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第14回:学生と向き合い、彼らの力を引き出す大切さに気が付いた私へ

第14回:学生と向き合い、彼らの力を引き出す大切さに気が付いた私へ

2023.04.13菅谷 周子(船橋市立看護専門学校 学校長)

 私は、看護教員を「学生の併走者」「学生が看護に向き合う手助けをする仕事」と捉えています。教員の真の役割とは、学生に看護を教えるだけではなく、学生が患者や看護に正面から向き合い、自ら看護を学びたいと思える環境を整えること。そんな考えのもと、多くの学生とのかかわりを糧にしてこの23年を過ごしてきました。
 しかし、もちろん最初からこの考えを確立していたわけではありません。今に至るまでには、たくさんの葛藤、たくさんの反省がありました。今回は、かつて悩み苦しんできた自分へのメッセージを、手紙としてしたためてみたいと思います。

学生のための“教育”ができていなかった私へ

 臨床から教員を志し、看護教育の世界に飛び込んだばかりの1、2年目は、とにかく実習指導時の行動計画発表が辛くて仕方ないという毎日を送っていましたね。厳しいと有名だった当時の臨床指導者から、学生の行動計画にさまざまな指摘が入るたび、まるで自分の指導力のなさを突き付けられているような、ダイレクトに自分自身を批判されているような怖さを感じてしまう日々。同じように緊張しきった学生から「行動計画の発表が終わったら、今日の実習の8割が終わりました」という言葉を聞くと、ついつい心の中で「私も同じ思いだよ」と頷いてしまっているかもしれません。
 ですが、辛い、指摘が怖いという気持ちが響いて、あなたの実習後カンファレンスは臨床指導者対策の時間に変わっていませんか? 教科書に書いてある内容そのままの計画ではなく、患者の個別性を反映させた計画でないと厳しい指摘が入るからと、あなたは細かい指示をしていますが、それは本当に“教育”と呼ぶにふさわしいものですか? 指摘を恐れるがゆえの指示は、学生が本来持つ考える力を奪ってしまっているのではないでしょうか。

自分の力で考えられる指導を

 あなた自身、そう実感する機会がすぐにやってきます。行動計画に対して臨床指導者から指摘を受けているさなかに、学生から「先生がこう言ったんですよね、先生はどう思いますか」という言葉をかけられて、ハッとさせられることでしょう。彼女が発表したのは、自分ではなく教員のあなたが立てた行動計画です。教員に言われたから大丈夫だと思ったのに指摘を受けてしまった、自分で考えた計画ではないからわからない。彼女の言葉は、そういったとまどいから投げかけられたものです。
 「このままではだめだ」と思ったら、まずは自分の指導が学生のためになっているのか、改めて見直しましょう。自分が指摘されたくないばかりに行ってはいませんか?そして、学生自身がゆっくり考えられるような指導スタイルを追求してみましょう。初めから完璧でなくてもよいのです。当然、目に見えて効果が出るには長い年月がかかります。ですが、さまざまな教育方法や知識にアンテナを広げ、実践してブラッシュアップしていけば、「自分で知識を引き出しながら考えることが少しずつ身についてきたな」と、少しずつ学生の変化を実感できるようになるはずですよ。

勇気が出せない学生と向き合うあなたへ

 経験を積み、小児看護を教えるようになってからも、あなたは“学生の考える力”の引き出し方を試行錯誤し続けてきましたね。そんな10年目の小児看護学実習で、ある学生がすっかり困り果てている様子を目にします。
 彼女は川崎病の急性期にある児を受け持っていますが、児の状態は悪く、学生が訪室するだけで大泣きしてしまうほどです。学生は「自分が行かなければ泣く時間が短くなるから、訪室しないほうがいいだろう」と考えてしまったのでしょう、なかなかベッドサイドに足を運べない様子でいますね。あなたは「どこかで勇気を振り絞れるのかな」と学生を見守りましたが、実習開始から4日が経過しても彼女の目標が「情報収集」から進まないため、動くことにします。

