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第11回:結核にまつわるエトセトラ

第11回:結核にまつわるエトセトラ

2024.01.12中野 隆史(大阪医科薬科大学医学部 教授)

 前回の痘瘡(天然痘)と同様、エジプトのミイラには背骨の結核である「脊椎カリエス」がみられることから、結核も古代より人類を苦しめた感染症であったと思われています。さらに、もっと古い紀元前7000年頃のハイデルベルグ人の骨に結核の病巣が見つかっていますので、実は結核は、痘瘡よりも古くから人類を苦しめていたのかもしれません。
 近年の結核はいわゆる初感染での結核=「一次結核」だけではなく、潜伏している結核菌が何らかの免疫不全状態で活性化して発症する「二次結核」も少なくありません。その活性化の誘因として、後天性免疫不全症候群(AIDS)や、近年めざましい発展を遂げている免疫抑制療法、とくに自己免疫疾患である関節リウマチなどの治療があります。以前は「結核は若い人が罹る」というイメージがありましたが、現代では必ずしも正しくなく、わが国では60歳以上の発症が約7割を占めています。
 結核は国内外にいろいろなエピソードを残した感染症でもあります。今回は、結核についてお話ししましょう。

結核菌発見のきっかけは「夫婦げんか」?

 結核菌は第1回でも出てきたコッホ(Koch R)によって発見されています。当時、コッホは結核の原因菌を発見すべく患者の病理組織の標本を染色して顕微鏡で観察していたものの、普通の染色法では発見できませんでした。根を詰めて仕事をしている夫をみかねてコッホの妻が夫にコーヒーを入れてあげたのですが、そのときコーヒーカップを机上におくために、染色途中のプレパラートをどけて暖炉の上に置いたそうです。貴重な試料を熱い暖炉の上に置いたことにコッホは妻を叱りますが、妻だって「あなたのためにコーヒーを入れてあげたのに」と夫婦げんかが始まったとのこと。しかし、結果的に暖炉の上に置いたことが「加温染色」となって、結核菌が鮮やかに染色され発見につながった、というのが、私が医学生の時代、当時の微生物学の教授であった中井益代先生から授業中に聞いたお話でした。真偽のほどは明らかではありませんが…。さて、結核菌の発見は、妻の愛の賜物だったのか、はたまた夫婦げんかの末の産物だったのか…。
 結核菌はグラム染色などふつうの細菌染色法では染まりにくく、染色液を加温するくらい強力に染色しないと染まらないのですが、いったん染まるとアルコールや酸で洗っても脱色されなくなります。結核菌は抗酸菌(acid-fast bacilli)に属し、この「抗酸菌」という名称は、この「いったん染色されると酸で洗っても取れない」ということが由来になっています。

結核と芸術

 結核にまつわる芸術作品や逸話が多いのは、古くから現代に至るまでそれだけ多くの人が結核を患ってきたことの証左かもしれません。ショパン、ナポレオン2世、高杉晋作、沖田総司、陸奥宗光、国木田独歩、樋口一葉、滝廉太郎、石川啄木、正岡子規、堀辰雄  、梶井基次郎、JOY、箕輪はるか(ハリセンボン)・・・。彼らはみんな、結核に罹患した著名人です。
 2013年、スタジオジブリの映画「風立ちぬ」が公開されましたが、主人公の妻が喀血するシーンがトレーラー(予告編動画)にも描かれています。原作である小説の作者は堀辰雄で、彼本人も結核に罹患しています。 

[Tokyo International Film Festival(TIFF)originals:「風立ちぬ/THE WIND RISES」(2013)トレーラー,〔https://www.youtube.com/watch?v=PhHoCnRg1Yw〕(最終確認:2023年12月25日)
※再生ボタンを押すと、当該シーンを視聴することができます。

 正岡子規の本名は正岡常規(つねのり)、子規は俳号(俳人として名乗るペンネーム)で、子規とはホトトギスの漢字表記です。ホトトギスは、赤い口を開けて鳴く様子から「鳴いて血を吐くホトトギス」とたとえられ、結核患者の代名詞とされていました。正岡は結核にかかり喀血したことから、「子規」と名乗り俳句をつくるようになったそう。

不如帰』(徳冨蘆花著,岩波書店,1938年)
魔の山』(トーマス・マン(著)関泰祐・望月市恵(訳),岩波書店,1988年)

 時代劇では新撰組の沖田総司が血を吐きながら敵を斬っていく姿がしばしば描写されますね。沖田総司は結核のため24歳の若さで亡くなっています。このように、結核はとくに若者が亡くなる病気として「美化」されて描かれることがあります。
 私が大学生の時代、まだ教養課程があって選択科目を選ぶことができ、2回生のとき英語を選択したのですが、その授業でスーザン・ソンタグの『隠喩としての病い(みすず書房,1982)』を輪読しました。この本で取りあげられていた「病い」は結核と癌でしたが、本書でも「結核は文学作品ではしばしば美化して描かれる」とされているのが印象的でした。といいますか、恥ずかしながらそれしか覚えていないんです…。時間があったら読み返したいです。

