看護教育のための情報サイト NurSHARE つながる・はじまる・ひろがる

『宮下光令の看護研究講座「私はこう教えている」』特別座談会(後編)

『宮下光令の看護研究講座「私はこう教えている」』特別座談会(後編)

2023.09.12NurSHARE編集部

前編はこちら> 

参加者 サムネイル写真左から
森岡典子 先生(東京医科歯科大学大学院保健衛生学研究科看護先進科学専攻 准教授)
宮下光令 先生(東北大学大学院医学系研究科保健学専攻 教授)
友滝愛 先生(東海大学医学部看護学科 特任講師:司会)

そもそも、「看護研究」とは

友滝:ところで、宮下先生がお考えになっている「看護研究はこう教える」の「看護研究」とは、何を指しているのでしょうか。

宮下:他の領域では、「薬学研究」「リハビリテーション研究」とは言わないですよね。それと同様に、看護に関することであっても他の分野の研究と変わらない、研究とは真実を明らかにすることが目標であり、研究は研究だ、と私は思っています。とはいえ、質的研究や評価尺度が非常に大切になることだとか、やっぱり看護に特有の特徴はありますから、それを学生に話すようにしています。医学研究だと血液データのような、わかりやすく客観的な値を使うことが多いですが、看護に関する研究だと、目に見えないQOLのようなものを測らないといけないですからね。
 一般的な医学研究の教科書って、評価尺度の信頼性などの記述が薄いですよね。だから、特徴について教える時には「看護の研究ではこういうことが大切になるから、ここは理解していてほしい」と強調しています。「看護研究」という言葉は個人的にはあまり好きではないのですが、一般的に使われている言葉なので使っています。

森岡:賛同します。私の専門である公衆衛生学、ヘルスサービスリサーチは医療における各種サービスの質を包括的に科学的に明らかにする研究領域で、もちろん、看護の質、看護人材、実践に関する研究も包含されていますが、その中で看護研究という用語はあまり用いません。
 Academy Healthというヘルスサービスリサーチの学会では、看護関連のテーマは看護研究=Nursing researchではなく、The Interdisciplinary Research Group on Nursing Issues(直訳すると” 看護問題に関する学際的研究グループ”)という分科会名が用いられています。この名の通り、看護の諸課題に関する研究は、疫学・統計学を用いる量的研究だけでなく、現象学や哲学という学問領域の手法を用いた質的な探求も必要となるということで様々な学問領域の手法を応用した学際的なものであると言えると思います。
 そういう意味では、いわゆる客観的な数値を量的に明らかにすることが一般的な医学研究よりも、宮下先生のおっしゃるような目に見えない概念を測る尺度を用いた研究や質的研究が発展していますので、あえて「看護研究」という言葉を用いてそういった学際的な視点の重要性というのを意識するのはよいかと思います。

看護学の教員が、量的研究に関する講義を担当する意義 

友滝:「研究」に関する科目には様々ありますが、15年以上前の調査(田中ら, 2005)で、看護系大学で疫学・生物統計学といった量的研究にまつわる科目を誰が教えているのかを調べた結果があります。看護学を専門とする人が教えている大学は少なかったという結果ですが、今も似たような状況でしょうか。研究に関する講義の中で看護の話題をうまく絡めて話せるかは、興味関心の面で大切だとは思います。

宮下:統計の部分に関しては自信を持って教えられないだとか、間違ったことを教えてしまうのではないかという恐れから統計専門の先生に頼んでいるという面もあると思うんですよね。どちらの教え方がよいかは自分もわからないですけれども、やはり看護のバッググラウンドを持つ人が統計を教える良さもあるのでは、とは考えています。

 実際、私は初回や導入の回で、筋肉注射の方法のような、過去の看護技術が現在の研究によって否定されている例を挙げています(連載第2回参照)。こういった実例を出して「看護でも研究って必要なんだ」「研究によって技術や考え方はどんどんアップデートされていくものなんだ」と学生に最初に理解してもらうことも大事だと思うんです。講義中で取り上げる研究も、全部が看護のことでなくても、なるべく看護に役立ったり影響するようなものを紹介するようにしています。直接看護に影響しないのはフラミンガム研究ぐらいですね。これは医療者として知っていたほうがいい有名なコホート研究として紹介しています。
 あとはナイチンゲールの話(連載第2回参照)ですね。戦争で亡くなった人より感染症で亡くなった人が多かったと明らかにした、クリミア戦争の衛生改革です。その当時は看護師が下に見られていて、ナイチンゲールも最初は戦地で看護をさせてもらえなかった。けれどデータを出せば軍も納得してくれたわけで、だから客観的な数値は強いんだよ、研究は重要なんだよ、と伝えます。

