前回は、東邦大学健康科学部前学部長の臼井教授より、同学部看護学科(以下、本学)のトランスレーショナル教育について概説いたしました。いよいよ今回から5回に分けて、本学の「クリティカルケア看護と在宅看護のトランスレーショナル教育」の具体についてご紹介させていただきます。
今回は本学のクリティカルケア看護学教育、次回は在宅看護学教育についてそれぞれ特色を説明し、その後3回かけて教育・研究におけるトランスレーションをご紹介します。それでは、本学のクリティカルケア看護学教育について、どこを目指し、どんな工夫をしながら教育活動を展開しているのかお伝えしていきます。
看護基礎教育の素材の宝庫としてのクリティカルケア領域
本学は、3年次秋学期に附属病院ICUで生命維持装置の装着を含めた高度侵襲下にある患者を受け持ち看護実践するクリティカルケア看護学実習を必修科目に据えています。選択科目にせず全員が履修するカリキュラムにしているのは、クリティカルケア看護学を教えることを目的とせず、クリティカルケアを通して看護の本質と看護実践の価値を実感することに重きを置いているからです。クリティカルケア領域が看護基礎教育に適していると考える理由をいくつかあげます。
看護ケアの価値の大きさを目の当たりにする
初めてICUを訪れる学生はたいてい、多くのチューブや点滴ライン、人工呼吸器や補助循環装置をつけた患者がオープンスペースに並んでいる光景に圧倒され、時には泣き出してしまう学生もいます。それでも患者を受け持ち、系統的アセスメントを行って、それまで講義で学んだ解剖生理、疾病・治療、看護理論などの知識をフル活用して作成した関連図を基に看護上の問題を抽出します。そして、看護計画を立てケアを実践する中で、看護の本質と看護実践の価値に触れるのです。以下に、本学の学生がクリティカル看護学実習を通して気づきを得た事例をいくつかご紹介します。
浅い鎮静中の患者を受け持った学生の事例
学生は臨地実習指導者の助けを得ながら、人工呼吸器装着患者の端坐位や離床の介助をしたり、清潔ケアや足浴などのコンフォートケアを実施します。ある学生は、離床に伴う循環負荷を慎重にモニターしながら、浅い鎮静中の人工呼吸器装着患者に、端坐位で足浴を実施しました。学生が患者に感想を聞くと、筆談で「いきてる」と書いたそうです。「気持ちいい」「ありがとう」などの感想を予想していた学生は想定外の反応を見て、重症患者の足底を地につけ、湯に浴し刺激を与えることが、きっと夢か現実かわからない世界で療養しているのかもしれない患者の、確かに生きている実感を引き出したのではないかと考察しました。
患者の思いをふまえたリハビリを考案した学生の事例
一人の患者に連日かかわれるのは学生の特権であり、患者の背景を考慮してさまざまにケアの工夫をします。ある学生は、現役理容師の患者のために、ハサミの動作を用いた指のリハビリを理学療法士と相談しながら考案しました。一生懸命に手指のリハビリをする患者を見た学生は、今を乗り越えて理容師として復帰したいという患者の願い・期待を意識したリハビリの大切さを実感しました。
意思疎通に困難が生じた患者を受け持った学生の事例
気管挿管のために発声できずコミュニケーションが取りづらいという状況は、ICU患者によく生じる特徴です。筆談や読唇の代替手段も、筋力低下や四肢浮腫、鎮静や認知障害のために、相手に訴えを理解させるには至らず、疲れてあきらめてしまう患者も多いです。
ある学生は、限られた面会時間内では患者と家族が意思疎通できていないことに着目し、家族の面会に先がけて、受け持ち患者である男性が家族に伝えたいことを聴取し、面会時に患者が言いたいことを効果的に家族に伝えられるオリジナルのコミュニケーションボード(図1)を作りました。娘が患者である父親を心配するあまり勉強が手につかなくなっていることを妻から聞いた患者の「娘を励ましたい」という思いが、コミュニケーションボードによって娘に伝わりました。娘はこんな状況であっても自分を心配している患者の思いを知り、「父親に心配をかけたくない」と勉強に励むことができるようになったと後日家族から聞いた学生は、たった一枚のボードが可能にした患者とその大切な人との意思疎通の持つ力の大きさを実感しました。
生活リズムが整わない患者を受け持った学生の事例
