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第38回:目の当たりにした熟練教員の<わざ>

第38回:目の当たりにした熟練教員の<わざ>

2026.01.15芦原 由里(パナソニック健康保険組合立松下看護専門学校 専任教員)

教員経験を重ねても乗り越えられなかった壁

 約10年前に子どもの頃からの夢であった看護教員になった私ですが、4年の経験を経てからも、とくに臨地実習指導において自信が持てないでいました。臨地実習は学生が臨地でしか学べない貴重な経験をする場です。一方で、複数の学生を担当しつつ、一人ひとりが受け持ち患者さんに適切な看護実践ができるように導くことは難しく、教員経験を重ねてもなお、私にとって乗り越えられない壁であり続けました。実習を終えてふり返るたびに、「あのとき、もっと指導していたら学生は変わってくれたかもしれない」など、改善点がたくさん見つかりました。しかし、まったく同じ状況はめぐってこないことや、教育の成果はすぐに表れてくるものではないため、「実践で上手くできた」という確かな手ごたえを感じられず、反省ばかりの日々でした。この切実な課題意識が、看護教育の知識や技術、実践のノウハウを根底から学び直したいという思いとなり、私を大学院へと向かわせました。

悩み、迷いながらもよりよい解決策を追究するA先生の姿

 当時の私は、熟練した教員は豊富な経験と知識をもち合わせ、どんな状況においてもその状況を瞬時に的確に判断しているものだと考えていました。そのため、大学院では、熟練教員はそのときその場の状況でどのように思考・判断し、学生の成長を導く教育実践しているのかに焦点を当て研究しました。その研究に快く参加してくださったのが、看護専門学校で長く教員として勤められているA先生でした。
 A先生との出会いは、大学院生活での何よりの賜物でした。A先生は、「教師は黒子。教師が自分の成果を求めてはいけない。学生が自分でやれた、頑張れたと思えるようにどれだけできるかが勝負」という教育観をもっていました。学生の「理解した!」という反応を頼りに自身の教育実践の成果を確認していた私にとって、A先生の言葉は教育の本質を考え直す機会になりました。A先生の臨地実習での教育実践を参加観察し、その思考・判断についてA先生に実際に語っていただくことで、自身の教育実践を振り返ることができたのです。 当時の研究から得られた教育実践の一事例を紹介します1)

 胆嚢摘出術後3日目で80歳代の認知症がある女性患者(Bさん)が「しんどいー」と呼吸苦を訴えて叫んでいます。学生は、Bさんのかたわらでどう対応したらいいのかわからずぼうぜんとしています。そこにA先生が駆けつけました。A先生は、「しんどいー」と叫ぶBさんの呼吸苦に対応し、上半身を挙上する体位への変換を試みました。しかしBさんは「触らないでー」と興奮している状態で、こちらからの支援を拒絶されました。
 A先生は酸素飽和度を測定するなど呼吸状態を観察しながら、興奮しているBさんに冷静に優しく声をかけ続けました。Bさんの上体を起こすことはできましたが、酸素飽和度が97%から96%に低下しました。A先生は、続けて「座った方が楽になりますよ、座ってみましょう」と坐位になることを促しました。学生は、A先生の声かけに合わせて動くことができず、困り悩んでいるような表情でどうしたらいいのか考えている様子でした。その後、徐々に落ち着きはじめたBさんに「この人は△△さんだから、学生の△△さんだから。この人がここにいますから、なにかあったらこの人に言ってください、頼ってくださいね」と学生のことを説明し、学生に対しては特に声をかけることなくその場を去りました。学生は戸惑った表情を見せつつもBさんに近づいていきました。

