本コラムは、みなさまの休日のおともにおすすめしたい映画作品をご紹介するミニ連載。笑って、泣けて、考えさせられて……医療に通ずるテーマや描写を含む作品を中心に、往年の名作から最新作まで、NurSHARE編集部の映画好き部員がお届けします。
※本文中で作品の重要な部分に触れている場合があります。
第14回『ケイコ 目を澄ませて』(三宅唱監督/岸井ゆきの主演,日本,2022)

作品のあらすじ
先天性の感音性難聴を有するケイコは、下町の小さなボクシングジムに所属し、ホテルの清掃の仕事をしながらプロボクサーとして日々鍛錬を続けています。デビュー戦と第2戦に勝利したケイコですが、試合を観に田舎から出てきた母親には「いつまでボクシングを続けるの?」と尋ねられてしまいます。母親がボクシングを辞めてほしいと願っていることに、ケイコは気づいたのでした。
別の日、ジムにスポーツ紙の記者がやってきます。ケイコについての取材でした。「ケイコは目がいいんですよ」と話すジムの会長は、彼女に才能や素質があるのかと尋ねられ、「才能はないが、人間としての器量がある」と答えます。
会長の答えを知ってか知らずか、ケイコの中にはボクシングを続けることに対しての迷いが生まれていました。休みたいと手紙を綴っても、会長に渡すことができません。そんな折、経営難や会長の健康を理由にジムの閉鎖が決まり……
ケイコのコミュニケーション
ろう者であるケイコにとって、ボクシングには人一倍の危険が伴います。レフェリーやセコンドの声も、ゴングも聞こえない彼女は、前所属のジムでは練習試合すらさせてもらえませんでした。さらに本作品の舞台はコロナ禍の東京で、マスクによって健聴者の人々とのやりとりが阻害されてしまいます。唇の動きを読むケイコは、マスクがあるとうまく会話ができないのです。加えて無愛想で笑うことが苦手なために、過去にはいじめられたこともありました。
それでもケイコの人柄を評価した会長は、自分のジムでケイコを受け入れ、コーチたちと共に指導にあたります。コーチたちは古いホワイトボードやジェスチャーでケイコとコミュニケーションを取り、まず自分がやってみせて指導します。会長はケイコを見つめ、唇の動きを読みやすいようゆっくりと語りかけ、時にはシャドーボクシングの手本を見せて彼女と心を交わします。ケイコのコミュニケーションには、見ることが欠かせないのです。
「目を澄ませる」ことができなくなると
会長は、ケイコの良さを「目がいい」と評しました。素直で率直、一心不乱にボクシングに打ち込み続け、聞こえないぶん会長やコーチの姿を目に焼き付けることで学んできた彼女への賛辞です。しかし、ボクシングという自分の根幹が脅かされたことで、ケイコは周囲のことに目を向けられなくなる、すなわち「目を澄ます」ことができなくなっていました。「悩みがあるなら話してみなよ」と促す弟に「話したって人はひとり」と言い切ります。会長やコーチ、母、弟やその恋人、応援してくれるろう者の同僚たち……。ケイコに寄り添う人々の存在やその大切さを、彼女は見落としつつあったように思います。
しかし、彼らは変わらずケイコに歩み寄り続けます。そんな人々とのあたたかな交流によって気持ちを固めたケイコは、病状が悪化して入院してしまった会長のため、最後の試合に向けてコーチとともに鍛錬を重ねます。しかしその試合で、ケイコは相手に足を踏まれて倒れたのを、パンチによるダウンだと判断されてしまいます。審判に見落とされたことでペースが狂ったケイコは負けてしまうのでした。
もういちど目を澄ませて
試合の後もケイコは清掃の仕事を続けています。ベッドメーキングができず困っている後輩を見つけた時には、かつて自身が会長たちからそうされたように、やってみせて指導します。ひとつの終着点を迎え、もう一度目を澄ませられるようになったケイコの表情が印象的でした。
ラストシーン、ランニング中のケイコに近づいてきたのは、最後の試合の対戦相手でした。仕事中にケイコを見かけたようです。ケイコもまた、彼女を見つけて挨拶を交わします。「じゃあ、また」と去っていく彼女の背に、ケイコは何を思うのでしょうか。「目を澄ませること」「見落とすこと」が描かれた本作において、ケイコが対戦相手の姿を見落とさなかったことには、大きな意味があるのかもしれないと感じました。