あまりに非日常的な環境ゆえ、時間や場所の感覚がなくなっている患者もいます。ある学生は、せん妄になりかけている患者のために日めくりカレンダー(図2)を作りました。このカレンダーは、リハビリにもなるように、手指でめくるという動作、天気を確認するために窓の外を見るという動作が求められる工夫がされていました。学生は、カレンダーをめくって、今日の天気と日付を確認することが朝一番の行動となったことで、患者の生活リズムが整い、認知の刺激になったのではないかと考察しました。また、面会に来た家族がベッドサイドのカレンダーを見て、医療機器だらけの治療環境の中でも患者の「生活」が整えられているのを知り安心して帰ったと聞き、家族のケアにもつながったと振り返りました。
これらは一例ですが、学生はこうしたかかわりを経て、心身の危機状態への医療が提供されている場に「日常」を取り入れることを可能にする観察力と注意深い実践は看護の独自性であること、そして、ひとつの看護ケアが持つ多側面の効果を感じて実習を終了します。看護計画の評価に留まらず、行った看護の意味と価値を言語化する過程は、看護専門職としてのキャリア形成につながっていると考えます。
臨床の状況の中で観察・推論・判断・実践のループが常時求められる
ICU患者への看護実践では、推論に基づく意図的な観察がマストになります。患者の状態は刻々と変化し、刺激に脆弱であるために必要なケアが実施できなかったり、または不注意なケアが提供されれば、看護が侵襲となり回復を阻害します。情報収集と医療提供が同時並行で行われるクリティカルケアの現場では、限られた情報から既習の知識をフル活用して、推論しながら意図的な観察と情報収集を続ける必要があります。
これは、それまで学生が経験してきた、十分な情報が記載されたペーパーペイシェントでの看護展開と全く異なります。最初は「情報が少なくて展開できない」と訴える学生がいますが、たとえば「抗凝固剤を常用している中年期の患者が脳出血を起こし、開頭手術してICUに入室」という一文の情報から、これまで学んだ知識を活用すれば「術後再出血のリスク」や「脳損傷による社会的役割の喪失リスク」を予測することができ、さらにその問題を悪化させる成因をさまざまな観点から整理すれば、その人に合った看護計画立案につなげられることを学びます。こうした過程を通して、学生は、推論に基づく意図的な情報収集を学びます。
2年生の基礎看護学実習では、学生はゆっくり時間をかけて端から端まで順に情報収集し、それからアセスメントします。そのように学んできた彼らが、今必要な情報は何か、何のためにその情報が必要か、この状態を放置するとどんなリスクがあるか、今最も優先される看護は何か、とより実践的な思考過程に至るには、常に観察・推論・判断・実践が求められるリアルな現場での思考過程の学びが有効と考えます。
多職種連携の中で「看護職が何をする人か」知ることができる
クリティカルケア領域は集学的治療の場であり、常にチーム医療があります。多職種チームディスカッションによって問題解決への糸口が見つかる様子を見て、学生は専門職連携の意義を実感します。さらに、単に連携するだけでなく、チームを構成する一職種としての看護師の役割にも気づきます。たとえば鎮静コントロールや人工呼吸器離脱・離床などの場面において、職種間の情報の齟齬を修正・補完したり、継続して観察しているからこそわかる患者の変化を医療チームに伝え、より状況に合致した治療やリハビリを導く様子を見ます。また、医師に患者の訴えを代弁し治療に反映させたり、呼吸ケアによって無気肺が改善されていく様子から、看護ケアが持つ治療効果を目の当たりにします。こうした経験を通して、看護職というのは何をする人なのか、つまり、看護職の専門性と独自性を考える機会になります。
思考過程のトレーニングに焦点を当てた授業展開
以上の理由から、クリティカルケア領域で行う臨地実習は、看護の本質を学ぶ上で有用と考えていますが、準備教育なく行えば、患者を危険にさらしたり、学生に看護実践の恐怖や無力感を抱かせてしまうかもしれません。本学では、3年次春学期にクリティカルケアの現場をイメージさせる講義「周手術期看護・急性重症患者看護」(図3)を行い、そのあとに、状況に合わせて既習の知識を活用する思考過程のトレーニング「看護の基本技術6(急性期看護技術、図4)を技術演習に盛り込み、秋学期の実習「臨床看護学実習Ⅲ(クリティカルケア看護学実習、図5)」に突入します。
