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第23回:一つでいい、胸を打つ、心に刻まれる経験を

第23回:一つでいい、胸を打つ、心に刻まれる経験を

2024.11.14中島 正義(愛生会看護専門学校 教務主任)

「看護とは何か」から始まる模索の日々

 今から十数年前、小児科病棟に勤務していた。その日、私は日勤で、数日前に上気道炎で入院し、輸液治療を行っていた遊戯期の患児の受け持ちをしていた。患児は状態が回復してくるにつれ元気になり、動いてしまって輸液ポンプのアラームが鳴ることを繰り返していた。私以外の看護師も含め、アラームへの対応を行っていたが、頻回に鳴ることによる煩わしさからか、結局受け持ちである私が主に対応している状況となった。何度目かの処置の際、他の受け持ち患児への対応が疎かになることもあり、「お母さま、もう少しお静かに願えませんか」と、つい心の中にある思いを言葉に出してしまった。「そうですよね、悪いな、とは思っているんですけど。でも静かになんてできないですよね」と母親は静かに言った。あ、言ってはいけなかったのに、と私は母親の顔を見ることができないまま病室を後にし、他の受け持ち患児の対応を行った。

 患児や母親の思いの尊重と、治療もしくは輸液漏れ、事故抜去という安全を秤にかけ、何をどのように価値づけて判断すれば良いのか。日常的に繰り返される、このような葛藤にどう対応すれば良いのか。治療、安全という刀を振りかざし看護を行うということが果たして看護なのか。そもそも「看護とは何か」を、自分は今まで真剣に考えたことがなかったのではないか、と恥ずかしくなった。私の模索の日々は、ここから始まった。

「教育って、そういうものじゃないんですよ」が頭の中から離れない

 「看護とはなにか」と日々悶々と考えていたとき、とある出来事を経た私は、今度は教育について模索しはじめることになる。
 当時病棟で主に新人教育指導、現任教育指導に携わっていた私は、久しぶりに臨地実習指導の担当となったことで、ある学生に出会った。その学生は、実習記録は全く記述できない、看護学の知識や技術は不十分で事前学習、事後学習も行ってこないという前代未聞の学生だった。今までどのような学生でも不合格にしたことはなかったが、さすがに合格は難しいと思い、担当の看護教員に合否について相談した。すると、その看護教員は、私とは何年も教員と実習指導者という間柄だったからなのか、それとも看護教員としての立場からなのか「中島さん、教育って、そういうものじゃないんですよ」と言われた。私はハッとした。「教育についてはまだまだ浅いな」と言われたような気がして、それからは教員の言葉が頭から離れなくなった。
 今まで何年も、何十回も実習指導は行ってきたが、そこに「教育」という視点は果たして存在していたのか。「教育とは何か」。沸々と湧いてくる教育への関心は次第に増大し、数年間異動願いを出し続けた。念願かなって看護学校に異動となり、看護教員としての一歩を踏み出した。

患者はなぜ受け持ちを承諾してくれているのか

 実習指導者から看護教員へと立場が変わることにより、一番とまどったのは学生との距離感だった。学生にとって看護教員は親身になって相談に乗ってくれることもあり、とくに臨地実習では、頼れる存在となる。何かわからないことがあったときや、実習指導者には聞きにくいことも聞きやすい。なので、調べるよりも先に教員に聞けば何とかなる、と少なくとも当時の私は、そう学生に認識されていたように思う。そのためか、私が学生に少しでも考えてもらいたい、気づいて欲しいと、問いかけ、引き出そうとしても、安易に答えを求めてくる学生が多かった。「教育とは何か」が知りたくて看護教員の道に飛び込んだのに、学生とのかかわりを経てそれがますますわからなくなり、葛藤する日々が続いていた。

