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第5回:培ってきた看護観は教育観にも通ずると知ったこと

第5回:培ってきた看護観は教育観にも通ずると知ったこと

2022.04.15鈴木 敦子(宮城大学看護学群成人看護学領域 講師)

“思いがけなかった”看護教員の道

 実のところ、看護教員になるつもりは全くなかった。教員になったきっかけは看護学生時代の恩師に「大学院に進みたい」と話したことだが、それは臨床勤務を経て看護学をより深く学びたくなったための相談だった。「看護教員になってみてはどうか」という恩師からの思いがけない問いかけに、少なからぬ迷いが生じた。だが、学生に看護を教える経験を通して、自身の看護についても見つめ直すことができるかもしれない、と考え、看護基礎教育の道に進むことを決めた。当時はまだ若く、現場に戻ろうと思えばいつでも戻れるとも思っていた。

 教員として入職してすぐに臨地実習が始まったが、気分が晴れない毎日が続いた。学生に看護を教えるたび、「自分は選ぶ道を間違えてしまったのではないか」という思いが渦巻いていた。当時の私は自分の考え方や看護観を無意識のうちに顕わにしてしまっており、それが結果として学生が自ら学び取り考えるきっかけを失わせてしまっているのではないか、と憂慮していた。“自分がどう考えるか”ではなく“学生自身がどう考えるか”を大切にし、彼らの思考を引き出さなければならないと思った。しかし、どうにもうまくいかない。

 「学生への指導やかかわりを通して自分なりの看護を再考したい」とは考えていたが、自分が身を置くのはあくまで看護“教育”の場だ。学生がどのように状況を捉え、看護を行っていくのか考えるための手助けをし、導くことを第一に考えなければならない。ただでさえ成人看護学領域は受け持つ診療科が多岐にわたる。自分の臨床経験がない疾患や治療に直面し、経験不足を痛感しては学び直しに時間を使う時だってある。それなのに、看護師として積み重ねてきたものとは全く違う教育力までも一から積み上げなければならないことを痛感した。厳しい現実に、焦りを覚えた。

教育の良さを見出すも、臨床への復帰が頭をよぎる

 もちろん落ち込んでばかりではいられなかった。学生たちは看護職を目指して学びに来ており、自分は彼らを教える立場にいる。自身の胸中にある「道を間違えた」という後悔は、学生には全く関係がない。今の自分は宮城大学の教員であり、看護師ではないと自身に言い聞かせながら、懸命に学生への指導を続けた。やるからには、中途半端な状態で投げ出さず責任をしっかり果たしたかった。

 数年が経ち、教育に慣れはじると、次第に視野も広くなっていった。例えば、学生は十把一絡げにできるものではないと知った。へこたれずに物事をポジティブに捉えることのできる子、論理的に検討し言語化できる子、感受性が豊かで独自の視点を持っている子……。看護職を目指す学生にも本当に色々なタイプがおり、それぞれ違う個性や強みを持っている。背景の違いによっても学びは大きく異なるし、一見静かで自己表現をしない子であっても、自分なりに懸命に患者の気持ちを感じ取り、なんとか手助けしたいと考えていることも分かった。学生の様子を目の当たりにし、彼らと一緒に看護を考えていける教育者の仕事を「悪くないな」と感じられるようにもなっていった。

 それでも前向きな気持ちになれることもあれば、そうはいかないこともあった。色々な強みを持つ学生がいる反面、患者の思いをうまく汲み取れなかったり、丁寧に説明しても理解が得られなかったりする学生、自身で勉強している様子があまり見られない学生にも出会った。また、大学組織にいるからには、研究者として博士号の取得も目指さなければならない。看護教育と研究の両立が自分に務まるとは思えなかった。臨床現場への復帰が何度も頭をよぎり始めた。看護教員となって6年目を迎えても、看護教員を続けるべきか悩むことがたびたびあった。

「看護と教育は似ている」の言葉に

 苦悩を自分だけでは抱えきれず、上司に自分の思いを伝えた。「教員を続けていくことが難しいかもしれない」とこぼしたのに、先生は私の進退については何も語らなかった。ただ朗らかな笑顔で「あなたは教育に向いている、それは看護が好きだからよ。看護が好きな教員から看護学を学ぶことは、学生にとってとても幸せなこと。看護と教育は似ているのよ」とおっしゃった。入職時にもかけられた言葉だったことを思い出した。当時はさほど意識していなかったが、悩んでいる時に改めて聴くと胸に響くものがあった。

 臨床時代の自分は、とにかく「ケアを受ける人が自分らしく生きられるように」との気持ちが強い看護師だった。患者の力を少しでも維持し向上できるよう援助したいと意気込んでいた。だが看護教員に転身し、臨床時代と求められる力が変わってしまったことに戸惑いを感じてから、私は「看護教育は臨床とは違う、看護師時代のやり方とは変えなければ」という焦燥感に苛まれるようになっていた。だからこそ、「これまで養ってきた自分自身の看護観を大切にしながら看護教育をしてもよい、看護観を教育に反映させてよい」と言われているような気がして勇気づけられたのだ。

 看護と教育は似ている。自分が大切にしてきた看護観は、教育観においても同じように大切なことである。先生の言葉を受けてそう思えるようになってからは、次第に気持ちも変化していった。
 まず、看護職としてのポリシーを通して、自分の教育観を明らかにできた。教員としての自信のなさゆえに “教育について思うところ”に過ぎなかったものが、はっきりと、「患者の力や強みを捉えながら看護を提供できる看護師を育てたい」、「看護教育では、学生の課題だけでなく、個々の力や強みにも着目しながら育てたい」という“教育観”に形を変えたのだ。
 教育観は自分の軸となり、大きな自信をもたらした。迷ったり悩んだりしても、自身の教育観に立ち返り「自分はどんな看護師を育てたいのか?」と問いかけることで、ぶれずに進み続けられるようになった。

積み重ねたものが今の自分をつくる

 2022年2月、看護学博士号審査合格の知らせを受けた。かつて経験した分岐点において先生方の言葉に後押しを受け、前へと進むことができたからこそ、看護教育者として、また研究者として、いま再び私は分岐点に立っている。教育と研究の両立が不安だったり、自分は学生とかかわってもよい存在なのだろうか、求められている看護教育者像からはほど遠いのではないかと自問自答したりもした。しかし、悩みや葛藤も含めて全ての経験が私の看護教育につながっているのだと思うと、これまで積み重ねたものがどれもかけがえのないものに感じられる。そして、学生や患者、病院の方々、同僚・上司の先生方から教えられ、育てられてきたことへの心からの感謝が湧き上がる。
 これからも、育んできた看護観と教育観を大切にしつつ、様々な方から気付きを頂いて、学生と共に成長できる看護教員であり続けたい。

 

鈴木 敦子

宮城大学看護学群成人看護学領域 講師

すずき・あつこ/宮城大学看護学部卒業後、宮城厚生協会坂総合病院(消化器内科・糖代謝科・緩和ケア病棟)に看護師として7年間勤務。宮城大学看護学部助手、助教を経て、2018年より現職。2014年宮城大学大学院看護学研究科修士課程修了。2020年宮城大学大学院博士後期課程単位取得満期退学、2022年博士号(看護学)取得。研究テーマは乳がん患者の治療中の就労に関する研究。趣味は家族とのドライブ。

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