能登半島地震では多くの方が多重の喪失を経験しています。そして住民の皆さまの厳しい避難生活は続いています。そんな中の今年初めてのカピバラ連載。あけましておめでとうとはとても言えない心境ですが、2024年の干支である辰、すなわち龍の話を書こうかということを昨年末に編集の S さんと話していました(2023年のうさぎに引き続き)。龍のことをこんなに真剣に考えたり文献を読んだりしたのは初めてです。カピバラにとってチャレンジングなテーマですけど、予定どおり龍の話を書いてみたいと思います。
東洋の龍と西洋のドラゴン
世界中にある龍(竜)の物語ですが、大きく東洋の龍と西洋のドラゴンに分けられるようです。
東洋の龍は、いろんな動物のパーツからつくられた中国の龍と、蛇のコブラをモデルにしたインドのナーガとが、仏教を媒体として同一視され、雨を恵む水の神とされたといいます。日本には仏教が伝来した時に一緒にやって来たらしいです。これに対して西洋のドラゴンは、火山や洞窟を棲み処として、時に町に行っては住民に悪さをして、英雄や神々に退治される怪獣として扱われていました。つまり、東洋の龍は雨を恵み、稲などの食料を実らせる役割を引き受けてきましたけど、西洋のドラゴンは、ドラゴンそれ自体が雨を降らせるということではなく、英雄や神がドラゴンを倒すことによって、雨をもたらし、住民の安寧に貢献してきたのですね。
読者の皆さまなら、すでにおわかりと思いますが、東洋では、龍は厄災ももたらすが雨を降らせて豊作ももたらすため、人間は龍を敬い、お願いして聞き入れてもらう「神」として位置づけるという向き合い方です。水が豊富で稲作を行うことの多い東洋では、雨や水といった自然を敬い、自然との共生を目指したのでしょう。これに対し西洋ではドラゴンを倒す、すなわち自然をコントロールする英雄や神が雨を降らせるという構図です。このような世界観の西洋では雨や水を分析し管理するため、天文学や物理などの科学を発展させていったのでした。雨や水といった自然に向き合う東洋と西洋の姿勢の違いが、龍とドラゴンを似ているけど違うものにしたのでしょう。
しかし両方に共通していることとして、むかしむかしは洪水、渇水による飢饉など自然から人間が受ける影響は大きく、自然への怖れと敬いは現代の人たちが考えるよりもっともっと強かったため、龍という存在が生まれてきたのかなと思います。そして龍と対決する者、もしくは龍を鎮める者がその地域のリーダーとなったということなのかなとも思います。現代になってその土地の環境変動が出現してくると、西洋のドラゴンも、人間と仲良しの親しみ深いドラゴンとして物語の中に登場するようになります。たとえば『エルマーとりゅう』などです。管理する対象からコミュニケーションをとり共生するものに変化してきた側面もあるのではと思います。
日本の龍は地域密着型へと進化
中国と韓国では、龍は皇帝の象徴として扱われてきました。治水は皇帝の重要な役割であり、豊作に責任をもつものが皇帝という存在だったのかなと思います。韓流ドラマの時代劇を見ると、皇帝やその世子は龍のマークの付いたコスチュームに身を包み、龍は権威の象徴として扱われていますよね。基本的に日本の天皇も雨乞いの責任者としてみられていたんですけど、皇帝が龍である、龍が皇帝のアイコンであるというようなとらえ方はされなかったのですね。
日本ってモンスーン気候で水が潤沢なので、蛇がそこらへんにたくさんいて、その蛇たちは砂漠の蛇とは違い猛毒はもっていませんでした(沖縄のハブはまたちょっと例外ですが、沖縄には沖縄の龍をめぐる物語がありますよね)。蛇は里山にたくさんいて、脱皮して大きくなるので生命力の象徴とみなされ、死と再生をつかさどるものとして大切にされていました。カピバラは子どものころよく、蛇を大切にしなさいとか、言われてましたよ。
