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第18回:旅は道連れ、世は情け、へこんじゃっても元通り

第18回:旅は道連れ、世は情け、へこんじゃっても元通り

2023.09.27酒井 郁子(千葉大学大学院看護学研究院附属専門職連携教育研究センター センター長・教授)

 暑さ寒さも彼岸まで。昔の人の言うことは間違いないですね。ようやく朝夕に秋の気配を感じるようになってきました。みなさま、今年もたくさん夏の思い出をつくられたことでしょう。カピバラも今年の夏は、いろんなところに出かけ、小さな旅、心許せる友人との旅、家族との旅など楽しい思い出が増えました。というわけで今回は旅とは何かを考えてみたいと思います。長すぎた夏を乗り越えやっとやっと迎えた秋の夜長に、息抜き感覚で読んでいただければうれしいです。

鞍馬から貴船 ~ 思いがけないひとり旅 <6月>

 毎年恒例の京都出張。到着後にいろんな事情で予定がキャンセルとなり、丸一日ぽっかり時間が空きました。せっかくなので大好きな貴船〔きふね〕神社までのんびり行ってお参りしようと思い立ち、ホテルを出たのですが、なぜか(としか言いようがない)いろんなことを間違ってしまい、お隣の鞍馬〔くらま〕駅に不時着。京都にはそもそも仕事で来たためスニーカーも持っていません。仕事用のカッコにパンプスで、鞍馬山麓でカピバラ一匹、ちょっと呆然としました。でも初めてここまで来たし、時間に余裕もあるしということでとりあえず飲料水を購入し、鞍馬寺くらいは行ってみよっかな、でも階段を昇る気はさらさらないなと、お寺のケーブルカーに乗り本殿到着、参拝を済ませました。
 この時カピバラ、鞍馬寺本殿金堂前の金剛床〔こんごうしょう〕で宇宙のパワーを受けてしまったのでしょうか。再びケーブルカーに乗って下山するのではなく、ふらっと「貴船・奥の院」と書かれた案内板のほうに向かい、ゲートをくぐってしまったのです。ここが運命の分かれ道だったようです。山登りをする人の気持ちだけはわからない、と常々思っているのに、たった一匹でさらに山を登り始めてしまったのです。習性とは恐ろしいものです。これはカピバラの習性です。道なき道、どこに着くのかあんまりわかってない道を選んでしまうんです。そして引き返すという機能が装備されていないのです。前進機能だけフルスペック。
 木の根っこがぼこぼこしている山道をパンプスでひたすら登る。なぜ歩き出したのだろう、いつもこれでやばいことになるのになぜ止められないんだろう、と自問自答しつつ坂道を登り続けました。あの牛若丸が鞍馬天狗と共に修行をしたといわれる僧正ガ谷不動堂〔そうじょうがだにふどうどう〕まで来たときには、もう自問自答のフェイズは終わっており、脳内麻薬が出始めていました。すっかり足が軽い(気がする)。どこまででも行ける(気がする)。奥の院 魔王殿に到着した時には何かの壁を越えた(気がする)。そしてついに下り坂。ただひたすらに下る。足が動くから下る。もう自分の足じゃないみたいだけど下る。下るしかないから下る。たぶんここらへんで一回「己」が消え去った気がする(思考停止状態)。ふっと気づけば、貴船川の川音が聞こえてきます。ふらっと鞍馬寺 奥の院参道に入ってから1時間半過ぎていました。そして、朝考えた予定通り、貴船神社で茅の輪〔ちのわ〕くぐりをし、夏越の祓〔なごしのはらえ〕を終え、奥宮の高龗神〔たかおかみのかみ〕の札のところでぼーっと立ち尽くすカピバラ。時間と体力は倍以上かかりましたが、朝予定したことを達成したのでした。思いがけない登山により汗だくで筋肉痛と空腹がありながら、とてつもない爽快感が押し寄せてきました(脳内麻薬血中濃度Maxで蘇り中)。これを「修行」と人は言うのでしょうか。

