看護教育のための情報サイト NurSHARE つながる・はじまる・ひろがる

第8回:学生それぞれの個性や特性を見つめ、可能性を広げられるように

第8回:学生それぞれの個性や特性を見つめ、可能性を広げられるように

2022.07.22藤木 真一(東京都立青梅看護専門学校 教務担当 課長代理)

「教育委員」を通して“教育”の印象が変化した

 私はどちらかというと、看護学校には“馴染めない”側の学生だった。そもそも看護の世界に足を踏み入れたきっかけは「姉が看護師だった」という単純なもので、強いモチベーションを持って看護学校に入学したわけでもない。そのうえ、当時の私は看護学校での日々から、学生に求められている答えが一つしかないような、全員同じレールに乗せられているような感覚を受け取ってしまい、反発してしまいがちだったのである。

 そんな私が“教育”を意識するきっかけとなったひとつの分岐点は、新卒で入都して4年目に、院内研修プログラムの運営全般を担う「教育委員」を務めたことだった。当時、院内には私のような若手看護師が少なく、「これからは看護記録や理論を大切にしていきたい、看護学校で学んできたばかりの最新の記録の書き方や理論を教えてほしい」と先輩方から頼まれたのである。
 企画から評価まで、研修プログラムに必要なことにはすべてかかわった。講師への依頼もしたし、適任者の都合がつかない時には自分が講義を行うこともあった。ほんの4年目の自分が研修を取り仕切り、時には経験を積み重ねた先輩方に教えなければならない。正直なところ、最初は大きな重圧を感じていた。しかし、「学校で学んでからまだ時間が経っていない自分だからこそ、ていねいな看護記録を残す重要性が伝えられるはずだ」と考え、懸命に取り組んだ。

 ありがたいことに、先輩方は私からの指導を受け入れてくれて、円滑に研修プログラムを進められた。「なぜうまくできたのか」と考えた時、日頃の業務において人間関係のバランスを保ち、周囲との良好なかかわりを持てていたからなのだと気が付いた。伝えたいことを聞いてもらい、受け入れてもらうためには、人間関係をどれだけ深められているかも重要なのだ。そう思うと、苦手意識のあった教育への印象が少し変わった。

“特性”ゆえに看護の道を諦めさせなければならない苦悩

 臨床現場で26年働く中で、教育的に他者とかかわるようになっていくことも増えた。経験を積むにつれて、私の立場は主任、副師長、師長とだんだん責任の重さを増していった。現場の管理者としての立場にいると、面白さを見出しつつあった教育に辛さを感じる機会が増えた。部下が組織の中で「看護師として働くのは難しい」とみなされると、看護師以外の道を考えてもらうための指導をする役割を担うようになったためだ。数字や文字を扱うのが苦手、他者の言葉を的確に捉えることが困難など、彼ら自身の特性が評価に影響したためだった。
 「多様な患者のニーズに対応できるよう、看護師にはいろいろな人がいるべきだ」と思っていた私にとって、この指導は苦痛すら感じるものだった。もう少しだけていねいに向き合ったり、周囲とのかかわりや助け合いによって道が拓けるかもしれない彼らに「自分は看護師を辞めるしかないんだ」と思わせるために話をしなければならないことは、当人たちのみならず私自身にも少なからぬ傷を残した。

 苦悩の日々が続く中、ある日、看護学校への異動のお話を頂いた。これまで悔いてきた経験を思い出し、いろいろな気持ちがこみ上げた。もしも現場に出るよりもう少し早く、彼らが看護学生だった頃からその特性に合わせた指導や訓練ができていたら、違う結果になっていたかもしれない。そして本当に看護師として働くのが難しい人だったとしても、もっと早くに別の道を勧めてあげられれば、無用に深い傷を負わなくてもよかったのかもしれない。
 かつての部下や後輩たちとの心が痛むようなかかわりを想起し、看護学校に馴染めない学生だった自分が看護教員になることの意義を感じた。私は異動の話を引き受けることを決め、看護基礎教育に邁進していこうと決意した。

学生の特性や背景を捉えて“学び方”を教える

 いざ看護学校に着任して「学生たちには多種多様な特性や背景がある」と改めて気付かされた。看護学を学ぶ上での難しさを抱える学生も想像以上に多かった。しかし、彼らと接していくうち、自分は学習困難な学生たちにこそ“学び方”も教えたい、工夫を凝らせば皆が生き生きと学べるようになるのではないか、と考えるようになった。

 例えば学習の習慣がない学生がいる。一人ひとり、違いや程度の差はあるが、その中には「学校から帰ったら宿題をする」という習慣付けから必要なケースもある。彼らは学習体験が乏しいので、ノートのまとめ方が分からない。メモを取れないことも珍しくない。そういった学生たちへ一方的に看護師・教員の文脈で教えても、うまく覚えられず頭をすり抜けてしまうだろう。
 そういう場合には、教えたことを自分の言葉などで平易に表現し、解釈してもらうプロセスを経るようにしている。「小学生にこの知識を教えるとしたら、どのように説明すればいいかな?」と問いかけ、解剖学の知識なら絵に描いてもらったりもする。自分が知っていることを伝えようと試行錯誤すると、学習体験が乏しくとも自分が今何を解釈すべきか、何を求められているのかを探るようになるのである。

 彼らと向き合い編み出した指導方法を実践しながらブラッシュアップしたり、彼らとの適切な関係性や距離感を手探りでつかみ取りながらかかわったりすることで、困難を乗り越えて学生が持てる力の120%を引き出す教育ができるよう、日々教員としての在り方を模索している。そういった意味では、私は自身の目指す看護教育を実践すべく、検討と選択を繰り返しながら看護教員としての分岐点に立ち続けているのかもしれない。

看護の世界にも多様性を

 何ごとにおいても多様性がうたわれ、いろいろな人がいて当たり前という時代が到来した。それならば、いろいろな看護師がいて当たり前、看護学生がどんな就職先に進んでも当たり前という考え方がもっと進んでいいはずだ。そもそも、看護師に求めるケアだって患者・家族によって違う。傷病の手当てをしてほしい人、痛みや苦しみを癒してほしいと思っている人、自分自身や家族の看護を通して長い付き合いを持ちたいと思っている人。いろいろな人がいろいろな看護の力を求めているのだから、いろいろな看護師がいてしかるべきなのではないだろうか。

 そのために今は、すべての学生がそれぞれの個性や特性を生かして看護師として活躍できるような導き方やかかわり方を考え続けることで、学生の可能性を広げたいと思っている。かつて看護学校に馴染めないという特性を持っていた私だからこそ、看護学生たちに自分の特性や強みを意識しながら、自分らしい道へ向かって成長してもらえるような指導を今後も心掛けたい。

藤木 真一

東京都立青梅看護専門学校 教務担当 課長代理

ふじき・しんいち/東京都立松沢看護専門学校を卒業後、東京都立松沢病院へ入都。精神科臨床の現場で看護実践を行ってきたのち、東京都立府中療育センター、東京都立北療育医療センターで勤務。2017年より東京都立青梅看護専門学校へ異動、看護教員の道へ。

フリーイラスト

登録可能数の上限を超えたため、お気に入りを登録できません。
他のコンテンツのお気に入りを解除した後、再度お試しください。