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「人体の構造と機能」を看護に引きつけよう

「人体の構造と機能」を看護に引きつけよう

2023.02.15菱沼 典子(NPO法人からだフシギ 理事長)

 2022年度からスタートした新カリキュラムにおいて、「人体の構造と機能」の重要性が改めて強調されました。学生が解剖生理の知識を看護に結びつけて考えられるようにと、さまざまに工夫をこらしながら教授されているところかもしれません。
 本稿では、看護職が人体の構造と機能を教授するということを先駆的に実践されてきた菱沼典子先生に、ご自身のこれまでの取り組みや考えを踏まえ、学生に教授する際のヒントやアイデアを教えていただきました。

NurSHARE編集部

プロローグ

 身体は人間の存在そのものである。言われてみると当たり前のこと、身体がない人間はいないのだから。したがって身体を知ることは、人間を知ることである。この意味から、看護職に限らず全ての人が、自分の身体を知っていることは大事だと思う 1)。そこでNPO法人からだフシギでの活動を通し、「からだの知識をみんなのものにしたい」と考え、10年以上身体の知識の普及に取り組んでいる。

 ところで看護職は、身体についてよく知っていると思われている。看護職は皮膚の外側から他者を看ること・触れることが許されている職業であり、観察し、触れる相手の身体がわからなくては、看護はできないからだ。
 とはいえ私も、初めから身体に詳しかったわけではない。

解剖学に関する経験

 私は臨床で看護師をしていたとき、人体についてわかっているつもりでいた。しかし、心臓の手術をしてきた子どものどこに心臓があって、心房中隔欠損とは実際どこに欠損があるのか、具体的には全くわからなかった。脳腫瘍で第Ⅶ脳神経が傷害されていると言われて、「嗅いで(=第Ⅰ脳神経、嗅神経)視る(=第Ⅱ脳神経、視神経)…」と唱えていかないと、第Ⅶ脳神経イコール顔面神経にたどり着かなかった。「tibia(脛骨)だっけ? fibula(腓骨)だっけ?」と問われて、わからないですとポカーンとした。知っていると思われているのに、ちっともわかっていないと気がつくたびに、いたたまれない気持ちになったものだ 2)
 当時チバガイギー社の大判の解剖図譜に、カラーで大変ていねいに解剖から生理、病態までが解説されていた。心臓はこんななんだと、感心した。学生時代に、解剖学、生理学、生化学、病理学を学んだはずなのに、どれもこれも身についておらず、これではダメだと思った。
 後に、本物の心臓を勉強し、心房中隔に膜様の部分があり(これは胎生期に右心房から左心房へ血液が流れた卵円孔の跡)、欠損とは膜の癒合がうまくできずに、卵円孔がふさがらない状態と知ったときは、びっくりを通り越して感動した。人体の構造がわかっていたら、病気のこともよくわかる、解剖は基本だとつくづく思ったのだ。

今がチャンス

 今般、令和4年施行の保健師助産師看護師学校養成所指定規則の改正で、「人体の構造と機能」および「疾病の成り立ちと回復の促進」が1単位増となって強化された。まさに基本中の基本だから、ということだろう。その1単位を、どのように活用されておいでだろうか。

 しばしば解剖学は、解剖用語ばかりを覚え、試験が終わったら忘れてしまう、労多くして実りのない勉強だと言われる。学生にとっても、教員にとっても、実にもったいない話である。解剖学は回答用紙に記入したら終わりではなく、看護職の人間理解のための最も基本となる知識であり、病気の理解や看護技術の理解に活用する知識である。
 人体の仕組みを看護に使う道筋を学生に見せるには、今がチャンスである。1単位を、人体の仕組みを看護にどう応用するのかを示すのに使ってはどうか。学生が「あぁそうか」と納得いくような授業を、看護職が展開してほしい。看護への応用を語るのは、看護職にしかできないからだ。

看護職が教えることへのチャレンジ

 看護職はプロフッショナルか、という問いは、1970年代に盛んだった。当時の社会学者は、看護職は半専門職であると言っていた。そんな時代に、看護職が専門職であるなら、後輩は自分たちの手で育てよと主張したのは、当時聖路加看護大学の学長だった日野原重明氏である。手始めに解剖学から始めよう、という話に乗って、私は解剖の勉強をやり直した 3)