 坂道は登った分、下らなければならない。下った分は登らなくてはならない。道を間違えたのも、道を選択したのも、ゲートをくぐったのも自分。頼りになるのは自分の足とハートだけと実感した思わぬ一人旅でした。

長崎外海の出津集落 ~ 守護天使と共に3人旅 <7月>

学会参加の前に世界文化遺産へ

 学会登壇のため訪れた長崎。お友だち A さん(地元の医療系研究者)が待っていてくれました。加えて空港で偶然遭遇したカピバラ同僚 B さん(文系研究者)。ふと思い立ち「もし時間あるなら、一緒にいかがでしょう?」とお誘いし、A さん、B さん、そしてカピバラの3人で、普通の観光ではなかなか行きにくい外海の出津集落〔そとめのしつしゅうらく〕のほうにドライブすることになりました。A さんと B さんは初対面でしたけど、なんか3人の会話がとても心地よくかみ合って楽しく落ち着く時間です。

 外海の出津集落は、長崎と熊本県天草地方の潜伏キリシタン関連の12の構成資産からなる世界文化遺産の一つで、日本でキリスト教が禁教とされた250年あまりの間にわたり自分たちでひそかに信仰を続けた集落です。この地を舞台とした小説『沈黙』の作者である遠藤周作が愛した土地でもあり、遠藤周作文学館もあります。ここも良いところでした。
 1865年、大浦天主堂で世界宗教史に残る劇的な「使徒発見」がなされました。その瞬間に立ち会ったフランス人のプチジャン神父は、いきなり日本の村人に信仰を告白されて相当びっくりしたことと拝察いたします。その後日本的うやむやな感じからなんとなくキリスト教が黙認されていきます。プチジャン神父は、もう一人神父を日本に派遣してねとフランスの本社的なところに連絡し、1878年にノルマンディ地方の貴族の息子ド・ロ神父が出津にやってきました。これにより出津集落におけるキリシタンの「潜伏」は終焉を迎えたのでした。

ド・ロ神父の生涯 ~ “高度実践多機能神父”として

 さて、ここから先は海風が吹き抜ける出津教会の中で語り部の信徒さんからうかがった「ド・ロ様」のお話をもとにカピバラが再構成しています。

 ド・ロ様は貴族の息子ですが、フランスでは革命の真っただ中。賢明な両親は貴族でなくなっても生きていけるように、さまざまな知識と技術をド・ロ様に身につけさせました。土木、建築、医療、織物、食品製造などなど、高度実践多機能神父(カピバラ造語)として外海にやってきたド・ロ様。そして目にした村人のあまりの困窮生活に衝撃を受け、この村人たちを助けたいというミッションを強く自覚します。ここからド・ロ様は村人と共に出津集落の社会課題解決に向けた地域包括ケアシステムの構築といいますか、自助と互助の仕組みづくりに邁進していくのでした。出津教会をつくるまでは本社の指示だったのでしょうが、村には孤児、漁で夫を失った女性が多くいました。そこで孤児院、授産施設であるところの救助院を建設し、そこで村の女性たちに、織物、食品製造の技術の学習支援を行います。出津集落では、今でも空港で販売している「ド・ロさまソーメン」のほかにパスタ、パン、しょうゆなどの製造販売をガンガン進めていくのです。イワシ網すき工場を建てた際には保育所も併設、腸チフスが流行した時には薬局をつくり治療にもあたります。ソーシャルビジネスを立ち上げ、インフラを整備し、だれ一人取り残さないインクルージブなユニバーサルヘルスカバレッジを成し遂げていきます。また同時に村人の先頭に立って、畑の開墾と農業の普及に努め、村の食糧問題についても根本解決していきます。こうやってキリスト教の理念である隣人愛を爆速で実践し続け、一度もフランスに帰国することなく1914年に74歳でご逝去となりました。
 ド・ロ様は、信仰による規範的統合と教育を基盤として村人の自立を促し続けました。境界を越えて、理念と共に知識や技術を伝えていくという特性がいわゆる伝道師(エヴァンジェリスト)の資質なのだと思います。そしてそこには常に住民志向があったのだろうと思います。幸せな人生であったかどうかはご本人にうかがってみないとわからないことですが、共に生きた村人は幸せ(Well-being)であったように思いました。