Nightingale F:Diagram of the causes if mortality in the army in the east. (連載『宮下光令の看護研究講座「私はこう教えている」』第2回「看護研究の「導入」はこう教えている! ―なぜ看護に研究が必要なのか」より)

 

学生の興味・好奇心を引き出す演習

友滝:実際に看護研究や統計を教えるうえでの失敗例とか、もっとこうすればよかったと思われた経験はありましたか?
 たとえば、私は調査演習を入れた授業を行うことがあります。学生にクロス集計ができる仮説を立ててもらい、お互いのアンケートに回答しあってデータを取り、自分たちでExcelを使って分析してもらうといった演習です。ただ、この演習形式を採用するまでには、いろいろと試行錯誤がありました。「演習」なので、確かに学生も手を動かしているのですが、だからといって学生の主体性を十分に引き出せているかは別だと痛感します。

宮下:東北大学に赴任してすぐの時、看護情報学という統計を教える講義を担当し、統計を15コマ使って教えていました。その時に私も学生を3人ずつのグループにしてアンケートを作ってお互いにデータを取って、解析し、実際にプレゼンテーションまでするという演習をしていました。
 それなりに興味は持ってもらえましたが、学生にとっては、結局よくわからなくて言われた通り手だけを動かしがちだったり、グループ内で真面目にやる人とそうでない人が出てしまったりしました。インターネットで遊ぶ子もいて空気感が悪いと学生から言われ、他の事情との兼ね合いもあり、今はもう諦めて統計の内容はこの連載で話している看護研究の講義に併合して、講義しかしないことにしました。ですので、今は演習ができていない状態なんですが、最初に話したように来年から復活できるかもしれません。
 でも、学生の出してくるテーマは面白いんですよ。「どこまでが浮気か」とか、よくありました。君たちはそんなに浮気に悩んでいるのか…と。「医師と結婚したいか?に関連する要因」とかも結果は面白かったです(笑)。

森岡:それ、リサーチマインドとちょっと近いですよね。疑問や興味を持ったことに量的にアプローチして、データを得て、何かしらの示唆を得ようという点では同じというか。そういう演習が大事なんだろうなと思います。

宮下:研究ってもともとそういう、好奇心に動かされていくものだと思うんですよね。本来は本当にその人が知りたいことを、調べられればと思いますし、昔はそうだったのだと思います。ただ、臨床研究に関する指針も厳しくなって、そういうのどかな時代が終わってしまったのは残念な気もします。仕方ないのですが。来年から予定している演習では健康情報を扱わない範囲でそのようなこともするかもしれません。
 ただ、好きなことをテーマにさせると、多くの場合、文献検索の練習ができないんですよ。仮説を作る時には文献検索をして、それに基づいて何かの仮説を作っていくプロセスが大事ですよね。その部分の練習が、「どこまでが浮気か」といったテーマだとなかなかできない。文献検索するようなものは、医学系研究になるでしょうし、倫理指針にも引っかかってくる。倫理審査委員会に出すような研究演習はできないですし。

友滝:私は演習の際、分析はグループみんなで行い、その後のレポートは自分で仮説をひとつ選んで書くという形を取って、できるだけフリーライダーを出さない工夫をしていたこともありました。ただ手を動かすだけで、何を学ぼうとしていてどんなことができるようになるのか、その意図が伝わりにくい内容だと、授業を面白がって受けるというようにはなりにくいなと。
 だから私は、どんなテーマであっても、学生が関心のある仮説に基づいて、何と何を比較して、どっちの割合がどれくらい高い・低いっていうデータの見方ができて結果を解釈できていれば、分析にまつわる学習としては大成功だと思っています。