 学生に教えるようになって、“覚えて忘れる解剖生理”の洪水に溺れそうだった。病理学の先生から、「解剖の話をしないと通じないから、まず解剖を話すと、病理の話をする時間がないんだよなあ」と言われる。基礎看護学の先生からは、「血圧の話はしていないの? 初めて聞いたみたいで、反応がないんだけど」と言われる。
 看護職の私が教えても、“覚えて忘れる解剖生理” “役に立たない解剖生理”は変わらなかった。なぜだろうと考え続けて、ようやく気がついたのは、医学の枠組みの「運動器系」「循環器系」「消化器系」「神経系」等のシステムごとの身体の見方を、そのままで教えていては看護に結びつかないということだった。看護が焦点を置いている、病気であっても、具合が悪くても、その日を暮らせるよう支援することと、たとえば消化器系という枠組みでとらえた知識とは、直には結びつかないのだ。
 「どうですか? 一口食べてみますか?」と、食欲のない病者に食事を勧めるのは、消化器系の疾患があるかどうかではなく、食べてみようという気持ちがあるかどうかの問題だろう。口から始まる消化器系ではなく、食欲から始まる「食べる」という営みに目を向けているのが看護である。
 食べて、出して、寝る。もちろん息をする。コミュニケーションをとって、お風呂に入る。こうした日常生活が、健康上の理由でうまくできないとき、それをできるように支えるのが看護である。看護はその技術を持っている。食べることを身体はどのようにやっているのか、〈食欲〉〈摂食の姿勢や動作〉〈咀嚼し味わう〉〈嚥下〉〈消化〉〈吸収〉と進み、食べることのゴールは、細胞に栄養が行き渡ることである。看護にとって必要な身体の知識は、この流れで組まれた知識であろう 4)

 これに気がつくまでに教員になってから15年以上もかかってしまった。システム別の解剖生理学を、日常生活行動別に一気に組み換えて授業を行ったのが、1993年だった。その講義ノートをもとに『看護形態機能学―生活行動からみるからだ』(日本看護協会出版会)を世に問うたのが1997年、改訂を重ねて現在第4版になっている 5)。生活行動に着目することがなぜ重要なのか、それは内部環境の恒常性を保つためだが、そこをわかりやすく解説し、さらに病気との関連を解説した『看護につなげる形態機能学』(メヂカルフレンド社、2012年)6) や、看護職が身体の外側から、皮膚を通して中を見通すとどうなっているか、身体のおもしろさを強調して書いた『図解見えない体』(ライフサポート社、2018年)7) も、看護職が身体を学び直すのに役立つと思う。また、看護職が遭遇する具体的な臨床場面を設定して形態機能学の知識を看護に結びつけながら簡潔に解説した『ケーススタディ看護形態機能学―臨床実践と人体の構造・機能・病態の知識をつなぐ』(南江堂、2003年)を上梓したが、残念ながら現在は入手困難と聞いている。

中身は同じ、物語が違う

 看護の視点からの日常生活行動別の人体の見方であっても、身体そのものは同じである。心臓は心臓だし、腎臓は腎臓だ。もちろん血液循環も同じである。用語も、各臓器の機能も同じである。
 看護師は人体の勉強を必ずするが、看護にどう使うのかは学生に任されている。私は自分で枠組みを組み換えてみて、これを学生に自分でやれというのは、求め過ぎだと思った。教員がその道筋を見せるべきだと思う。
 たとえば「食べる」プロセスは、アセスメントに直結する。食欲はあるか、座位の姿勢を保てるか、口に運ぶ動作はできるか、咀嚼できるか、嚥下できるかは、どれも食事に関するアセスメント項目になる。もし座位がとれなかったら、どういう支援をするかは看護技術に直結する。学生に、普段食事をするときどんな姿勢で食べているかを自分たちで観察させ、食べる姿勢を理解すれば、ベッド上で前傾姿勢をとるには、腰に小枕を当てるのがいいと、わかってくるだろう。

 人体の構造と機能は、そこで終わらない。そこから看護が展開される。そのおもしろさを学生に伝えて欲しい。繰り返すが、これは看護職だから展開できることであり、他の専門職に求めることではない。

看護への展開を伝える方法

 授業は、教員が話すいわゆる講義のみで構成しなくてもよい。日常生活行動からみる身体は、学生自身の生活や身体を教材にして、演習形式で学ぶのが適している。
 1日どれだけ水分を摂り、どれだけ尿を出しているか、いわゆる水分出納を学生自身が自ら観察し1日記録してみる。教科書の中の数字は覚えられなくても、自分で測った数値は記憶に残る。私は昨年、教員を引退するにあたって、これまでに実際に授業でやってきた演習の例を、『看護形態機能学ワークブック―体験して考えるからだのいとなみ』(日本看護協会出版会、2022年)8) として出版した。いろいろな工夫がまだあると思うが、参考例になれば幸いである。