 そんな中、典型的な「教員に聞けばなんとかなる」と考えている学生に出会った。その学生は、腹膜播種を患い、CVポートの感染のため入院治療していた高齢の患者を受け持つこととなった。治療は順調に進み、話し好きである患者と、コミュニケーションが得意であった学生はよい関係性を築くことができていた。
 しかし、病態の理解が伴っていない学生にとっては、がんが転移しておりその治療はすでに難しい状態であるにもかかわらず、退院間近であることで、患者にはさほど問題がないように見えてしまっていた。そのため、学生は、患者とコミュニケーションを図ることがストレスを軽減することにつながっていると捉え、実際は患者が疲労や苦痛を感じていたことに気づいていなかった。また、学生のコミュニケーションは表面的なものであり、退院後の生活までを含めた、患者の背景まで深く踏み込んだかかわりとはなっていなかった。
 患者の休息や心情について考えられていないコミュニケーションを繰り返すうちに、次第に患者からは「お昼から少し休みたい」との言葉が聞かれるようになった。そのため、私は病態理解を含めた患者のおかれている状況を、今一度考えてみるように指導した。

 ある時「なぜ先生はどうすればいいのか教えてくれないんですか。私は私なりに頑張っているんです。これじゃダメなんですか」と私の指導に反発してきた。私は学生の言い分を聞くとともに、もう一度自分で考えてもらうように投げかけた。学生は不満げな表情を浮かべていたが一応納得してくれた。週末を挟んだ月曜日に「先生のコメントの意味、すごく考えるようにしているんですけど、この意図が分からないので教えて下さい」と学生が実習記録を持って訪ねてきた。それは私が書き込んだ「患者はなぜ受け持ちを承諾してくれているのだろう」というコメントだった。私は改めて学生に、余命が短いかもしれない患者は、「少しでも学習の役に立つのなら、看護師を目指す学生の役に立てるのなら」との気持ちから、多少の苦痛を我慢してでも自身の身を捧げてくださっているのではないか。患者の健康への思い、願い、死への覚悟などを含めて、その人として理解してほしい、そして受け持たせて頂いているという気持ちを学習活動として、患者への思いを看護として表現することが学生の責務である、という意図だということを説明した。

 指導後、学生は「そこまで深くは考えられていなかった。患者とどう接すればいいのかわからなくなった」と、訪室することを迷っている様子だったため、待っていると思うので訪室して差し上げて、と背中を押した。患者と話した後、戻ってきた学生は、「先生、どうして受け持ちを承諾してくれたのかは聞けなかった。でも受け持ちしてくれてありがとうって言われた」と嬉しそうに話してくれた。

教育とは認知できなかったことを気づかせ、意味づけること

 看護の道を歩み始めた頃の自分からすれば、まさか教育に携わることなど想像もできていなかったが、一つひとつの出来事は、未熟な私にとって必然の分岐点だったのだと思う。そのような私が見つけた答えのひとつが、「教育とは、今までに認知することができなかった体験のいくつかを学び手に気づかせて経験に変えていく過程、つまり意味づけていくもの」だということである。その際、学生自らで意味づけることが理想だが、教員の説明や解釈によって意味づけるよりも、学生と意思疎通を図りながら共に意味づけることで、より多くの経験を獲得できると思う。何気なく通り過ぎてしまいそうな一場面を、意味あるものとして気づかせ、胸を打つような経験に変えていくことが大切である。成功や失敗といった結果を恐れずに、胸を打つような経験を、たとえ一つでもいい。心に刻まれた経験は、彼らの長いこれからを道しるべとして支えてくれるものだと信じているから。

 このような信念のもと、私は今日も教員の道を歩んでいる。学生たちに、看護とは何かを考えさせ経験をさせることの楽しさと難しさを感じながら、あのときの教員の言葉や「教育とはなにか」の答えをさらに追求していきたいと思っている。

中島 正義

愛生会看護専門学校 教務主任

なかしま・まさよし/愛生会看護専門学校卒業後、東海市民病院(現:公立西知多総合病院)に入職。愛知県青い鳥医療療育センター、あいち小児保健医療総合センターでの臨床勤務を経て、愛知県立総合看護専門学校に専任教員として異動、看護教員の道へ進む。2017年、母校である愛生会看護専門学校に着任。22年に日本看護学校協議会教務主任養成講習会を終了し、23年4月より現職。名古屋市臨地実習指導者講習会演習講師も務める。趣味は低山ハイク。目指せ100座。

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