 ド・ロ様の生涯は外海の守護天使であり続けたことよと、帰路、遠くに浮かぶ軍艦島を見ながら友人 A、同僚 B と語り合ったのでした。A さんの配慮の行き届いたアテンドと、B さんの鋭い考察になるほど! とうなずく教養の旅でござった。
 あ、もちろん翌日からの学会には、みんな真面目に参加しましたよ。A さんと B さんの沽券にかかわるので念のため(笑)。

熊野本宮大社から高野山へ ~ 紀伊半島の真ん中を突っ切る巡礼4人旅 <9月>

巡礼とは土地勘のない地域を行くこと

 カピバラには、年に1回、共に旅をする友人が3人います。住んでいるところは東西南北バラバラなので、半年くらい前から日程を合わせ、どこに行くか希望を出し合い、計画を立てる。今年の旅は熊野と高野山ということで、JR新大阪駅に集合となりました。この時点では、まだ紀伊半島深部の険しさをカピバラたちは知りません。だってみんな行ったことないから土地勘ないんだもん。
 お昼の12時にレンタカーに乗り込み、大阪の高速から奈良の橿原〔かしはら〕を経由して十津川〔とつかわ〕のほうに向かうルートをとりました。紀伊半島に入った途端、迫りくる山、片方は渓谷という細いワインディングロードが延々と続きます。まじ、これ崖下に落ちたら、火曜サスペンス劇場的展開というような道。コンビニもないし、カフェもないし、休憩の場所がない。道の駅が見えた時の、ようやく一時停止できる! という感動は忘れられません。
 そうしてだんだん紀伊半島の過酷な山道の恐ろしさが垣間見え、不安を覚え始めた4人。そもそも紀伊半島はプレートの沈み込みの影響を受け、大地が隆起した地域であり、険しい山と太平洋の大海原が隣り合っています。また、太平洋からの水蒸気が急峻な山にぶつかるため多量の降雨と河川の著しい下刻(川底の浸食によって底面が徐々に低下していく)によって、深い谷が形成され平野が発達しなかったそうです1)。その急峻な山道ルートを選んでしまったカピバラ一行。だって地図上では近そうだったから。山岳宗教の修行の場であるとも知らずに。険しいから修行の場になっているってことは6月の鞍馬で体験済みだったのに。
 午後の4時にようやく和歌山県の熊野本宮大社に到着しました。新大阪駅から4時間かかっていました。日本サッカー協会のシンボルマークにもなっている八咫烏〔やたがらす〕に迎えられ、熊野本宮大社に参拝したあと、なんともいえぬすっきりした気持ちで熊野本宮旧社地 大斎原〔おおゆのはら〕に行きました。熊野三山世界遺産群のなかでも一大聖地となっているところです。すがすがしく樹と土の不思議な香りに満ちた甦りの出発点でした。この日宿泊した温泉旅館の屋上は星見テラスとなっており、4人でワインをもって屋上のベンチに寝転がり夜空を見上げたら、なんという星空でしょう。天の川もくっきり見えます。その日は新月だったのです。月の光に隠れないため、星の瞬き、流れ星がくっきり見えます。新月の日に甦りの地で天の川をみた4人。人生が終わる瞬間にきっと思い出す光景の一つとなったのでした。