日本には古来、地元に居ついている蛇の神様への信仰と、伝来してきた龍が合体したので、その結果、日本中に地域密着型の多様な龍神様が生まれることになりました。例としてカピバラに縁の深い土地である千葉と八戸の龍神にまつわる話を紹介したいと思います。
千葉県印旛沼の龍伝説~自分の命と引き換えに雨を降らせた小さな龍
奈良に平城京がつくられて20年ほどたった731(天平3)年、春から日照り続きで、作物は実らず、人々は困窮していました。その時の天皇は、いろいろな神社仏閣に雨乞いの祈願をさせましたが効果がありませんでした。そんな時、龍女が一晩で建てた龍閣寺という龍神ゆかりの寺が、今の千葉県の印旛沼のあたり下総国埴生(しもうさのくに はにゅう)郡にあるらしいという情報を聞きつけ、さっそく龍閣寺に雨乞いの祈願を命じました。龍閣寺の釈命上人(しゃくめいしょうにん)は、弟子と共に経を読み、昼夜を問わずに祈り続けたそうです。とうとう祈願を終える結願(けちがん)の日、「私は印旛沼の主です。ありがたいお経のおかげで私のこの世の罪が消滅しました」と言ってきた老人がいたそうな。釈命上人は、「あなたは印旛沼の龍なんですね。だったら慈しみの雨を降らせて人々の苦悩を助けなさい」と答えました。上人、この龍に対してちょっと高飛車なのが気になるカピバラ。でもこの老人は、「私は小龍なので、大龍の許可がないと一粒の雨も降らすことはできないんですよね。でもこうやってありがたいお経を読んでもらって救われたのですから、頑張ってみます。もし、私が雨を降らせれば、この命は奪われこの身は3つに裂かれ、印旛沼のまわりに落ちると思います。そしたら頭は龍閣寺に、腹は印西の地蔵堂に、尾は匝瑳(そうさ)の大寺に納めて下さい。そして、どうか、私のために祈ってください」と言ったかと思うと、天に昇っていったとさ。龍の社会にも組織があり業務命令違反があるのかと、この小さい龍に同情するカピバラでござる。
そして、小さな龍は雨を降らせることに成功し、作物は息を吹き返し、人々はたいそう喜んだそうです。雨が止んだあと小龍の身体が3つに裂かれ、言っていたとおりの場所に落ちていました。人々は泣きながら約束どおりに、龍の身体を3ヵ所に葬りました。その後、頭を納めた龍閣寺は龍角寺に、腹を納めた地蔵堂は龍腹寺に、尾を納めた大寺は龍尾寺に名を改め、今でも、人々は龍のために祈り続けているそうです。自分の命を懸けて、地元主体、住民中心の活動をしたこの小さな龍を、印旛沼の皆さんは長く愛して物語を語り継いできたのですね。
陸奥国八戸総鎮守 法霊山龗神社~身を投げた修験者が龍になり人々を救う
もともと八戸は稲作にあまり向いていない土地柄で、これまで何回も深刻な食糧問題(すなわち飢饉。八戸の方言で「ケガジ」といいます)が起き、そのたびに住民は懸命に生き抜いてきました。今でも田んぼのわきに大きな柿の木が植わっていることが多いのですけど、それは凶作に備えたリスク管理のためだと、カピバラの祖母が言ってましたよ。
そんな土地柄の八戸では、鎌倉時代初期にも日照り続きで農作物に深刻な被害が出て、飢饉が起きそうでした。そんな時、「法霊(ほうりょう)」という高い徳をもった霊験あらたかな山伏(やまぶし。「修験者〔しゅげんじゃ〕」とも呼ばれます)が、様々な土地で教えを説きながら東北方面へ北上してきました。この方は今の神奈川県小田原市で生まれ、熊野や京都などで修業をしていたのですけど、もともとご先祖様が八戸の人だったらしく、ゆかりの深い八戸にたどり着いたそう。法霊様は、ようやく収穫したほんの少しのお米も年貢として納めたり、生活に必要なものをお米と交換したりして自分たちで食べることもできず、さらなる不作で疲弊する住民たちに心を痛めます。そして住民たちにお願いされ、雨乞い祈祷を執り行うことにしました。この祈祷を行った場所は、田んぼに水をデリバリーするための溜池を守るため、池のほとりに建てられた産土神(うぶずながみ)のところだったようです。法霊様は寝食を忘れ、三日三晩に及ぶ祈祷を行ったのですが、雨を降らせることはできなかったのです。
