臨床での学びを経て、看護教員の道へ
私は十数年間、脳神経外科看護に携わった。脳血管障害は、突然、その人と家族の生活を一変させる。患者は身体が思うように動かないことに加え、意思疎通が困難であることも少なくない。私は臨床の看護において、その人の思いをくみ取るということを大切にしていた。たとえ意識障害があっても、その人らしさを大切にしたかった。意思疎通が困難な患者さんの、言葉にならない、できない思いが何であるかを、常に考えるよう努めていた。実際に思いをくみ取ることができていたかどうかは患者さんにしかわからないが、少しでもできていたらと願う。
そんな私が教員になったのは“たまたま”と言ってよい。大学院修士課程を修了し、私は臨床の現場に戻るべく準備をしていた。当時は、日本において現在の診療看護師(NP)の教育がスタートした頃で、私もそのキャリアをスタートさせようとしていた。しかし、就職を検討していた施設で指導医になる予定だった医師が病気退職をされ、私の就職の話は流れたのである。そこで舞い込んできたのが、認定看護師養成課程の教員の話であった。教育の対象は“大人”であり、ベテランの看護師たちだ。そこでの教員経験を経て、私はひょんなことから看護学部の助教に着任した。これも縁と言うしかない。それまで社会人とかかわってきた私にとって、学部生との出会いは新鮮であった。彼らが Z 世代と呼ばれていることも認知していたが、みな素直で可愛く、なかなかのしっかり者なのである。そんな学生たちと深くかかわる機会は、やはり実習だ。
臨地実習に臨む学生を想う~反応の乏しい学生が教えてくれたこと
とある実習で、私と目も合わせない、声かけにも反応がいまひとつという学生の対応に苦慮した経験がある。
「患者さんと何を話したの?」「患者さんの表情はどうだった?」と問いかけても、答えたくないと言わんばかりにふてくされていた。記録の内容も浅かったので、口で聞いても反応が乏しいぶん、私はできるだけ丁寧に文字で伝えることにした。すると、態度は相変わらずであるものの、記録には患者さんに関する記述が増えていった。学生本人に気づかれないよう、患者さんと談笑する様子に聞き耳を立てたが、どうやら雰囲気は悪くない。やがて空欄が目立っていた記録用紙は、日を追うごとに埋まるようになっていった。私は対面指導が成立しないというモヤモヤを抱えながらも、このまま様子を見ることにした。
実習最終日に彼女と面談をしたのだが、人が変わったように私に向ける表情が和らぎ、こう言った。「極度の人見知りです。とにかく緊張していました」。患者さんや指導者に対しては、最大限の努力をして笑顔をつくっていたが、私とは話す余裕すらなかったという。実習が終わると、なんとも晴れやかな顔を見せてくれた。
私がかかわるのは、多くの学生にとって初めての実習となる基礎看護学分野である。ふと、認定看護師の教育課程のことを思い出した。ライセンスをもったベテラン看護師にとっても、実習というものは不安を感じ、“大人”だって励ましてほしい、褒めてほしい、支えてほしい、勇気づけてほしいものなのだ。社会経験の少ない学部生たちが臨地実習に臨むのは、どれほど不安で勇気がいることだろうか。
振り返ると、医療を学ぶ学生としてのあるべき態度にとらわれ、私は指示的だったかもしれない。私の問いかけは、彼女にとっては詰問だったのだろう。その日、休まずに実習に来たこと、病棟スタッフに挨拶ができたこと、患者さんと話せたこと、指導者に報告できたことを当たり前だと思ってはいけなかったと反省した。学生は、今日一日の実習に一生懸命なのだ。
ふてくされているように見えたのは、不安の現れだったのだろう。私は、臨床の現場では患者さんの思いをくみ取ろうと努力していたのだが、学生の思いをまったくくみ取れていなかったことに気づかされた。「個別性のある看護を」と学生には言いながら、私は学生の個別性をみることができていなかった。
コロナ禍を経験した学生を想う~学生と話したいという気持ちを大切に
2020年に新型コロナウイルス感染症が世界的に流行し、学生も教員もあらゆる制限の中で生活していた。当時私はオンライン授業や中止になった臨地実習をどうするかで試行錯誤していたと思う。感染対策を講じつつ、分散登校をするようになった頃、何人かの学生と久しぶりの雑談を楽しんだ。すると「オンライン授業で、一日中、画面を見続けていたら、涙が出てきた」と話す学生に、「私も」「私も」と数名が呼応した。そして、自分は患者さんと話せるのだろうか、実習に行けた学生と行けなかった学生との差が気になる等々の不安が次々と湧いて出た。その時ふと考えた。今、私は学生たちと話したいという気持ちから、学生のあふれる思いを聞くことができている。では、それまでの実習ではどうであったか。実習目標をクリアすることにとらわれていなかったか。指導をせねばと肩に力が入り、質問ばかりして、一緒に考えるということができていなかったように思う。
学生と同じ目線で話せた時間は楽しく、心地よかった。
おわりに
私は教育の現場に足を踏み入れる際、可能であれば大学院で高度実践看護師の養成にかかわりたいと考えていた。実は、その思いを少々引きずっていた。そのような中、コロナ禍で人とかかわれないことのつらさに直面し、今、私が大切にすべきことは何かを考えるようになった。学生は「看護師になって頑張りたい」「患者さんの役に立ちたい」と言う。いまどきの若者ではあるが、目標に向かってひたむきに努力していることは肌でわかる。今、私がかかわっている基礎看護学を学ぶ学生たちが、いつか高度実践を担う日が来るかもしれない。そんな期待をもって、学生一人ひとりとの出会いを大切に、成長する姿を見守りたいと思う。