看護教育のための情報サイト NurSHARE つながる・はじまる・ひろがる

第16回 日本慢性看護学会学術集会/生~死によりそう慢性看護 ― Toward a meaningful life

第16回 日本慢性看護学会学術集会/生~死によりそう慢性看護 ― Toward a meaningful life

2022.10.18NurSHARE編集部

 2022年8月20~21日に、日本慢性看護学会(本庄恵子理事長、日本赤十字看護大学)の第16回学術集会(谷本真理子会長、東京医療保健大学)が東京都千代田区の一橋講堂にて開催された。感染対策のため人数制限はあるものの3年ぶりとなった現地開催に、オンライン開催を合わせたハイブリッド形式で行われた。大会テーマを「生死によりそう慢性看護 ― Toward a meaningful life」とし、さまざまなプログラムにおいて、慢性疾患を有する患者の長い療養経過をいかに援助し、そして最期を迎えるその人をいかに支えるかという、看護のあり方が活発に論じられた。

 主な演題は以下の通り。この中から本レポートでは、「会長講演」および「基調講演」について紹介する。

会長講演
「生死によりそう慢性看護 ― Toward a meaningful life」
演者:谷本 真理子(東京医療保健大学)
座長:米田 昭子(山梨県立大学)

基調講演
「限りあるいのちを生きる慢性病者に寄り添う看護職のまなざし:哲学者からの応答」
演者:原 哲也(東京女子大学)
座長:谷本 真理子(東京医療保健大学)

招聘講演
「The Experience of Chronic Illness: State of the Science Around Nursing Care Needs」
演者:Dr. Sally Thorne(University of British Columbia)

シンポジウム1
「死を見据えながら生きることを支えるケア:病みの軌跡における下降期の観点からの学際的アプローチ」
演者:藤沼 康樹(生協浮間診療所/医療福祉生協連家庭医療学開発センター)、仲村 直子(神戸市立医療センター中央市民病院)、磯野 真穂(東京外国語大学)
座長:天野 薫(聖隷クリストファー大学)、長瀬 雅子(順天堂大学)

シンポジウム2
「慢性疾患患者のアドバンスケアプランニングの実装:現場での取り組みと課題」
演者:西川 満則(国立長寿研究医療センター)、藤井 利江(兵庫医科大学病院)、山本 弥生(訪問看護ステーションハートパークはびきの)、竹川 幸恵(大阪はびきの医療センター)
座長:下村 晃子(松蔭大学)、坂井 志麻(杏林大学)

※座長・演者ともに敬称略

 

会長講演「生~死によりそう慢性看護 ― Toward a meaningful life」

 谷本会長はまず、大会テーマでもある「生死によりそう慢性看護 ― Toward a meaningful life」の意味を説明した。生と死は連続する期間であり、人は人生の最期のその時まで生きるのだという。また「よりそう」とは、「人に寄り添う」ことと、「その人のストーリーに沿う」という二つの意味が込められていると語った。
 自身が新人看護師だったころ、ある末期のがん患者が、身体がつらい中でも看護師の助けを求めず何でも自身でやろうとしていて、不思議に思っていたが、後からそれは最期まで自分の力で生きようとするその人のセルフケアであったこと、そのセルフケアにはその人にとって大きな意味があったことに気づいた経験があると述べた。
 「慢性疾患患者の場合、自己管理できているから大丈夫、と思いがちだが、患者は不安が高い人ほど管理しているということを忘れてはいけない。慢性疾患の下降期を生きる人のセルフケアの意味に着目し、その人がありたい方向へと支援すること、支援する存在を示す看護が重要である」と述べた。そして、「たとえば『お部屋に入っていいですか?』と尋ねたり、これから実施する行為について『○○をしていいですか?』と確認したり、その人の思いを大事にした看護を積み重ねていくことが、人生の最期までを生きるその人の存在を尊重するということになるのではないか。そして患者は思いを語るようになる。その時は、話をそらさずに聴きたい」と締めくくった。

大会長の谷本氏

基調講演「限りあるいのちを生きる慢性病者に寄り添う看護職のまなざし:哲学者からの応答」

 演者の原哲也氏は、東京大学や立命館大学で、そして現在は東京女子大学で哲学の研究・教育に携わっているが、看護師に講義を行った経験から、看護やケアを現象学から捉える試みを行っているという。本講演では、慢性看護の臨床実践について現象学の視点から述べた。

現象学とは

 そもそも現象学とは、ある一つの出来事が、人によって異なった意味合いで経験されること(現象)に注目し、そうした意味経験(意味現象)の成り立ちを明らかにしようとする哲学であると原氏は言う。「経験の意味はその都度異なりうる。人によっても、時と場合によっても変わるものである。すなわち『慢性疾患』という経験も、その人によって意味が異なる。たとえば、同じICUの写真から、看護師はそこで使用される機器から患者の状態まで分かるが、一般の人にはそこは病院である、としか分からなかったりする。」
 原氏によると、ベナー(Patricia Benner)は、患者は「疾患」を、意味を帯びた「病い」として経験すると論じているという。「diseaseは細胞、組織、器官レベルの失調の表れであり、そしてillnessは能力の喪失、機能不全をめぐる人間的経験、と分けて捉えている。「病い」は意味経験である。現象学という哲学は、この「病い」という意味経験の成り立ちを明らかにすることができる」と話した。