このあとのことを、法霊山龗(ほうりょうさんおがみ)神社のホームページでは、「人々の落胆ぶりに心を痛めた法霊は、その身を生贄に三崎社内の池に身投げし、その功を得ようとしたところ、その池から龍に化身した法霊がたちまち天に昇り、にわかに暗雲立ち込め、恵の雨を降らせた」と説明しています1)。法霊様がわが身を投げ出して龍となり雨を恵んでくれたということに涙し感謝した住民たちは、法霊様をこの産土神に祀り法霊山龗神社としたのでした。
地域の再生のアイコンとしての龍
この2つの話の共通点は、①日照りで住民が困窮して、徳の高いお坊さんがいろいろ雨乞いをするんですけど成就しない、というコントロールできない自然の描写と、②それに対して雨乞いの主体が命を懸けて(わが身を差し出して)祈ることにより、龍が天に昇っていくというブレークスルーがあり雨が降る、③そして雨を降らせてくれた龍とそのきっかけとしての祈祷者とに住民が感謝する、という3点です。つまり人々の思いを背負い、復興がなされるそのきっかけが龍である地域の、再生の物語なんですね。地域住民がその恩恵を伝承し、地域の再生に貢献した龍を感謝の物語とともに、祈り、祀っているのです。
カピバラは文化人類学者ではないので、龍にまつわる地域の伝承をすべて分析できるわけでもなく、ほんの2事例の症例報告ですけど、全国にはほかにもたくさんこのような地域の再生のアイコンとしての龍伝説はあるんじゃないかなって思います。
龍の背に乗って届けに行こう
日本はこれまで激甚災害を何度も経験し、そのたびに復興を成し遂げてきました。この過程で、この国に住む人々は災害をわが事としてとらえること、被災地の苦難に共感すること、寄り添い必要な助けをすること、そしてそれを後世に語り継ぐことにより、防災の思想が社会システムに組み込まれてきました。災害が起きるたびに、わたしたちは苦しくつらい思いをしながらも、再生の物語を紡いできました。映画『シン・ゴジラ』で内閣総理大臣補佐官・赤坂秀樹さんが語った「スクラップ&ビルドでこの国はのし上がってきた。今度も立ち直れる」との台詞が、それを物語っています。
能登半島地震の発災直後から、全国の消防、警察、自衛隊、自治体の皆さま、DMATをはじめとする人命救助チーム、インフラ復旧のため国土交通省の皆さまや水道局の皆さまなど多様な支援アクターが、道路が寸断されている中、現地に駆けつけました。そして現在、医療職、介護職をはじめとする健康・生活支援アクターが生活の回復のために能登に集結しつつあります。今回も復興までにはある程度の時間を要するかもしれません。しかし、3.11の復興とその支援が今も継続しているように、今回も必要がある限り途切れることはないはずです。小さくとも確かな希望をもつことができる、その希望を積み重ねていくだろうこれからの能登が、人々の心から忘れられることはありません。
未来への信頼と希望を自らの背に載せて運ぶもの、再生の力の象徴が龍なのかなと思います。
1)陸奥国八戸総鎮守 法霊山龗神社ホームページ:龗神社の歴史起源のご説明に関して,〔https://www.ogami-jinja.jp/c/history〕(最終確認:2024年1月22日)
●参考文献
・(千葉県印旛郡)栄町ホームページ:龍角寺の「龍伝説」,〔https://www.town.sakae.chiba.jp/page/page001988.html〕(最終確認:2024年1月22日)
・陸奥国八戸総鎮守 法霊山龗神社ホームページ:龗神社の歴史起源のご説明に関して,〔https://www.ogami-jinja.jp/c/history〕(最終確認:2024年1月22日)