 今回強化された1単位で人体の仕組みを看護にどう応用するのかを示すとき、人体全部を網羅する必要はなく、復習と看護へのつなぎを、いくつか示せばよいのである。

 人体の構造や臓器の名前は、覚えるしかない。また臓器の働きも現時点でわかっていることは理解していなければならない。人体の解明が進むにつれ、新しい知識が積み重なるし、あるいは以前の説明が覆されることもある。たとえば、脂肪組織がホルモンを分泌するとわかったのは1994年である。それ以前に勉強していれば、嘘でしょ? と思うだろう。情報を刷新していく必要はあるが、とりあえずは現状でわかっていることを土台にする。
 これらを土台にして、身体に異常(病気)が生じたとき、どんな不都合が起きるのかを、まず学生に考えさせる。さらに、その不都合が日常生活行動に影響するのかどうかを考えさせる。初めから答えを示すのではなく、知識を応用して考える習慣を身につけさせるのが、教師の役割だろう。そのうえで、生活行動への影響をカバーできる看護技術を看護職は持っている、と紹介する。病態も看護技術も、それだけを切り離さずにつなげて示すことで、人体の構造と機能の意義がより伝わると思う。

教員それぞれが得意なところから始めればいい

 教員が真剣に取り組み、おもしろいと思っていれば、それは学生に伝わるものだ。面倒くさいとか、おもしろくないと思っていれば、それも学生に伝わる。以前、勤務していた大学でカリキュラムを大幅に改定したことがあった。そのカリキュラムで学んだ学生が卒業前に言ってくれた。「多少の混乱があっても、先生たちが皆新しいことに取り組んで、一生懸命だった、それで満足でした」と。

 まず教員自身が得意なところ、おもしろいと思っているところから手をつけてはどうだろうか。血液内科での勤務経験があれば、血液をやってみる。爪の色、唇の色、結膜の色を観察させ、パルスオキシメータを使ってみる。その意味を一緒に考える。COVID-19を題材に、白血球の働きと免疫、ワクチンを説明することもできるだろう。消化器系の内科・外科で、膵頭部がんの患者の白い便を見たことがあれば、膵管、胆管とそれらの十二指腸への開口部(大十二指腸乳頭またはファーター乳頭)を中心とした詳しい構造を復習し、なぜ便が白くなるのかを考えさせる。膵頭・膵尾という用語も、すんなり理解できるだろう。

おわりに

 身体はおもしろい。人間は本当に良くできた身体を持っている。それを伝えられたならば、学生にとって、おもしろくて使える知識になるだろう。やったけど覚えてないではなく、私は身体に詳しいと胸を張って言える看護師がたくさんになることを期待している。

 
引用・参考文献
1) 後藤桂子,菱沼典子,松谷美和子ほか:5~6歳児用「からだの絵本」に対する市民からの評価.聖路加看護学会誌12(2):73-79, 2008
2) 菱沼典子:看護学への招待, p.86, ライフサポート社, 2015
3) 前掲2), p.86-88
4) 前掲2), p.21-29
5) 菱沼典子:看護形態機能学;生活行動からみるからだ, 第4版, 日本看護協会出版会, 2021
6) 菱沼典子:看護につなげる形態機能学, 第2版, メヂカルフレンド社, 2019
7) 菱沼典子:図解見えない体, ライフサポート社, 2018
8) 菱沼典子:看護形態機能学ワークブック;体験して考えるからだのいとなみ, 日本看護協会出版会, 2022

菱沼 典子

NPO法人からだフシギ 理事長

ひしぬま・みちこ/聖路加看護大学衛生看護学部(現 聖路加国際大学看護学部)卒業後、天理よろづ相談所病院ICUに看護師として勤務。その後、聖路加看護大学(当時)に勤め、聖路加国際大学教授、三重県立看護大学学長などを歴任。2017年4月より聖路加国際大学名誉教授。筑波大学大学院医科学研究科修了(修士〔医科学〕)。博士(看護学)(日本赤十字看護大学)。日本学術会議連携会員。基礎教育のかたわらで、誰もが身体の知識を持つ社会をめざし、NPO法人「からだフシギ」(https://karada-kenkyu.jimdofree.com/)を立ち上げ、2014年6月より同法人理事長を務める。趣味は小説を読むこと。

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