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第31回:「人が人を元気にする」力を信じて

第31回:「人が人を元気にする」力を信じて

2025.06.12赤間 由美(山形大学医学部看護学科 准教授)

 エッセイ寄稿の機会をいただき、自分の看護職人生を振り返ってみました。そこには多くの分岐点がありましたが、そのどれもが「人が人を元気にする」場面だったように思います。

看護職の厳しさを知るも、自分の武器と出会う

 中学生の頃、私はなぜか看護職に密着したドキュメント番組に惹かれ、放送日には録画して何度も見ていました。看護職が現場で奮闘する姿に憧れながらも、「自分には到底無理だ」と思い、家族にも「看護師になりたい」とは言えませんでした。高校生となったある日、担任の先生が言ってくれた「赤間は看護師とか合うと思うんだけどな」の一言が、私の背中を押してくれました。家族も意外に賛同してくれ、これが、看護への道を歩み始めるきっかけとなりました。看護の学びにあふれた楽しく刺激的な学生時代を経て、卒業後は市役所に保健師として就職しました。
 就職後、私を待っていたのは、多忙な日々と無力感でした。担当人口は約8,000人。健診や相談、家庭訪問に追われ、夕方になると電話相談で保健センターの電話はつながらないほどで、気づけば一日が終わっていました。若かった私は予定をこなすのに精いっぱいで、誰かの役に立てている実感がありませんでしたし、今でも口にするのが辛い事例に出会うこともありました。また相談に来る人々の生活のありようもさまざまで、生き辛さを抱えながら必死に暮らしている人が身近にいることを肌で感じました。その時期に参加した研修で聞いた「日々人が亡くなっている。これはあなた方の責任ですよ」という講師の言葉が衝撃的で、今も心に重くのしかかっています。責任を果たすためにどうすればいいのか、とくに「公衆衛生」「予防」の重要性は理解していたものの、自分が今何をすればいいのかが見えなくなっていました。

 そんな中、自分が保健師として運営を担当していた体操教室で、のちの恩師となる体操の先生と出会うことができました。先生は、体操だけでなく、さまざまなことを教えてくださいました。たとえば、参加する人を笑顔にして、自然と人がつながることで「人が人を元気にする、健康で豊かな地域」がつくれること。一人一人の小さな思いがつながって大きな力になること。まさに、公衆衛生や予防について実践をもって学ばせていただきました。そして、「戦うには武器が必要でしょ」と、無力感に苛まれていた私に体操という武器を授けてくださいました。
 この武器はどんどん進化して想像以上のパワーを発揮しました。保健師は普段、健康課題を抱える人々を訪問し個別支援を行っていますが、体操教室には接する機会の少ない男性や若い方も参加してくれました。さらに、体操を通じて参加者の体力や弱い部分を知ることができ、人々が病気になったり、障害を有する前の健康状態や困りごとを知る貴重な場となりました。また教室では毎回笑い声が響くレクリエーションも取り入れており、その内容を地域の人と一緒に考えることが楽しみでした。体操の後にはお茶を飲みながらおしゃべりをし、共通の体験を通じて親近感が生まれました。そこから地域の中でのお世話役や盛り上げ役など人々の関係性も見えてきました。さらに県内外のさまざまな活動をしている人々との出会いを得ることもできました。こうした体操をきっかけに生まれた人と人のつながりは私が保健師を続けていくうえで欠かせないものとなり、東日本大震災の際にも大きな力となりました。

「仲間とともに」が原動力

 いつの時代も「今の若い人は・・・」と言われがちですが、私自身も当時は紛れもなく「今の若い人」でした。自分の周囲のことしか見えていない意見や仕事の進め方など、今思い出すと反省することは多々ありました。そんな私に職場の先輩、地域の人々はいつも温かく、「やっぱり若い人の考えることは違うね」「それいいね」と面白がりながら、私の未熟さを寛容に受け止め育ててくれました。よい時代だったのか、私の人に恵まれる才能なのか、大変ありがたいことでした。
 そして、恩師が授けてくれた体操という武器が、いつの時も私とともに走ってくれる仲間とのつながりをくれました。体操教室の恩師はもちろん、市役所の先輩や同僚、関係機関の協力、地域の人々の温かい支えがあったからこそ、何とか保健師としてやってこれました。仲間と一緒に何かをやり遂げた達成感を分かち合うことが、仕事を続ける原動力でした。ですので、ともに汗をかいた仲間と「乾杯」するのが私は大好きで、私にとって特別なひとときとなっています。保健師としての経験を通して、「どうせやるなら楽しくやる」「一人よりみんなでやった方がずっといい」というのが仕事をする上での信条となりました。

学生に助けられての教員人生

 仕事で悩んでいた時期に、自分の力量アップのために大学院へ進学しました。大学院で指導してくださった先生は立派な方ばかりでした。教育内容を学生の理解度に合わせてわかりやすく伝えることはもちろん、信念をもって学生を導き、さらなるステップアップを後押しする。そして、社会人学生が多かったので、その人の経験を大切にし、学生に敬意をもってかかわる。その姿勢で教育者としてのありようを示してくださいました。
 大学院に進学し、教員という仕事が身近になったこともあり、自分が教員になる機会が得られたときには、直感的に「やってみたい」と思いました。こうして、私は看護教育の世界に飛び込みました。
 おかげさまで十数年の教員人生となりました。教員としてかかわる学生たちは有能で多感で、ちょっと未熟さを抱えていて、社会人になる前段階の彼らとかかわりを持てることは刺激的で喜びが大きいことだと感じています。

 教員になりたての頃は「立派な教員であらねば」と思い、自分に不足していることを補うのに必死でしたが、この間、学生の皆さんは不器用な私を大いに助けてくれました。そして、私一人の力でできることは限られていると知った今は、学生の皆さんの力を借りて、一緒に汗をかいて喜びあう経験を大事にし、「教える」から「学びを支援する」という教員のちょうどいい立ち位置が見えてきたように思います。つい私も「今の若い人は」と言う側になってしまっていますが、「今の若い人は」とつぶやきつつ面白がりながら、無力感を感じていたあの頃の自分を思い浮かべ、これからの時代を戦いぬくのに有用な武器を授けられるような教員でいたいと思います。
 そして、市役所時代に「赤間さーん」と私の出勤を待っていてくれた利用者、私をあてにして職場でのトラブルや生活費の心配、誰にも言えないような苦しさを話しに来てくれた人たちにたくさん笑顔があること、またその人たちの支援についてともに悩み、喜び、一緒に駆け抜けてくださった関係者の皆さんが元気に走り続けられて、たくさんの乾杯があることを願っています。そのためには、自身の研究を進めていかなければなりませんね。

 看護職として、教育者として、「人が人を元気にする」場面を創り出しながら、仲間たちと共に歩んでいきたいと思います。共に汗かき、笑顔で乾杯を重ねながら――これからも。

赤間 由美

山形大学医学部看護学科 准教授

あかま・ゆみ/山形大学大学院医学系研究科博士後期課程修了(看護学博士)。保健師として勤務したのち、2013年宮城大学看護学部助教として着任。2015年に山形大学大学院医学系研究科看護学専攻(助教),2022年に現職。

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