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第27回:暮らしの場における看護、多職種連携のプラットフォームとしての看護を伝える

第27回:暮らしの場における看護、多職種連携のプラットフォームとしての看護を伝える

2025.02.12大沼 由香(宮城大学看護学群 教授)

 私は子どもの頃から教師になろうと思っていました。そんな私がなぜ看護大学で教員をしているのか?多職種連携の中の看護に興味を抱いたのはなぜか?このような機会を得て、改めて考えてみました。
 回り道のようにさまざまな経験をしてきましたが、振り返ってみると無駄な経験はなかったと思います。 多くの出会いと経験が人の成長につながり、豊かな人生を形作っていくのではないでしょうか。

きっかけは「対人援助職の面白さ」と「家族との時間」

 私は高校生の時、運動部のマネージャーをしており、部員の怪我や健康管理について養護教諭に相談していました。当時は数学の教師になるのが夢でしたが、ある日その養護教諭から看護師に向いていると看護学校への進学を勧められました。教育学部の受験に失敗し、親の勧めもあって看護学校に進学しました。
 入学当初は、看護師を目指している同級生たちになじめず、退学を考えるほどでした。しかし、看護実習で患者と接する中で、看護師という対人援助職の面白さを感じ、患者の個別性を考えてケアを展開することが楽しくなりました。そして、将来は看護学校の教員になりたいと考えるようになりました。看護学校の教員の多くが、看護師を目指し、その後に教員になろうと思ったのではないかと思いますが、私の場合、教員になる夢が先行するという流れでした。しかし、専門学校を卒業した自分が、どうしたら教員になれるのかはわかりませんでした。

 看護学校卒業後、助産師学校に進学し、助産師として病院に勤めていました。助産師の仕事は楽しく、助産師として一生働こうと思っていたのですが、「ママ、行かないで」と寝言を言って泣いていた幼いわが子の姿を見てからは、病院勤務を辞めることを本気で考え始めました。助産院の開業をするか、大学の教育学部に入り直して教師を目指そうかと夫と相談していた矢先に、助産師仲間から「専門学校の教員として性教育や小児保健を教えてほしい」という話をいただきました。大学を卒業していなくても教員になれると知り、この機会を受け入れることにしました。

暮らしの場でのケアから学んだこと

 専門学校は介護福祉士養成校で、まだ介護保険制度ができる前の時代のことでした。最初は産休に入った教員の代替として着任しましたが、その時期に、私がやりたい教育となりたい教員像は、「学生と共に成長するような共育」であり、「専門知識を教授するだけではない、人の成長を応援する教員」であると気づきました。また、自分の専門である助産師としての経験が、介護の授業、とくに認知症ケアの授業に役立つことに気づきました。認知症ケアは、子育て支援のスタンスと似ており、ノンバーバルコミュニケーションや環境調整が重要です。また、家族の自己効力感を高め、自信をもってケア(子育て)できるようにサポートする姿勢が大切だと感じたのです。このことをきっかけに、助産師としての専門領域を極める道から、高齢者ケアを主とする介護の教員としての道を進むことを決意しました。

介護福祉士への職種差別を体験する

 介護福祉士養成校の教員を10年続ける中で、卒業生から「先生には俺たち(介護福祉士)のことがわからない」と言われたことがありました。私が看護師だから、介護福祉士の置かれている現場の状況を理解できないという指摘でした。1994年から介護福祉士は国家資格になりましたが、当時は社会的認知度が低い時代でした。
 そこで、私は介護福祉士の通信教育を経て国家試験を受けて介護福祉士の資格を取得し、介護福祉士として現場を経験するために、在宅介護支援センターに勤務しました。名刺には看護師とは記載せず、介護福祉士のみを記載しました。すると、医療機関を回った際に、名刺を折られたり、会話をする前に保健師を呼んでこいと言われるなど、職種で差別されることを体験しました。この経験は、その後の私の看護教育観に大きな影響を与えました。

地域包括ケアの現場をとおして看護基礎教育を考える

 在宅介護支援センターでの仕事を通じて、相談業務に対する知識不足も感じました。そこで、大学に編入して相談援助技術を学び、社会福祉士の資格を取得しました。さらに、当時登場したばかりだった地域包括ケアを研究するため、大学院修士課程で社会福祉を学び、コミュニティマネジメントを研究しました。この経験と学びを活かして、地域包括支援センターの立ち上げにかかわりました。 

 地域包括支援センターの仕事は面白かったのですが、徐々に教育現場に戻らなくてよいのかと自問するようになりました。暮らしの場で働く看護師は混合玉石で、素晴らしい看護師がいる一方で、残念な看護師もいたからです。暮らしの場の看護についての基礎教育が不可欠であり、教育現場に戻るとしたら、看護教育に行こうと考えるようになりました。暮らしの場において、よりよい看護を実践できる看護師を育てたいと思うようになったのです。その頃に、福祉マインドをもつ看護師養成に協力してほしいと声をかけていただき、看護大学の教員としての道を歩むことになりました。大学では在宅看護領域に所属し、暮らしの場における看護と多職種連携を学生と共に考えてきました。一方で、研究者として複数の市町に介入させていただき、地域包括ケアシステム構築のお手伝いをしました。また、看護教育と地域包括ケアシステムの社会実装を行いながら、公衆衛生学を学びたいと考え医学博士を取得しました。

多職種連携のプラットフォームとしての看護を伝えたい

 地域包括支援センターで働いていた頃、多職種連携や事例検討の重要性を実感していたので、これについて研究を進めてきました。現在は、現場での実践と教育の両方に役立つ事例検討会の運営方法を開発しています。当事者理解と多職種連携については、フィールドワークや看護実習を工夫して学びを深めるようにしています。

 私の場合は、看護師・助産師以外に、必要に迫られて介護福祉士、社会福祉士、介護支援専門員について学び、資格を取得してきました。これらを活かし、多職種連携のプラットフォームになれる看護師として、看護学生への多職種連携教育に寄与したいと思っています。医療、看護、介護、福祉の連携を深め、地域に貢献できる看護師を育てることが私の使命だと感じています。現在の看護大学の教員としての役割にたどり着くまでの道のりは、回り道のように見えますが、全ての経験がつながっています。地域包括ケアの重要性を理解し、福祉分野で活動実践してきたことが、私の分岐点になっています。これからも、暮らしの場における看護の共育を大切にしていきたいと思います。

大沼 由香

宮城大学看護学群 教授

おおぬま・ゆか/弘前大学大学院医学研究科博士後期課程修了(医学博士)。2010年弘前医療福祉大学看護学部在宅看護学領域講師として着任。2013年同准教授。岩手保健医療大学看護学部教授を経て、2024年より公立大学法人宮城大学看護学群老年看護学教授。趣味は映画鑑賞。

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