 このときA先生の実践を観察していた私は、A先生が終始学生に声をかけることなくBさんに対応し、Bさんの元を立ち去る前にも学生には声をかけることなく退室したという、一見突き放しているようにも見える態度に疑問を抱きました。
 ですがその後、話をうかがうと、A先生はBさんの状況から学生の対応の限界を超えていると判断したために、学生に対応を任せず自身がモデルとしてBさんの呼吸苦に対応したのだと教えてくださいました。Bさんが胆嚢摘出術後3日目で心身ともに不安定な状態であること、高齢で認知症があることがどういう状態なのかに加えて、学生の特徴とBさんの状況から学生に何をどこまでまかせられる状況なのかなどを瞬時に考えながら対応したものの、呼吸苦が改善せず訴え続け、こちらからのアプローチを拒否する患者の反応に自身も悩んだのだそうです。その後、徐々にBさんが落ち着いてきたため、A先生は呼吸苦の原因は精神的なものであろうと考えるに至ったようでした。
 また、A先生は、Bさんの呼吸苦を軽減するための看護に学生が加わることを期待されましたが、学生が動かなかったことにも言及されました。酸素飽和度が低下したということもあり、学生には学生なりの悩みや疑問があったため動けなかったのだろうと推察されてましたが、自身では酸素飽和度は問題ないと判断されており、その場ではBさんへの対応を優先して、学生にはあとでどのように対応すべきだったのかを伝えようと考えていたのだそうです。その後患者が落ち着きはじめたため、学生がひとりで対応しても問題ないと判断したA先生は、Bさんに声をかけて学生がBさんとかかわる場をつくり、看護につなげられるようにと願いながら、あえて学生には声をかけずに退室した、と語られました。

 A先生の実践は、看護師の立場と教員の立場、どちらに立つべきか模索しながら、状況に応じて往来していく実践であり、その支えとなるのは「教師は黒子」という教育観でした。また、A先生は、自分の中で安易に答えを出すことなく、複雑で不確定な実践の場であえて悩んだり、迷ったり、葛藤したりして、考え続けながらそのときその場での看護実践や教育実践のよりよい解決策を追求していたのだと感じました。
 このことから自分の考えを安易に合理化することなく、自らを複雑で不安定な場におき、謙虚に学生とともに対象への看護を考え、学生を後ろから支える実践、それこそが熟練教員の<わざ>だと私は実感しました。

自身の看護実践を見つめ直す機会に

 大学院でのこの貴重な経験は、私の教員人生の大きな学びであり宝となっています。この経験は自身の教育実践を見つめ直す機会にもなりました。
   それまでの私は学生のことを心配するあまり、自身が答えを伝えてしまったり、学生よりも先に動いてしまったりしていました。学生が困らないようにと考えながらも、それは自身の安心のためであり、実は学生の学びや成長の機会を奪っていたのだと気づくことができました。また、以前までの私は学生にしか目を向けられておらず、本来看護の対象となる患者さんへの視点が不足していたことにも気づけました。そして「看護を教育する」には、自身の看護実践力が教育実践の質を大きく左右することも痛感しました。
 現在、幸運にも私は研究に協力いただいたA先生とともに働いており、今も私の尊敬する人生の師として多くの学びを得ています。とはいえ今でも臨地実習ではそのときその場の事象に悩んだり、迷ったりすることばかりです。そのときどきで自身の思考や行為を振り返り言語化し、安易に妥協することなく「これでよかったのか」と問い続けることを意識しています。そして、患者の健康回復の支援を一番に考えて学生が患者へかかわり、そのかかわりが看護になり得るように、学生の力を信じて支援しながら自身も学生とともに成長し続けられる教員を目指しています。

引用文献
1)芦原由里,太田 祐子, 安酸 史子:A熟練看護教師の臨地実習における「行為の中の省察」.教師学研究 25(2):53-62,2022

芦原 由里

パナソニック健康保険組合立松下看護専門学校 専任教員

あしはら・ゆり/神戸市看護大学短期大学部卒業後、(現)神戸市立医療センター中央市民病院、大阪市立総合医療センターに勤務し、小児科、NICU等に所属。看護専門学校に転職後、看護教員養成講習会を修了し、専任教員として勤務。看護教育とは何かの答えを求めて、関西医科大学看護学部看護学研究科博士前期課程を修了。2022年より現職。趣味は音楽鑑賞、娘とおでかけ。

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