看護研究をオムニバスで教える難しさ

友滝:私はひとりでほとんどの授業を担当する科目が多いのですが、複数人で担当する場合もあると思います。たとえばオムニバスだと、1つの科目の中で、各コマの順序性や共通性を考えて授業を配置していても、教員ごとにそのコマそのコマで説明がぶつ切りになるところがでてきやすくなる場合もあります。そこを、連続してコマを担当することができれば、前に説明した話を引き継ぎながら「それでね、あのときのこの説明なんだけど」とか、「以前『ここでみんな困りやすいと思うけどこれは後で説明するからね』って言ったと思うけど、この“後”が今回の説明だよ」と補いながら話ができます。実際に私も授業ではそのように話して、科目全体を通したストーリーを大切にしています。

宮下:たとえば質的研究で理論的サンプリングについて説明する場合でも、事前にランダムサンプリングなどを説明されているかどうかで伝え方は変わってきますよね。関連する知識について、他の先生はどう教えているんだろうかとか、これは教えたんだろうかと気にする必要が出てくる。新しい単語がどんどん出てくると理解が難しいけれど、1回でも聞いたことがあると、学生の反応もちょっと違いますし。

友滝:私は研究の骨子になる部分を説明するスライドは、テンプレというか、いつも決まったフレームワークを使っていて、それを、そのときどきの授業で取り上げるトピックにあわせてアレンジしています。学生から「見覚えがあるスライドが何回も出てくるのが良かった」と言われたことがあります。一度見たことがある、というのがよかったのでしょうね。

宮下:私は現在、看護研究をひとりで担当させてもらっているので、そういった意味では恵まれていると言ってもいいのかもしれません。オムニバスは逆に大変なんじゃないかなと思います。ただし、オムニバスは、いろんな先生の考え方を聞けるという意味ではすごくよい方法だとも思います。本学の講義では30分ずつ各分野の先生に研究紹介をしてもらう時間を入れていて、そこで補っています。

森岡:先生方のように、専門の教員が、すべてのコマを網羅的に時には内容を行きつ戻りつしながら内容を補完し、教授するという体制が学内で構築できるというのは素晴らしいなと思いました。オムニバス形式ですとシラバス作成や授業設計にあたり、やはり全体を統括する難しさはあると思います。
 ただ、看護研究という授業を一人で担当できる人材の確保、担える教員がいるとしてもすべての授業回を担当できる時間的余裕がなかなかとれないという事情からオムニバスで実施している大学も多いのかなと思います。先生方のお話を伺い感じたのは、現実的な課題からオムニバス形式で展開している場合にも、各回をつなぐ横串になるような、先に出てきた実例でも良いのですが、何か共有できる工夫があると、学生の学びも一貫性がありかつオムニバス形式を活かした重層的な教授内容になるような気がしました。

アウトカムや結果の解釈では「臨床的に意味のある差」が重要

友滝:論文の読解はどのようにされていますか?

宮下:本学の論文抄読の回では日本語論文2本と英語論文3本を読ませていますが、『よくわかる看護研究論文のクリティーク 第2版』(牧本清子・山川みやえ編著、日本看護協会出版会、2020)の付録として研究手法ごとのクリティーク・ポイントをまとめたチェックシートがあるので、それを使って構造から読む練習だけさせています。それが精いっぱいですね。
 論文選びは学部の他の先生たちに手伝ってもらっていますが、適度にバイアスや交絡などがあったりしてよい教材になる論文を選んでくるのが結構難しい。研究の実例の教材は今まで何年もかけて、自分でもストックしてきたのでよい例を出せていると思いますが、たとえば交絡であれば有名な飲酒と喫煙の例(第3回)がよい、というように「この論文を読むとこういう視点で勉強になる」という論文の教材リストがあるといいなと思っています。

友滝:授業で交絡やデータの分布の説明をしていても、実際論文を見て紐づけて読解できるとは限らないので、難しいですよね。提示した実例に照らし合わせながらそれぞれの専門用語について話していかないと、学生には遠い話になってしまうのかなと思うので、できるだけそうならないような授業にしたいということは考えています。

(連載『宮下光令の看護研究講座「私はこう教えている」』「第3回 量的研究の「導入」はこう教えている―まずは因果関係、交絡、バイアスから」より)

