細菌感染症の治療には抗菌薬が欠かせません。昨今、多剤耐性菌が問題となっていますので、抗菌薬の適正使用はますます重要な課題となっています。第11回では、わが国の製薬メーカーが開発した多剤耐性結核菌に対する抗菌薬「デラマニド」を紹介しましたが、このような新規抗菌薬の開発もたいへん重要です。
日本で生まれた抗菌薬「セフィデロコル」
2024年6月、神戸で日本感染症学会と日本化学療法学会の合同学会が開催されまして、私も参加しました。感染症学会の会長は金沢医科大学の飯沼由嗣先生、化学療法学会のほうは長崎大学の迎寛先生でしたので、私は内心、今回の開催地は金沢でも長崎でも、どっちでもいいなあ、と思っていました(心の声「どちらでもおいしいものが食べられそう!」)。ところが「真ん中」で、ということで、神戸になったんだそうです。もちろん神戸も魅力的な都市ではありますが、私のうちから近すぎました・・・。
でもでも、たいへん勉強になる演題が目白押しで、3日間しっかり勉強させてもらいました。池上彰さんの特別講演を「かぶりつき」で聴けたのもよかったですが、抗菌薬関連で私がとくに注目したのは、わが国で新規開発された抗菌薬である「セフィデロコル」でした。
新たなクラスの抗菌薬が誕生
その前に、簡単に耐性菌のお話しをさせてください。英国のJ. O’Neillを座長とするグループがまとめた2016年の総説では、このまま耐性菌対策をなにもしないと、2050年には世界において耐性菌感染症で亡くなる人の数が癌で亡くなる人の数を超えると警告しています。米国CDCが多剤耐性菌のなかでとくに注目しているのが、彼らが “nightmare bacteria”(「悪夢の細菌」)と呼んで憚らない、カルバペネム耐性腸内細菌目細菌(CRE)です。こちらは、広域スペクトラム抗菌薬の代表で感染症治療の「最後の切り札」といっても過言ではない「カルバペネム系抗菌薬」が効かない多剤耐性菌なのです。
セフィデロコル(図1)の商品名は「フェトロージャ®」といいますが、この「フェト」は鉄から来ており、細菌が鉄を菌体内に取り込む鉄輸送系にセフィデロコル分子が乗っかって菌体に取り込まれるという、今までにない作用機序で効果を発揮することを象徴的に表しています。カルバペネム耐性菌の多くは、抗菌薬が菌の中に入ることをブロックすることで耐性を発揮するのですが、菌が必要な鉄を取り込む輸送系を利用してまんまと菌体内に入ることができるわけです。そのため、抗菌薬の系統としての基本骨格はセフェム系(セファロスポリン系)ですが、「シデロフォアセファロスポリン系」抗菌薬という新規クラスの抗菌薬であるとされます。
今回の感染症・化療学会のとあるシンポジウムでは、CREに使用できる抗菌薬をテーマに聴衆がスマホで参加する双方向型の議論が行われました。参加者には「積極的にセフィデロコルのような新薬を使おう」という人と、「将来さらに出てくる多剤耐性菌に備えて慎重に使おう」という人がいましたが、現状ではCREにそもそも使える薬が少ないので、私はたいへん有望だと感じました。
抗菌薬の開発には莫大なコストがかかる!