『隠喩としての病い』(スーザン・ソンタグ(著)、富山太佳夫 (訳),みすず書房,1982年)
 

 不治の病から治療ができる病気へ

 18世紀から19世紀にイギリスでたくさんの死者を出した結核は、やがてヨーロッパ諸国やアメリカへ広まります。日本においても、とくに第二次世界大戦以前において国内の主要な死因となるほどの“不治の病”でした。しかし結核の治療薬として1943年、ワクスマンが放線菌から抗生物質ストレプトマイシンを発見し、それ以降、結核は治療ができる病気となっています。単剤での治療では容易に耐性菌が出現するため、現在の標準的な治療法はイソニアジド、リファンピシン、ピラジナミド、エタンブトールまたはストレプトマイシンの4剤併用を2か月間、ひきつづきイソニアジドとリファンピシンの2剤併用を4か月間処方するというものです。ですが近年、主要な治療薬であるリファンピシンとイソニアジドがともに無効である薬剤耐性結核菌MDR-TBがしばしば問題になっており、さらに第一選択薬がすべて効かない「超多剤耐性結核菌(XDR-TB)」もときに見られます。筆者の勤務する病院でも同菌による結核を1例、経験しています。
 しかし、明るい話もあるんです。MDR-TBに対して新薬が2剤、デラマニド(デルティバ®)とベダキリン(サチュロ®)が近年、相次いで承認されたことです。そのうちの1剤、デラマニド(図1)はわが国の製薬メーカーが開発したものであり、約50年ぶりに上市された新規結核薬であることは世界に誇れることだと思います。

図1 多剤耐性結核菌用抗菌薬「デラマニド」
2014年、約50年ぶりに新規に上市された抗結核薬である。
[大塚製薬ホームページ:デルティバ 製品ストーリー,〔https://www.otsuka.co.jp/two-core-businesses/stories/deltyba/〕(最終確認:2023年12月13日)より引用]
 

結核の予防ワクチンBCGとなつかしの「おハンコ注射」

 1927年、パスツール研究所のカルメット(Calmette A)とゲラン(Guerin C)が結核の予防ワクチンとしてBCG (bacilli du Calmet et Guérin)を開発しました。これはウシ型結核菌を継代培養して弱毒化したものです。わが国では、結核が死因の第一位だった時代もあったのですが(1940-50年頃)、BCGワクチンによる結核予防接種が1948年に法制化されて以降、現在にかけて順調に結核罹患率を減らしています。この成果の要因がBCGによるものか、あるいはたとえば栄養状態や衛生状態の改善など、別の要因があるのかは判然としません。BCGの効果について欧米では否定的で、事実欧米ではBCG接種をほとんど行っていません。むしろBCG接種によってツベルクリン反応が陽転してしまい、結核の診断に使えなくなる弊害の方が強いと考えているのでしょう。
 このように、成人の結核予防におけるBCGの効果については議論が分かれるところですが、乳児の結核性髄膜炎に対する予防効果は証明されているため、わが国では小学校1年時、中学1年時にツベルクリン反応検査を行って陰性のものにBCG接種をするという従来法を変更し、2003年より生後1年未満(標準的には5~8か月)の乳児にツベルクリン反応検査を行わずにBCCワクチンを接種することになりました。そのため最近のお子さんは原則全員、「おハンコ注射」の痕が肩に見られるはずです。また、BCGの結核予防以外の効果、とくに免疫賦活効果について長年検討されており、膀胱癌に対する免疫療法としての膀胱注入療法は既に薬事承認されています。
 


 ところで、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的流行時、欧米に比べてわが国では死亡率が低かったのですが、その理由として当時、山中伸弥教授は日本人には何らかの因子=「ファクターX」があると推測しておられました。一時期、BCG接種こそそのファクターXなのではないかと一部の研究者が言っていましたねぇ…。実際のところはどうなんでしょうか。

中野 隆史

大阪医科薬科大学医学部 教授

大阪医科大学(現・大阪医科薬科大学)医学部卒業後、同大学院医学研究科博士課程単位取得退学(博士(医学))。大学院時代にHarbor-UCLA Medical Centerに留学。同大学助手時代に国際協力事業団(現・同機構;JICA)フィリピンエイズ対策プロジェクト長期専門家として2年間マニラに滞在。同大学講師・助教授(准教授)を経て2018年4月より現職。医学教育センター長、大学安全対策室長、病院感染対策室などを兼任。日本感染症学会評議員、日本細菌学会関西支部支部長、大阪府医師会医学会運営委員なども勤める。主な編著書は『看護学テキストNiCE微生物学・感染症学』(南江堂)など。趣味は遠隔講義の準備(?)、中古カメラの収集など。

企画連載

とろろ先生の微生物・感染症のおはなし

微生物学・感染制御学の教員「とろろ先生」が、微生物や感染症について軽妙な語り口で綴ります。実際的なコラムや印象的なエピソード、明日使える豆知識などを通して、微生物や感染症の深い世界を覗いてみませんか。

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