 

友滝:論文を読む際に、とくに意識して伝えていることはありますか?例えば、アウトカムの解釈、論文の結果の吟味に関してはいかがでしょうか。

宮下:アウトカムの結果の解釈に関して教える上で、自分が重視しているのは臨床的有意性です。統計的な有意差も教えますが、臨床的に意味がある差がより重要だと伝えることを強く意識しています。その研究がどういう意味付けを持っているかは、研究テーマを考える時点でも1番大事なことだと思いますからね。

友滝:実は、私は疫学の授業では、治療必要数(NNT)について話していません研究が臨床へ与えるインパクトを一緒に考えようということを、疫学の授業で伝え切れていなくて。私が担当している他の科目、たとえば、保健医療情報学や公衆衛生学といった講義で、もう少し強調したほうがよいかなと考えています。

宮下:私は意図的にNNTを教えていないです。NNTは臨床的にはもちろん意味があるものですが、たとえば「20人やって1人しか差がない」と言われると、学生の反応としては「なんだ、それくらいしかないのか」という程度の実感に留まってしまうんですよね。説明するのもちょっと直感的にわかりにくく、教えていなかったのですが、本来は教えるべきではないかと今、思いなおしました。
 あと、実はリスク差やリスク比についても教えていないです。公衆衛生の講義が別にあるので、そこでカバーしてくれています。リスク差、リスク比を教えるにはまずリスクから教えないといけなくて、しかしこの考え方はどちらかというと疫学研究の方法論に付随してくるものなので、講義の流れが悪くなるんですよ。統計についてまとめて教える時間をとっていると、リスク差やリスク比は浮いてしまうんですよね。これは工夫次第なのでしょうが。

さいごに

友滝:話はまだまだ尽きませんが、あらためて「看護研究の教え方」について一言いただければと思います。

森岡:コロナ禍もそうでしたが、社会状況の変化に伴い、現在の学生が看護師として第一線で活躍する頃には、想像しえない状況や課題を抱えながら看護実践をしていくのだろうと思っています。そういった将来を見据えて、先生方が既に実践されているように、実例ベースで臨床実践に研究がどのように直結しているのか、統計学がどのように臨床疑問への回答に貢献しているのかという本質的な部分を実感しながら「看護研究」という科目を学んでおくことは、看護実践の課題や社会課題を解決する能力の基盤になるのではないかと感じました。

宮下:研究って、結局自分で論文をたくさん読んで、自分でデータを扱って自分でまとめてというプロセスを辿ってみないと、できるようにならないと思います。ですから、4年生で卒業研究をする時に、1回ここで習っているから、何も知らない状況よりはいいだろう、という講義を目指しています。
 また、本学では修士課程に進む学生があまり多くなく、もっと修士に来てほしいというのも、大学として研究を教えることを強化した理由なんです。研究に面白さとかを感じれば、大学院に入るモチベーションも上がるという考えで。ですが、看護研究においては、あくまで講義は導入ですから、やっぱり「卒業研究をやりきる」ということが大事です。最近では論文として出版される卒業研究も随分増えてきました。この点においては、実際に卒業研究を教えている先生たちの力が本当に大きいと思います。

友滝:本日お話をうかがい、看護学の研究を教えるときは、本質的なことを一貫性を持って説明すること、統計の表面的なことではなく、臨床的に意味のある差かどうかを学生と吟味すること、そして実例ベースであること、といったことが、学生の興味や好奇心を引き出す授業設計につながるのかもしれないと思いました。
 今回、先生方とお話を進めていく中で、様々なエピソードがでてきましたが、学生に研究を教えるときに大切にしていること・意識していることは、意外と共通点が多いことに驚きました。もっと違う教え方をしているよ!というお話もお聞きしてみたいですね。看護研究の教授方法はさまざまと思いますが、今回の座談会を通して、1つのあり方が示唆されたように思います。本日はどうもありがとうございました。

 

   会内で飛び交うキーワードを友滝先生がホワイトボードにまとめたもの
フリーイラスト

登録可能数の上限を超えたため、お気に入りを登録できません。
他のコンテンツのお気に入りを解除した後、再度お試しください。