ご存じのように、新しいお薬を開発するためには、試験管での実験や動物実験だけでは十分でなく、ヒトに投与してその安全性・有効性を確認することが必須となります。これを「治験」というのですが、安全に治験を行うためにはかなりの費用がかかります。根拠は曖昧ですが、私が少し前に聞いた話では、治験において1人にかかるコストは少なくとも100万円以上だそうで、必要な患者さんの数は、既存薬と新薬の2群に分けるため2倍必要になりますので300人から500人。となると単純計算で十億円以上が必要になります。さらに、実際には治験に至る薬を開発するまでの経費も相当かかるはずです。
しかし、もともと抗菌薬は、たとえば生活習慣病(高血圧や脂質異常症など)に対するお薬のように、毎日続けて何年も服用するようなものではありません。さらに新規抗菌薬となりますと、「これは多剤耐性菌感染症だけに使おう」というように、適応症が狭くなってしまうことが多いので、大きな売り上げはますます期待できなくなります。さきほどの治験の話を考えると、100億円以上の売り上げがないと元が取れないわけですが、新規抗菌薬でそこまでの売り上げが期待できるかというと、正直厳しいと思います。
というわけで、おおむね2000年以降、国内外の大手製薬メーカーは抗菌薬開発グループを閉鎖あるいは縮小してしまったのです。しかしご存じのように、それ以前からさまざまな耐性菌が出現しており、われわれは限られた種類の抗菌薬でこれらに対抗しなければならなくなっています。そのような厳しい状況において、わが国の製薬メーカーから新規クラスの抗菌薬が発売されることになったのは、たいへん心強いことだと感じました。
抗菌薬開発の発展
欧米では新規抗菌薬の開発に国が補助金を与えるような「プッシュ型」支援や、新規抗菌薬を開発した製薬メーカーに対して、その会社が発売していて特許が切れそうな薬(抗菌薬にこだわりません)の独占期間を延長してあげるような「プル型」支援など、いろんな方法で抗菌薬の開発にインセンティブを与えており、製薬メーカーが新規抗菌薬を開発するモチベーションを高めるようにしています。
さらに、お薬の開発プロセスも最近はずいぶんと変わってきています。昔は製薬メーカーが自ら候補物質を開発していたわけですが、昨今はユニークな物質を開発するベンチャー企業が林立しており、そのなかで有望な物質が出てくると、大手製薬メーカーはその権利を買ったり、あるいはベンチャー企業ごと吸収合併してしまったりして、その後の開発を進めるようなプロセスを経ることも多くなっています。現時点で少なくとも10種類以上の有望な新規抗菌薬候補があるようです。
また、抗菌薬を分解することで耐性を発揮する耐性菌に対しては、その分解酵素の阻害薬を抗菌薬に配合する方法も有効なのですが、その「抗菌薬を分解する酵素の阻害薬」にも有望なものがいくつか開発されており、既存の抗菌薬と配合したお薬の治験も進められています。つまり、現在の状況はまったく悲観的というわけでもないようなのです。
もうひとつの課題「原薬の国内生産」
ただ、抗菌薬に関しては、もうひとつ深刻な問題があります。原薬の製造元が非常に限られているということです。忘れもしない2019年、とくに外科手術における術後感染症予防で標準的に用いられている、第一世代セフェム系抗菌薬であるセファゾリンが急に品薄になってしまいました。その原因は、原薬メーカーの一つである中国の会社が製造上のトラブルを起こし、その影響が世界的に波及したためでした。
かつては世界をリードしていた日本の抗菌薬開発
昔はわが国の製薬メーカーでも抗菌薬の開発・製造のリーディングカンパニーが多くありました。懇意にしていただいている北里大学大村智記念研究所の八木澤守正先生から、最近書かれた総説1)をご紹介いただいたのですが、そちらには国内の大学・研究所、あるいは製薬メーカーが新規開発した抗菌薬、抗真菌薬、抗ウイルス薬などがたくさん列挙されています。現在でも汎用されている抗菌薬としては、さきほど出てきたセファゾリン(藤沢薬品;現アステラス製薬)をはじめとしてとくにセフェム系・ペニシリン系、そしてマクロライドやアミノグリコシド、さらにフルオロキノロン(ニューキノロン)はわが国が世界をリードしていたといっても過言ではないと思います。
