新型コロナウイルス感染症が2類感染症相当から5類となって、この5月で1年が経ちました。この原稿を書いているのはちょうど2024年5月の大型連休(ゴールデンウィーク)中なのですが、「人流」(もはや死語かも)も戻ってきて、行楽地はたいへんな人出です。
さて、コロナの猛威が吹き荒れた初期の頃、今まで当たり前にあったものがなくなって大混乱したこと、覚えておられるでしょうか。マスク、感染防護衣、そして消毒用アルコールもそうでしたね。マスクはペーパータオルに輪ゴムをつけたものをうちの大学でも学生さん用に作りましたし、N95マスクは名前を書いたビニール袋に入れて再利用、感染防護衣はゴミ袋に穴をあけてポンチョみたいにして代用と、本当に涙ぐましい努力をしておりました。ただ消毒用アルコールだけはなかなか代替品が見つからず、当教室でもDNAの抽出などに使う分子生物学用の「特級」エタノールを学生さんの手指消毒のため教育センターに「供出」いたしました。いやまあ、特級か一級か、ってのは消毒効果には関係ないのですが、大切に使ってね、と思わず「付言」しちゃいましたけど・・・。
そんなことで、今回は「消毒・滅菌にまつわるよもやま話」というテーマで、とりとめのないお話をいくつか、してみようと思います。
コロナ禍の中で取り組んだ、消毒効果に関する研究
コロナ禍当時、社会的にも消毒用アルコールの枯渇は深刻な問題でして、公的機関である独立行政法人製品評価技術基盤機構(National Institute of Technology and Evaluation:NITE)が代替消毒物質として界面活性剤と次亜塩素酸水の2つを挙げ、新型コロナウイルスに対する有効性について評価しています1)。次亜塩素酸水に関しては、有効塩素濃度35 ppm以上で不活化効果が99.9%以上と報告しています。限られた時間で緊急的に評価し発表された機構関係者の皆様に敬意を表します。
ただし、本報告書では「本報告において、ある物資(ママ)の消毒方法(条件、濃度)が「有効」と判断されていないことをもって、直ちに新型コロナウイルスに対する不活化効果が「(全く)ない」という意味にはならないことにご留意をお願いいたします」との記載があります。とくに次亜塩素酸水にはさまざまなものがあり、その中でも報告書でいう「電解型」、つまり食塩水を電気分解して生成される電解水(電解次亜塩素酸水)にも実はいろんな種類があります。
もともと当教室では電解水、とくにpH2.7未満の「強酸性電解水」の消毒効果について研究を続けていましたので、強酸性電解水の新型コロナウイルスに対する消毒効果について実験を行いました。その結果、有効塩素濃度10 ppmほどの強酸性電解水であっても同ウイルスを99.99%以上、不活化する効果が見られたことから、2020年11月2日に本学*と共同研究先企業2)のホームページに「ニュースリリース」として公表しました。といいますのは、臨床現場で数千台以上実際に用いられている、強酸性電解水の原理を用いた消化器内視鏡洗浄消毒器のなかでもっとも有効塩素濃度が低いものは、約10 ppm以上を維持して動いているのです。そのため、現場の医療スタッフや、当時問題になっていた新型コロナウイルスが怖くて「受診控え」を行っている患者さんに対して、従来の消毒方法でも新型コロナウイルスを確実に消毒できているということをいち早く知らせる必要があると考えたからでした。ホームページで先にデータを出してしまうことは、研究者としては論文として発表しにくくなるため、「自分で自分のクビを締める」ことになりかねないのですが、社会的な要請を考えると自分を止めることはできなかったんです。
そののち2年ほどかかりましたが、この結果は、京都大学大学院医学研究科耳鼻咽喉科・頭頸部外科による耳鼻咽喉科用軟性内視鏡に対する臨床現場での消毒効果のデータと合わせて、2022年10月3日、学術誌『PLOS ONE』で発表する(図1)ことができました。この10月3日という日、実は私の誕生日なんです・・・。
ろ過滅菌と生ビール
