護学科卒業、同医学系研究科博士課程修了(保健学博士)。岩手県立大学助手、東北福祉大学講師、岩手晴和病院(現・未来の風せいわ病院)社会復帰支援室長、これからの暮らし支援部副部長を経て2015年より現所属、2019年より現職。日本精神保健看護学会理事長、日本精神障害者リハビリテーション学会理事。著書は『コンコーダンス―患者の気持ちに寄り添うためのスキル21』(2010、医学書院)[共著]、『看護診断のためのよくわかる中範囲理論 第3版』(2021、学研メディカル秀潤社)[分担執筆]など。趣味は家族団らん。

企画連載

人間の知的発達と精神保健

長年にわたり精神保健に携わってきた筆者が、人の精神の発達過程や、身体と脳の関係、脳と精神の関係、今日的な精神保健の課題である「依存症」や「自傷他害」、職場における心理学、「問題行動」や「迷惑行為」といった社会問題となる行為など、多様なテーマについてわかりやすくひも解いていきます。

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