 さて、どう声をかけましょう。「訪室しないと情報は集まらないよ、行きなさい」と言うのは、かつてと同じ“指示”になってしまいます。それならば、「今一番困っているのは誰かな」と聞いてみましょう。「私です」と答えるなら、こちらが導けばそれはそれでかまいません。しかし学生は、あなたが想像する以上に考える力を秘めています。彼女は問いかけの後、考えに考えて、「受け持ち患者の○○ちゃんです」と答えを返してくれるでしょう。具合が悪く急に入院することになって、点滴や検査は怖いし、知らない人が来るのも嫌だし、安静も強制されて不自由な思いをする。学生は、そういった児の気持ちを自ら推し量ることができるのです。
 そこからは、あなたのアドバイスはもう必要ありません。学生は本当に努力してくれます。「泣かれてもいいから、まずはベッドサイドに行って児のお母さんと仲良くなる」と目標を立て、母親から本来の児は社交的な性格であることを聞き出します。「泣くのは状態が悪いためだから、児にとって辛いことを少しでも緩和しよう」と考え、自分でさまざまな論文や資料を検索して、嫌がる子どもとのかかわり方を徹底的に調べます。見る見るうちに、記録の量も別人のように増え、対象把握が進み、実習の終わりには母親の不在時に児とふたりで留守番ができるまでになっていきます。その様子を見て、あなたは「学生が自分で考えることを影から支える、それこそが教員の役割なのだ」と気付くでしょう。

教員は学生が力を出せるように支える仕事

 患者と向き合った学生は、大きな力を発揮してくれます。そのきっかけをつくるためには、まず自分が学生と向き合って、学生の力をもっと信じて、学生の目線で声をかけてあげましょう。指導によってその力を無理やり引き出すのではなく、学生自身が自分の力を積み上げていけるよう支援するのです。看護の場では「患者さんの目線で」という言葉をよく耳にしますが、教育も同じです。
 「記録を書かせないと」と形にとらわれすぎてしまうと、学生個々の力を伸ばすかかわりをつい忘れがちになってしまいます。それは、あなた自身がとにかく記録を埋めることにこだわる指導を受けてきたことも影響しているかもしれません。ですが、記録を書かせることは看護教育、ひいては看護のすべてではありません。記録が書ければ看護過程が展開できるわけではないし、看護は看護過程の中にだけあるものではありません。形にとらわれすぎず柔軟に考えていくことで、学生が彼ららしく看護と向き合いながら力をつけられるようになり、教員にとっても実習指導が学生の成長をたくさん目の当たりにできる、もっと楽しいものになるのではないでしょうか。

 実習などの機会で現場で働く卒業生に会うと、講義や実習で精いっぱい教えたこと、私たちが大事にしてきた看護を、臨床の場で大切に実践してくれている場面をよく見かけます。忙しいリーダーになった卒業生が「検査を受けたくない」と渋る患者のベッドサイドでずっと話を聞いている様子を目にしたり、学生の受け持ち患者から「すごくていねいに接してくれるよ」と卒業生の評判を聞くと、「看護って、こうやって脈々と受け継がれていくんだな」という喜びや感動がこみ上げてきて、教員冥利に尽きるとはまさしくこのことなのだと感じます。同時に、初めて看護に出会う人たちと一緒に学び、彼らの長い看護師人生の礎となる、看護教員という仕事の責任の重大さも痛感します。
 きっと、この気持ちは教員にしか味わえないものなのではないでしょうか。この達成感を得られるのがもう少し先になっても、たとえ苦難が待っていたとしても、その先には“教員の醍醐味”が待っているはずですよ。

菅谷 周子

船橋市立看護専門学校 学校長

すがや・しゅうこ/京都大学医療短期大学部卒業、星槎大学院修士課程修了(教育学修士)。臨床経験を経て、看護教員養成課程(旧厚生労働者看護研究研修センター)を修了。2003年に船橋市立看護専門学校に着任。その後、教務主任養成講習会(旧幹部教員養成課程・東京慈恵会)修了。2023年より現職。趣味は野球観戦。

企画連載

リレー企画「あの頃の自分へ」

本連載では、看護教員のみなさまによる「過去の自分への手紙」をリレーエッセイでお届けします。それぞれの先生の、“経験を積んだ未来の自分”から“困難に直面した過去の自分”へ宛てたアドバイスやメッセージをとおし、明日からの看護教育実践へのヒントやエールを受け取っていただけるかもしれません 。

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