私、若いときは産業医のアルバイトもやっていまして、よくいろんな工場に健診に行ってました。ある日、ビール工場に行く機会がありましたが、お昼休みに瓶ビールが出てきたのにはビックリしました。いえ、午後からも健診の続きがあるんですが・・・、とお断りしましたが、できたてのビールの味をぜひご賞味ください、と言われましたので、断り切れず少しだけいただきました。ほんとに、たいへんおいしかったです。大げさではなく、あとにも先にも、私が人生で飲んだビールの中で一番おいしかったです。仕事中だという背徳感(?)がさらに付け加わったからかもしれません・・・。
そのときに聞いた話ですが、工場では「官能試験」というのが行われているとのことで、一番味覚が鋭敏になっているお昼前に、その日のできたてのビールの匂いや味などを実際に検査している人がいるんだそうです。さらに年に1回、全国にあるすべての工場の責任者が東京の本社に集められ、各工場で作られているビールの味の検査もするそうで、そのときはたいへん緊張する、というお話をうかがいまして、品質にかける思いを聞いて感銘を受けました。
その工場の健診会場になっていた会議室にはセラミックの筒(図2)が無造作に展示されていました。これはビールを瓶詰め・缶詰めする際に酵母菌を除去する「フィルター」の役割をしているものでした。酵母菌が生きたままだとビールを瓶や缶に詰めることはできないんです。それまでは加熱することで酵母菌を殺していたんですが、それではビールの味が変わってしまいます。そこで「ろ(濾)過滅菌」する方法として、セラミックフィルターを用いて酵母を除去する方法が開発されたんです。改めて今回、インターネットで検索してみたら、当時私が健診に行った工場は、なんと日本で初めて生ビール製造にセラミックフィルターを用いた場所だったそうです。驚きました。だからそのフィルターの現物が展示されていたんでしょうね。でも今はもうこの工場、なくなってるんですよ・・・。跡地はある大学のキャンパスになっているんですが、ビール工場があったという名残として、そのキャンパス内にビアホールがあるんです。いつでもビールが飲める、なんともうらやましい大学なんですよねえ。
このような「素焼きのフィルター」は微生物学でも以前から使われていまして、とくに細菌をトラップ(捕捉)するときに汎用されていました。そうです、ウイルスのことを、電子顕微鏡がなかった頃は「ろ過性病原体」と呼んでいたこと、以前にもお話ししましたね。
乾熱滅菌とケーキ屋さんのオーブン
当教室ではサ○ヨー電機製の乾熱滅菌器を今も使っています。図3の機種です。乾熱滅菌法は圧力をかけず単純にモノの温度を上げることで滅菌するのですが、芽胞を含めてすべての微生物を殺滅するためには180℃まで温度を上げないといけません。ここまで温度をあげるとほとんどのプラスチックは溶けてしまいますので、乾熱滅菌できるのはガラス器具、金属器具に限られます。当教室では滅菌缶に入れたガラスのピペットを滅菌するのに使っています。
ある日のこと、街のケーキ屋さんに行ったとき、ガラス張りの調理室にうちの乾熱滅菌器とまったく同じものを見つけてビックリしました。ただ、うちにあるくすんだグレー色ではなく、明るいクリーム色に塗られていて、とてもおしゃれな雰囲気になっています。そうなんです。よくよく考えると、乾熱滅菌器といっても機能からみれば、温度を上昇させるだけの「電気オーブン」なわけで、ケーキ屋さんでケーキを焼くのにも十分使えるわけですね。場違いな場所に色違いの機械をみつけたのですが、色と場所が違うだけで、ずいぶんとおしゃれに見えてしまうことに驚きました。そのケーキ屋さんのケーキ、心なしか他のケーキ屋さんよりおいしい感じがしたのは、私だけだと思います。
災害時の滅菌に使えそうな家電を考える
うちの研究室も阪神・淡路大震災を経験しています。幸い大きな被害はありませんでしたが、私がいる部屋は今も壁にヒビが入っていてそれをモルタルで埋めた跡が残っています。
オートクレーブと圧力釜
さて、阪神・淡路大震災の当時の教室員で川西市に住んでいた方は長く都市ガスが出なくて苦労しておられました。電気・水道・電話・ガスなどのライフラインの中では、どうしても都市ガスの復旧に一番時間がかかるのかもしれません。その時にいろいろ考えたのですが、いわゆる「圧力鍋」を災害時の滅菌に使えないかなあ、というアイデアが浮かびました。
