1997年に教員として聖路加看護大学(当時)に採用されてから、いくつの春を迎えたことだろうか。そして、2022年2月の今、次の春に向けて、新しい学期を迎える学生たちの顔を思い浮かべながら、新たに迎える新入生との出会いを心待ちにしながら、同僚と共によりよい学びの提供にむけてディスカッションする日々のなんと充実していることか。
しかし、看護教員として初めての春を迎えた時の私は、いまのような充実感とは程遠い感情に支配されていました。そんな当時の私に向けて、手紙を書きたいと思います。
新人看護教員の私へ
1997年は、あなたにとってとてもつらい1年でしたね。前年に、聖路加国際病院外科病棟から集中治療室に移動したばかりだったのに、母校の恩師から基礎看護学の教員にならないかとお声をかけていただき、心が揺らぎました。自分に教員としての適性があるのだろうかと自問自答し、散々悩んだ挙句、教員の道を選んではみたものの、勝手の違いに戸惑い、自身の選択が正しいとは思えない日々を過ごしていましたね。教育活動、研究活動、社会活動という3つの看護系教員としての役割のバランスが上手くとれず、いつも遅くまで仕事をしていて、「病院では夜勤があって肉体的にきつかったけど、今は精神的にきついなぁ」っていつも思っていることでしょう。
実習指導中、学生の担当していた患者さんが突然意識消失し、学生そっちのけでまるで病棟看護師のように対応してしまい、学生を放置してしまったことがありました。なかなか、臨床看護師としての自分が抜けなかったのだと思います。
後期に入った10月、初めて担当した講義は、「与薬」がテーマでした。図書館で借りられるすべての教科書の該当ページをコピーして読み、上の先生方にご指導いただき講義録を作成しましたね。当時主流だったOHPで教材をつくり、文献の表や図を切り貼りし紙媒体の資料を準備しました。中殿筋の位置や形態、静脈の走行を人体モデルで何度も確認し、妹を相手に90分の講義のリハーサルを何度も行って、教員として自信のない自分を奮い立たせるためにありったけの準備をしたことでしょう。
迎えた初講義の日、過緊張で教壇に立つと、80名の視線を一気に浴び、頭は真っ白。そのあとのことはほとんど記憶のない無我夢中の90分。終了時間の数分前に、何とか予定していた内容を話し終わり、「これで授業を終わります。質問はないですか。」という締めの言葉を言ったとき……沸き起こった拍手……80名の2年生は私の初講義に拍手をくれましたね。思いがけない出来事で、何が起こったのかすぐに把握できなかったのですが、新任教員の「初講義」に、学生たちがエールを送ってくれたのだと感じました。嬉しい気持ちがこみあげてきましたが、照れくさくて、その気持ちを伝えることも出来ずに教室をあとにしたこと、今でも覚えています 。初講義のあとの拍手、教員としてなんとかやっていけるかもしれない、と思えた出来事でしたね。
今、あのときのあなたに伝えたい。その後もつらい日々は続くけれど、“看護することの意味を伝えたい”、と誠意をもって取り組むことに間違いがないことを、それが看護教育にとって最も重要であることを。あなたが看護師として体験した多くの患者さんたちとのやり取り、嬉しい思いも、そうでない思いも、すべて含めて学生に看護の醍醐味として伝えたいと取り組み続けることが、つらい日々からの脱却の道であることを。
あなたが看護の何を伝えたいと思うのか、をしっかりと持ち実行していけば、真意は必ず伝わっており、いつかどこかで花を咲かせると思います。
おわりに
2022年、教材作成はPowerPointで行い、資料は印刷せずクラウドにアップし、授業をWebで行うことも珍しくありません。しかし、授業形態は変わっても学生に看護を伝えるという仕事は変わらず続いています。
「地図に残る仕事」というフレーズがありますが、看護職者を育てる仕事は、その究極の成果をすぐに感じることができません。けれど、卒業生が立派な看護実践者となっている姿を目にするとき、看護教員として何とも言えない嬉しい気持ちになります。初講義で私に拍手をくれた2年生もいまや、看護界の中核的存在です。
アムラー風のメイクで教室の一番後ろの席を陣取って、授業中も私語が絶えなかった面々、グループワークのディスカッションでは全く発言できなかった学生 、看護職として独り立ちできるのだろうか、とそんな彼らが当時とても心配でした。けれど、今の彼らは当時の私の想像を超えて非常にたくましく成長しています。そして、その姿から「学生は様々な可能性を秘めている」と教えてもらえることを、とても嬉しく思っています。