甦りの熊野と成仏の高野山を結ぶ龍神

 二日目は龍神村〔りゅうじんむら〕経由で高野山に向かうことにしました。午前11時に出発し、龍神村から高野山まで年配ライダーさんがとにかく多い龍神スカイラインをひたすら北上する。その距離約40キロメートル。いやもう延々と龍神村。龍神村から抜け出せない。紀州の屋根と呼ばれる護摩檀山〔ごまだんざん、ごまだんやま〕にあるごまさんスカイタワーが見えたところで、ようやく高野山という標識が出てきました。高野山宿坊到着っていうか、龍神村脱出成功が午後2時30分。紀伊半島のとてつもない深さ、豊かさに身をゆだねた3時間半のドライブでした。
 そこから、きっちりとした様式により空海の教えである「仏になる(成仏)」ための精進を伝えるよう計算されつくした学びの場・高野山へ。なんかなじみのあるこの感じ、伝統ある大学町みたいな高野山。金剛峯寺は大学本部、壇上伽藍〔だんじょうがらん〕は大講堂かしら、なんて。曼荼羅〔まんだら〕は看護モデルみたいだし。価値を普及実装していくときには、やっぱり一目で世界観を把握できる曼荼羅的なものが必要で、理念や哲学だけではなく、獲得できるコンピテンシーの明確化と評価指標、教材、教育プログラム開発、ブランド化という次世代育成の仕組みづくりに成功したのが高野山ということなのかなと、埒もないことを考えました。

サマーインターンシップお遍路

 三日目は高野山の奥の院まで徒歩で参拝しました。ここは空海さんが生きているという世界観で物事が執り行われている場所です。ここまで来ると参拝する方々には明確にラダーがあるのがわかります。ラダー4くらいの「お遍路コンプリート」のみなさまは御朱印帳も本格的ならコスチュームもフル装備で唱える般若心境も堂々と、もう立ち居振る舞いが堂に入っている。そこからラダー3、2、1ときて、カピバラ一行は、サマーインターンシップに来てみた看護学生的な位置づけでござったよ。勤行、写経、精進料理と体験させていただき、垣間見る真言宗ワールドは奥が深いものでした。
 こうして2泊3日のなかなかに難儀、かつ体当たりで聖地を体験した紀伊半島仲良し4人旅は終わったのでした。

旅とは何か。グルメと観光? 己の取り戻し? 出会い?

 日本人の旅の原点は巡礼だと言われます。巡礼と言っても、その昔、旅に出ることを規制されていた一般庶民にとっては多くの場合、一生に一度の出来事でした。ですから、旅人は参詣にとどまらず、物見遊山を兼ね見聞を広めしっかり旅を楽しみつくしたのでした。旅人は文化や情報の運び手でもありました。こうして行きて還りし物語が生まれていきました。準備、計画、不測の事態への対応、目的の達成、その過程で見聞きしたものとことと出会った人との交流を五感でもって味わい、自分を振り返る、これらすべてが旅の要素です。旅の前と後ではたぶんちょっとだけ違う自分になっている、この違う自分を感じたくて旅に出るのかもしれません。

 
引用文献
1)南紀熊野ジオパークホームページ,大地のなりたち,〔https://nankikumanogeo.jp/geo_theme/earth/〕(最終確認2023年9月26日)
2)鞍馬寺ホームページ,〔https://www.kuramadera.or.jp/〕(最終確認:2023年9月26日)
3)長崎市ホームページ,外海の出津集落(長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産),〔https://www.city.nagasaki.lg.jp/kanko/840000/842000/p038669.html〕(最終確認:2023年9月26日)
4)熊野本宮大社ホームページ,〔http://www.hongutaisha.jp/〕(最終確認:2023年9月26日)
5)高野山真言宗 総本山金剛峯寺ホームページ,〔https://www.koyasan.or.jp/〕(最終確認:2023年9月26日)
 

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酒井 郁子

千葉大学大学院看護学研究院附属専門職連携教育研究センター センター長・教授

さかい・いくこ/千葉大学看護学部卒業後、千葉県千葉リハビリテーションセンター看護師、千葉県立衛生短期大学助手を経て、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(保健学博士)。川崎市立看護短期大学助教授から、2000年に千葉大学大学院看護学研究科助教授、2007年同独立専攻看護システム管理学教授、2015年専門職連携教育研究センター センター長、2021年より高度実践看護学・特定看護学プログラムの担当となる。日本看護系学会協議会理事、看保連理事、日本保健医療福祉連携教育学会副理事長などを兼務。著書は『看護学テキストNiCEリハビリテーション看護』[編集]など多数。趣味は、読書、韓流、ジェフ千葉の応援、料理。

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