これらの段階的な教育では一貫して、悪化予防および回復促進のための観察・推論・判断・実践の思考過程を学びます。基礎教育が臨床現場からかけ離れたものにならないよう、講義も演習もシミュレーションベースドで行います。臨床実践をイメージしながら思考過程をトレーニングできるよう、以下の3つのことに配慮しています。
疾病・治療・看護理論の知識を「どのように使うか」に重きを置く
クリティカルケア領域に限りませんが、病態の理解はことさら重要になります。学生は1年次から、医師を講師として解剖生理や疾病・治療の講義を受講していますが、大抵の学生は知識の定着に自信がない状態で3年生になります。これらの病態生理や疾患の知識を看護に使えるように関連づける科目が3年次春学期講義科目の「周術期看護・急性重症患者看護」です。
この講義でたとえば、侵襲に対する生体反応としての神経内分泌反応やサイトカイン誘導反応を、私たちが観察する症状まで関連づけ、看護ケアの効果の根拠と結びつけると、学生からは、難しいけれど面白いという声が挙がります。呼吸障害、循環障害、中枢神経障害、肝・腎・凝固系機能障害の各論についても、各コマの冒頭で看護に求められる解剖生理と病態の知識について再確認し、看護の根拠の説明に使用します。
看護理論も同様で、学生は頭で理解していた看護理論の活用可能性を、3年次秋学期科目の「臨床看護学実習Ⅲ」で実感します。心身ともに危機状態にあるICU患者の全体像を捉えることは学生にとって難しく、看護計画立案時には自信のなさを訴えます。そこで教員や臨地実習指導者は、思考の後ろ盾として、既習の看護理論、たとえばニード論、危機理論やストレスコーピング理論を用いて、目の前の状況を補足説明します。こうした過程で学生は、状況の中での理論を活用する方法を学び、看護理論の存在意義を実感することになります。
知識を活用した経験を、実践を通して得ることによって、4日間のICU実習の最終日に行うまとめでは、自分が行った看護の意味をさまざまな観点で考察できるようになります。
悪化・回復の「ストーリー性」を意識させ予測可能性を実感させる
推論・臨床判断のトレーニングの基盤として、講義・演習・実習では「ストーリー性」を意識させることを強化しています。侵襲への生体反応もちろんのこと、病態の悪化や回復も看護の効果も、事象に先立つ成因があって、事象の先には影響があるという「ストーリー」があります。なぜこの症状や問題が生じているのか、この症状や問題を放置すれば何が起こるのか、を言語化したうえで看護方針を導きます。こうした思考のステップで状況を考えるトレーニングを繰り返すことによって、学生に「悪化や回復を自分でも予測できる」と思ってもらえることを狙っています。
元の生活を意識したクリティカルケア看護にこだわる
クリティカルケア看護に興味を持つ学生は、救命医療の尊さや救急看護への憧れを持っていることが多いです。しかし、今回の企画の趣旨となっている「クリティカルケア看護と在宅看護のトランスレーショナル教育」を本学部で推進している背景には、看護基礎教育でこそ、住み慣れたコミュニティの中で対象が生活している姿を想像しながら医療を考えられる医療職を育成する必要があると痛感しているということが挙げられます。
クリティカルケア領域では、救命後患者の長引く心身・認知の機能低下、QOLの低さへの対策に光が当てられています。一方で、患者のケアは集中治療中であればICU看護師、退室したら一般病棟看護師、退院したら外来看護師、在宅看護が必要になれば訪問看護師、とリレー形式で引き継がれます。このような、患者の回復過程や療養場所の移行で生じる「溝」によって、回復の連続が途絶えないようにするためには、患者の救命から自宅での生活までの道のりを想像でき、サポートするノウハウを持った看護職が求められます。そのための基盤教育として、本学ではクリティカルケア看護と在宅看護のトランスレーショナル教育を推進しています。
おわりに
今回は、本学の成人看護学の中でもクリティカルケア看護学の教育内容と目指しているところをご紹介しました。次回は、在宅看護学教育についてご紹介します。両者の目指すところをお伝えした後、いよいよクリティカルケア看護と在宅看護のトランスレーショナル教育についてご紹介させていただきますので、ご期待ください。