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第18回:学生の「自分で考え、行動する力」を信じて支援する

第18回:学生の「自分で考え、行動する力」を信じて支援する

2024.02.15工藤 悦子(日本医療大学保健医療学部看護学科 准教授)

患児から寄せられた感謝の言葉への戸惑い

 小児病棟の看護師になって4年目のとき、Ⅰ型糖尿病で入院になった中学生の患児の受け持ちになった。入院中に患児自身が血糖測定やインスリン注射ができるようになることが目標であり、主治医から患児と母親に、病状や今後の治療の説明がされた日の翌日から関わることになった。
 患児は私が説明しようとするとうつむいたままで、 1週間その状態が続き、患児が自らできるようになるための関わりができなかった。面会後帰宅する母親に状況を説明し、母親に何か話しているかなど聞くと、母親にはⅠ型糖尿病と診断されて感じたこと、これからのことなどを話している様子だった。しかし、このままでは患児が自ら血糖測定やインスリン注射ができるようにならないと思い、先輩看護師に相談した。先輩看護師は「待ってみたら」と言い、主治医に状況を説明するよう助言をくれた。
 入院から8日目、患児は突然「やってみる」と言い出した。血糖測定、インスリン注射ともに手技は問題なく、学校での対応も理解し、数日後退院した。退院後の外来受診時、私宛の手紙をくれた。手紙には、「入院中はありがとう」と書かれていた。この言葉に私はとても戸惑った。それは、自分は何もできなかったという思いが強かったからである。

何を伝えても反応が少ない学生の指導に悩んで

伝えたいことがうまく伝わらない

 その後、大学で助手として勤務を始めた。主に臨地実習指導を行っていた私は、学生に「先生」と呼ばれることに違和感があった。看護師の経験はあるが、教員としての経験はない。教員として、何が重要なのか、どのように学生と関わればよいのかを学ぶこともなく、助手としての勤務がスタートしたため、「先生」と呼ばれてよいのだろうかと思っていた。しかし、「先生」と呼ばれるからにはしっかりしなくてはいけないと常に思っていた。学生から質問があったらきちんと答えなくてはいけない、指導しなくてはいけないと思い、必死に勉強しながら実習指導を行っていた。毎日同じ領域の教授に実習指導内容を伝え、教授から「あなたは学生に何を伝えたの?」「学生の反応はどうだったの?」ときかれ、何を伝えたかは答えられるが、学生の反応については、どうだっただろう……と思う場面が多かった。
 そんなとき、何を伝えても反応が少ない学生を担当した。学生は受け持ち患児との関わりにおいても言葉が少なく、実習記録にも患児との関わりについての記載が少なかった。患児との関わりの場面を振り返ったときも、言葉少なく黙っていることが多かった。そのため、私は受け持ち患児とどのように関わったらよいか、実習記録をどのように書いたらよいかを毎日伝えた。しかし、何を伝えても学生の様子はあまり変わらなかった。私は自分の伝え方がわるいのではないか、伝えている内容が間違っているのだろうかと自分の関わり方に悩んだ。

学生の発するサインに気づく

 実習巡回で教授が病棟に訪れた際、その日も学生指導に困っていることを伝えた。教授は、毎日私の報告を聞いていたため状況は把握しており、すぐに学生のところに行き、学生と話した。教授は特に学生に何かを教えるのではなく、学生に実習はどうか、患児の様子はどうかと尋ね、学生が話すのを待っているように見えた。すると学生は、教授には患児の反応や患児の反応をどのようにとらえたらよいのかわからないこと、そのため患児へどのように関わったらよいのか悩んでいることを話した。私はその様子をそばで見て驚いた。私も同じように関わっているはずなのに、なぜ学生がこんなに話すのかそのときはわからなかった。
 その日、教授と場面の振り返りを行うと、教授は学生の様子から学生なりに努力していることをキャッチし、それを伝えていたことがわかった。私は、学生なりに努力することを当然と考え、それを言語化していないことに気づいた。そして、どうしたらよいかを伝えるばかりで、学生の発するさまざまなサインに気づかず、一方的であることを改めて感じた。
 その後、別の学生の実習指導で同じような場面があった。私は自分が伝えたいことを一方的に伝えるのではなく、学生の様子や反応で気づいたこと、例えば「(受け持ちの)Aちゃん、〇〇さんと一緒に遊んでたとき楽しそうだったね。〇〇さんも楽しそうだったよ。」などを伝えた。すると、学生は自分なりに受け持ち患児の現在の状態をどのようにとらえているか、患児にとってどのような遊びがよいと考えたかを言語化することができた。 

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おわりに 

 私は常に自分が何か伝えなくては、教えなくてはと必死だった。病棟勤務時代の受け持ち患児の「ありがとう」の言葉に戸惑ったのも、何かしなければ、何もしていないという思いが強かったからである。今も毎年さまざまな学生と接するとき、教員として何ができるだろうと考えると、何か伝えなくては、教えなくてはという気持ちが強くなっていることに気づく。
 しかし、受け持ち患児も学生も自ら考え、行動する力を持っていた。私が何かを教える場面も必要かもしれないが、まずは学生が何を感じ、何を考えたかを表現する機会を大切にし、学生が発するサインに気づくことが大切だと考える。黙っていることもサインの一つだと気づいたのは、つい最近のように思う。学生のサインに気づき、そのサインの意味を学生と一緒に考えることで、学生は自ら考え、行動する第一歩を踏み出す。
 学生にはこれから看護職者として、さまざまな環境でそれぞれの持っている力を発揮してほしいと願う。そのためにも、私は、学生が持っている「自分で考え、行動する力」を信じ、その力を支援できる教員でありたい。そして、どんなときも学生の発するサインに気づける教員でいたいと思う。

工藤 悦子

日本医療大学保健医療学部看護学科 准教授

くどう・えつこ/大分県立看護科学大学看護学部卒業後、社会医療法人母恋 天使病院に入職し、小児病棟勤務を経て、天使大学看護栄養学部看護学科に助手として着任。その後、北海道医療大学大学院看護福祉学研究科修士課程を修了(看護学修士)し、札幌保健医療大学保健医療学部 助教、同 講師、日本医療大学保健医療学部 講師を経て、2020年4月より現職。趣味は、愛犬とのアジリティー。

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