オートクレーブで行う高圧蒸気滅菌は121℃の湿熱環境(大気圧プラス1気圧)で15分が標準ですが、家庭用の圧力鍋では大気圧プラス0.5気圧くらいまでが一般的で、当時はやはり家庭用の鍋では確実な滅菌は無理だと思っていました。しかし最近では、プラス1気圧まで上げられる圧力鍋(図4)も一般家庭用として市販されているようです。
この「電気圧力鍋」を紹介しているサイトが「業界最高クラス約2気圧」(とろろ註:大気圧プラス1気圧ですね)を謳っていますので、現状の家庭用圧力鍋の最大圧力はこれくらいなのでしょう。ここまで上がると121℃は担保できそうです。ただ、内部の圧力、あるいは温度をモニタリングしているわけではなく、滅菌効果の担保(バリデーション)は難しそうです。もちろん、医療機器として承認されていないものを医療現場で用いることはできませんが、災害時、非常時であれば、その性質に留意して活用できる可能性はありそうです。ただ、こちらで紹介した圧力鍋は、そもそも電気が通ってないと使えないので、電気が通っていたら普通のオートクレーブの運転もできそうなものですが・・・。
ウォッシャーディスインフェクターと食洗機
滅菌するとなると湿熱条件では121℃まで温度を上げないといけませんが、これは熱に対する抵抗性が一番高い、細菌芽胞を対象にしている場合です。芽胞による汚染が事実上問題にならず、栄養型細菌だけを対象にするのなら、100℃による煮沸消毒で十分ですし、もっと温度が低い、たとえば80℃程度の熱湯でも、栄養型細菌やある種のウイルスなどの消毒は可能です。実際のウォッシャーディスインフェクター(図5)は80℃、90℃、93℃などの温度を用いていることが多いようです。
このウォッシャーディスインフェクター、図5のように機種によっては家庭用の「食洗機」(食器洗浄機)とほぼ同じような形状をしているなあ、と思っていました。たしかに機能を考えてみると食洗機とウォッシャーディスインフェクターはほぼ同じです。また、一般的な家庭用食洗機のすすぎ水の温度は60~80℃3)とされていますが、業務用であれば、すすぎ水の温度を85℃以上に設定できるものがあります4)。実際、業務用食洗機を作っているメーカーが医療機器としてのウォッシャーディスインフェクターを作っている例もあります。
前述しましたが、乾熱滅菌器では実験室にあるのがグレー、同じ機械でもケーキ屋さんにあるのは明るいクリーム色だったので、食洗機とウォッシャーディスインフェクターも中身は同じで、色だけが違う、っていうものもあるかもしれませんねえ・・・。そうはいっても、医療現場で使用する場合は、医療機器として承認されたウォッシャーディスインフェクターを使ってくださいね。
以上、前置きのとおり本当にとりとめのないお話になってしまいましたが、消毒・滅菌にまつわるよもやま話、でした。
1)独立行政法人製品評価技術基盤機構(NITE):NITEが実施した新型コロナウイルスに対する消毒方法の有効性評価に関する情報公開について,2020年6月,〔https://www.nite.go.jp/information/koronataisaku20200522.html〕(最終確認:2024年5月7日)
2)カイゲンファーマ株式会社:強酸性電解水(有効塩素濃度10ppm)で新型コロナウイルスを不活性化できることを確認.ニュースリリース,2020年11月2日,〔https://www.kaigen-pharma.co.jp/news_release/date/2020/〕(最終確認:2024年5月7日)
3)パナソニック株式会社:手洗いよりキレイに洗える.食器洗い乾燥機(食洗機),〔https://panasonic.jp/dish/wash.html〕(最終確認:2024年5月9日)
4)ホシザキ株式会社:業務用食器洗浄機[JWEシリーズ] 洗浄力.製品情報・一覧〔https://www.hoshizaki.co.jp/p/washing-m/jwe/detergency.html〕(最終確認:2024年5月9日)