商品名を聞くとメーカー名が類推されるものも少なくありませんよ。たとえばタケスリン®(武田薬品工業:セフスロジン・発売中止)、シオマリン®(塩野義製薬:ラタモキセフ)、トミロン®(富山化学・現富士フイルム富山:セフテラムピボキシル)、メイセリン®(セフミノクス)・メイアクト®(セフジトレンピボキシル)(以上明治製菓・現Meiji Seikaファルマ)、などなど。これらのお薬は自分の会社の名前を看板として背負っているわけで、当時これらの抗菌薬を自社で開発したことを誇らしく思っていたのだなあと感じます。ところが、これらのお薬を一から国内で製造するにはコストがかかるため、生産拠点を海外に移転してしまい、現在、抗菌薬の原薬を国内生産しているところはほぼ皆無になってしまいました。
とろろ先生と抗生物質の思い出
ちょっと話は変わりますが、私が大学院に入ったときの研究テーマは、HIVを代表とするレトロウイルスが持っている「逆転写酵素」の酵素活性を高感度で測定する方法の開発でした。当時共同研究していた会社はお酒づくりを祖業とし、抗生物質などを製造している医薬品メーカーでした。抗生物質は、抗菌薬のうち真菌や放線菌などの微生物からつくられる薬剤のことです。
約30年前、私が大学院3年生のとき、静岡県にあるその会社の研究開発拠点に招かれて、その会社に所属する研究者を対象に講演をさせていただきました。軽い気持ちで引き受けたのですが、私が発表したあと矢継ぎ早に繰り出される厳しい質問にまったく答えることができず、自らの勉強不足をさらけ出し、泣きたくなるような惨状でした。もちろん研究者の方々は私をいじめるつもりは毛頭なく、純粋に知的好奇心から質問してくださっているわけなんですが、それに答えられない歯がゆさで、もうその場を逃げ出したい気持ちでした。
その会社の研究部長さんは優しい方で、あまりに凹んでいる私を見かねて、同じ敷地にある日本酒の製造工場を見せてくださいまして、できたての日本酒の試飲をすすめてくださいました。そのお酒、心に染み入るようにおいしかったです。またそのお隣では抗生物質の製造もやっていました。お酒の助けか、だんだん元気になってきましたので、こちらからお願いしてその製造プラントも見せていただくことができました。
抗生物質の製造はステンレスのタンクで微生物を培養し、抗生物質の基本骨格となる原料物質をその微生物に作らせるのですが、実はこれ、お酒の造り方とよく似ています。日本酒と抗生物質を同じ敷地で作っているということから、ノウハウも共用していることが想像されました。このように1990年代ではまだ、国内各所で抗生物質が一から生産されていたことが分かります。
抗生物質の国産化に向けた取り組み
図2は現在になって、再度抗生物質を国産化するために各社が努力をしている状況を伝えた新聞記事です。こちらにも紹介されていますが、2019年のセファゾリンだけではなく、わが国で使われている重要な医薬品の原料の多くは、国外の非常に限られた工場でのみ生産されており、その工場が事故を起こす、あるいは国際情勢の悪化などでそれらが輸入できなくなると、たちまち深刻な事態に陥るような産業構造になっているんです。そのような事態を防ぐため、わが国では2022年に「経済安全保障推進法」が施行され、セファゾリンのような医薬品を「特定重要物質」として指定し、国産化を推進するために製造設備の設置などにかかる費用を国が支援することが決まりました。
ただ、そうはいっても一度途絶えてしまった抗生物質をふたたび生産するとなると、設備だけではなくそのノウハウを知っている人が少なくなっているので、なかなかたいへんそうです。この記事では、まさに「昔取った杵柄(きねづか)」のごとく、以前に抗生物質の製造に携わっていたけれど今は別の仕事をしている人を再度召集してペニシリン系抗生物質の生産再開を進めている、というMeiji Seikaファルマの例や、セフェム系抗生物質の生産に関して新たな技術を開発し、より低コストで製造することを目指しているシオノギファーマの例を紹介しています。別の記事(図3)では、これらの会社に計約550億円を政府が補助するとともに、たとえ再生産に成功しても安い海外製の原薬に価格面で対抗できず再び撤退してしまうことを防ぐため、国産の原薬が継続して使われるための方策も検討していると紹介しています。
2019年のセファゾリンの事例では、術後感染症を予防する抗菌薬が枯渇してしまい、手術を延期した例もあったとされます。お薬が市場経済に左右されることは避けられないのですが、とくに抗菌薬は国際的な視点をもって、国が主導して戦略的に守っていっていただきたいと思います。
1)八木澤守正:Master’s Lectures 25 わが国の抗感染症薬開発史を辿る(後編).モダンメディア70 (6):164-171,栄研化学,2024