ユーモアを交えて語る原氏

慢性疾患看護専門看護師の語り

 そして原氏は、自らが行った「慢性疾患看護とは何か」と尋ねるインタビューでの、3人の慢性疾患看護専門看護師の語りを次のように紹介した。

慢性疾患は「治らない。予測不可能な“不確かさ”がある。アップダウンを繰り返し、ゆるやかに悪くなっていく」

「(がんのように)病と闘うというイメージとは異なる。うまく付き合わなければいけない。自身の一部であり、個性であり、自分のなかから切り離すことができない」

「(予測不可能な不確かさはあるけれど)患者さんがその都度身体で感じる経験知は間違っていない」

「(予測不可能な不確かさのなかで)その都度ベターを考えていくのが慢性看護。一人では見出せないから、看護師が一緒に見出していく」

「日ごろから患者の価値観を聴くことも大事。太く短く生きたいのか、つらくても長くなのか。繰り返し聴く。病状が変化したタイミング、とくに悪化後に回復してきたタイミングが聴きやすい」

「患者の語りを聴く。患者が何を大事にしているか、積み上げていく。本人だって分からないその人の人生観や家族の考え方、その人の生きてきた道を聴く。無いものの形を有る形にしていく」

「患者さんの話を聴きながらお互いに探っていく。そして、今はここかな、だけどいずれ変わっていくかもしれないな、ということも共有する」

「取り切れない苦痛、治らない病気を抱えた患者さんのその時その時の心地よさを大事にする。だから心地よさ(コンフォート)を提供できる看護技術も大事。注射の下手な看護師に患者は人生を語らない」

「この人がいると安心、居心地がいい、的確にやってくれる、と思われることが大事」

「生きづらさを受け止め、ほぐす。日々コントロールしながら綱渡りしている辛い気持ちに寄り添う」

「看護師は“スナックのママ”でありたい。患者がふらっと来て、話をしていく、それを聴く。いつでも間口が開いている、これを意図して行う。疾患を理解して、そうか、そうか、と受け入れてくれる人がいることが慢性疾患の患者さんにはとても大事だから」

「看護の“あるべき”を押し付けず、患者の大事にしていることを受け止める」

​​​​​「本人の価値観で“生きている”とかけ離れてしまっていたら、それは本当の“生きている”ではない」

「“向き合う”は正面であり、プレッシャーとなる。“寄り添う”は横。隣に座り、答えが出なくてもよい、一緒に考える。一人ぼっちにさせない。一人ぼっちと思わせない。間口を開けておく」

「ケアの大事なことは、自分が大切に扱われていると感じること。たとえばカーテンの開け閉めをていねいにすること、電子カルテに打ち込みながら話を聴いたりしないことも大事」

 

慢性看護に携わる看護師への提言:well-being(安らぎ)

 原氏はこれらの語りを現象学で捉え、その解釈を述べた。
 「これらの語りからwell-being(安らぎ)をもたらす看護が必要とされていることが分かる。患者はそれぞれ大事にしていることがあり、患者自身も周囲から大事にされていることを感じることができるような看護が求められるのだろう。たとえ疾患があっても、たとえ終末期であっても、その人の大事にしていることがなんとか実現できて、そのことにその人が意味を感じられる安らいだ状態(well-being)こそが望ましいのではないだろうか」と投げかけた。そのうえで、「生きる意味とか人生の意味ではなく、その時その時の心地よさを提供してほしい。それにより信頼関係が生まれる。自分がていねいに扱われていると患者が感じる看護を行うこと、寄り添って欲しいと思われる看護師であること、言わばスナックのママのようにいつでも間口を開けておくことが大切である。ベストが分からなくてもその時その時でベターな答えを患者と一緒に見出す。患者を一人ぼっちと思わせないようそばにいて寄り添う。そういったことが看護師に求められているのではないか」と提言した。

 座長を務めた谷本会長は、原氏の講演を受けて自身の看護を振り返り、「患者を“そのまま”受け止めるしかない。患者のことを分からないからこそ、分からないまま関心を持ち続けたい。若いころのあの時できなかった、分からなかったという不全感がその後の自身の原動力となっている」と応答した。

* * *

 「スナックのママ」というユニークかつ的確な表現は、聴講者の心に強く残ったようだ。思うようにはいかない慢性疾患を有する患者の看護においては、ユーモアを忘れず、心地よい看護技術を提供し、「いつでもどうぞ、いらっしゃい」と受け止める、そんな看護が求められていることを改めて気づかされたのだろう。ACPやエンドオブライフケアは決して特別なものではなく、日々のていねいな看護の積み重ねの延長線上にあることが再認識された基調講演であった。

 

 なお、次回学術集会(第17回日本慢性看護学会学術集会)は2023年9月2~3日に神奈川県のステーションコンファレンス川崎にて、米田昭子氏(山梨県立大学看護学部 教授)を会長として開催予定である。

フリーイラスト

登録可能数の上限を超えたため、お気に入りを登録できません。
他のコンテンツのお気に入りを解除した後、再度お試しください。