本コラムは、みなさまの休日のおともにおすすめしたい映画作品をご紹介するミニ連載。笑って、泣けて、考えさせられて……医療に通ずるテーマや描写を含む作品を中心に、往年の名作から最新作まで、NurSHARE編集部の映画好き部員がお届けします。
※本文中で作品の重要な部分に触れている場合があります。
第10回『旅立つ息子へ』(ニル・ベルグマン監督/シャイ・アヴィヴィ主演,イスラエル・イタリア合作,2020)
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作品のあらすじ
自閉症スペクトラムの息子・ウリと二人暮らしをしている父・アハロン。人気グラフィックデザイナーとして活躍していたアハロンは、キャリアを捨てて妻のタマラとも別居し、息子と暮らしやすい田舎町に引っ越してきたのでした。一方のタマラはウリの将来を心配し、全寮制の特別支援施設にウリを入所させようと考えています。ウリが嫌がることを理由にアハロンは入所に難色を示しますが、アハロンの反対をよそに施設探しの話は進んでいきます。そのうえ仕事を辞めていて一定の収入がない彼は、裁判所に養育不適合と判断されてしまい、ついに施設への入所が決定します。
入所当日、ウリは施設に行くことを嫌がり、道中でパニックを起こして叫び出してしまいます。自分との別れを強く拒否する息子の姿を見て、アハロンは施設から逃げるため、ウリを連れて遠くへ行くことを決意しました。とはいえ、行く当てもない父子の逃避行は無謀なもので……
障害のある子どもを送り出せない父親
冒頭のとても穏やかな父子の生活は、まるでアハロンが目の前の現実と向き合えていないことを象徴しているようです。アハロンは、ウリが将来ひとりになることを見据えて施設を探すタマラに対しても「ウリは施設を嫌がっている」「自分のもとで幸せに暮らしている」と言い張ります。ウリをよく知らない職員にウリの世話をさせることに、アハロン自身が抵抗感を持っていたからです。ですから妻と話し合おうとも、施設についてウリに説明したり一緒に見学をしようともしません。ウリが入所に戸惑いパニックを起こしてしまったのには、信頼する父が施設について説明しなかったこと、それどころか父本人が施設への抵抗感を表したことも大きかったのでしょう。
アハロンのウリへの深い愛情は言うまでもありません。そのため、「他人が自身を犠牲にしてウリと過ごせるのか」と憤る彼の思いはよく分かります。しかし、タマラから「自分が寂しいからってせっかくの機会を無駄にするの?」と手痛い指摘を受けたように、感情の痛みを優先してウリの本質的な問題から目を背け続けていていいのでしょうか。
少しずつ成長していくウリの“親離れ”
そんなアハロンが一歩を踏み出すきっかけとなったのは、逃避行先でのウリの成長でした。たとえば親類や旧友と雑談ができたりだとか、「水を取ってくれ」と頼んできた見知らぬ隣の席の男性に水差しをすんなり渡してあげるだとか、その一つ一つは大きなものでなくとも、ウリにはできることが増えていたのです。そんな息子の姿を見つめるアハロンの瞳からは、寂しいような嬉しいような、複雑な感情が痛いほど伝わってきます。子どもの成長を感じて感慨深い気持ちを抱く父親の表情は、ウリを自分のもとに留めようと意固地になる姿よりもずっと魅力的に映りました。
作中ではあるダンスミュージックが印象的に使われます。父子並んで髭剃りをする時には仲の良い雰囲気を演出しますが、アハロンと福祉職員の面接中にウリが大音量でその楽曲を流した途端、「ウリが社会に適合できない」という不安を搔き立てました。その後、旅の最中に訪れた土地の遊園地でウリがいなくなり、アハロンは焦って探します。しかしウリは、父から離れたくさんの若者たちに混ざって、その曲が流れる会場でひとりダンスを楽しんでいました。父子ふたりだけの世界から厳しい社会を知り、やがて世の中に溶け込んでいくという、今後のウリが歩む道のりを暗示しているようです。
自閉症スペクトラムである息子と離れられないアハロンの姿が強い印象を残しますが、鑑賞していくと、本作のテーマは小さなエピソードの積み重ねを通して、父の想像を超えて成長していくウリの“親離れ”なのだと気づかされた作品でした。