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『スローエシックスと看護のアート:ケアする倫理の物語』刊行記念座談会

『スローエシックスと看護のアート:ケアする倫理の物語』刊行記念座談会

2022.08.05NurSHARE編集部

『スローエシックスと看護のアート:ケアする倫理の物語』(南江堂)の刊行を記念し、翻訳者のお二人に「スローエシックス」とは何かや、本書を通して伝えたいことなどについて語っていただきました。
※この座談会は2022年5月23日に行われました。

参加者(サムネイル写真左から)
中村 充浩先生(東京有明医療大学 講師:司会)
小西恵美子先生(鹿児島大学 客員研究員)
宮内 信治先生(大分県立看護科学大学 准教授)

 

「スローエシックス」とは?

中村充浩先生(以下、中村):まずはじめに、「スローエシックス」とは何でしょうか。

小西恵美子先生(以下、小西):「スローエシックス」は、スロー(ゆっくり)とエシックス(倫理)を組み合わせて、できる限りゆっくりと考え、相手の人々や環境にも温かな眼差しを向けてケアを実践しましょう、という呼びかけの言葉です。今はスピードと効率の時代ですが、それでも、ケアの場では、人間的なよいことがたくさん行われていますね、と。例えば、これは日本の実話ですが、実習で受け持っていた患者さんが突然昏睡状態になり、学生が「自分の知識や技術では患者さんになにもできない」と、無力感にさいなまれたことがありました。担当教員がその時のできごとを学生と共にじっくりと振り返ってみました。すると学生は、「患者さんの回復を願い、祈り、患者さんの手足をひたすらさする」という、とても大切な看護をしていたと気づいたのです。まさにこれはスローエシックスだと思います。そのことを気づかせてくれた実習指導の先生も素晴らしい。

中村:なぜ今、スローエシックスなのでしょうか。

小西:この本の中で、著者 アン・ギャラガー先生は「忘れっぽさ」ということを書いています。人は簡単に忘れ、目新しいものに飛びつく。そのことに大いに問題意識を持たれたようです。生命倫理が台頭しはじめた頃、看護師たちはナイチンゲールの提唱した看護を批判しました。「よい女性であれ、医師の指示に従えなんて、そんな受け身的な看護は捨て去るべきだ」と。でも、ナイチンゲールはなぜ医師への服従を言ったのか? 当時の医療は感染症が大問題だった。看護は患者を守らねばならない、でも看護にはそのための学問基盤がなかった。しかし医師には細菌学の学問がある。医師に従わなくては患者を守ることはできない。その思いが服従という言葉に込められていました。
 ナイチンゲールは「知性ある服従(intellectual obedience)」という言葉を使っています。つまり、医師の指示にやみくもに従うのでなく、患者によいことかどうかをよく考えた上で、従うのだ、と。そこまで遡ると、決して受け身的な看護ではなかったのです。ナイチンゲールの言葉にはちゃんと根拠があって、その時代の科学の立場からの発言だった。でも、看護師たちは言葉の表面をとらえて、忘れっぽく、新しい生命倫理に飛びついてしまった。「スローエシックス」はそういうことに対する警鐘でもあります。ゆっくり考えましょう、そして昔から積み上げてきた学問にもう一度立ち戻りましょうと。この本はコロナの流行前に書かれた本ですが、コロナ禍の現在にも、ギャラガー先生の呼びかけは大事だと思います。

中村:今この時代だからこそ、スローエシックスに目を向けるべきということですね。

小西:スローエシックスは、いわゆる「ケアの倫理」や「ナラティブ倫理」のような理論とは異なります。『スローエシックスと看護のアート』はスローエシックスを構成する6つの枠組みについて、それぞれにぴったりの物語を通してエッセイのように書かれているのですが、かといって単なる文学作品ではなく、膨大な数の文献を通して科学的に考察されているのも特徴です。

中村:宮内先生のご専門は言語学ですが、看護に関する物語が多く書かれているこの本を翻訳するにあたって工夫されたことなどがあれば教えてください。

宮内信治先生(以下、宮内):私は看護学生に英語を教えていますが、自分は看護専門の人間ではないということを常に忘れないように心がけています。わかったふりをしても説得力もないし、嘘をつくことになります。けれど、私は看護師ではないからあなたたちのやっていることはわからない、というスタンスもとれない。できるなら看護のことも知った上で、こういうことなんじゃないのって言える程度のことは知識としてあったほうがいいし、そういう意味では、今回も看護について勉強しましたね。

小西:以前私が病院実習の担当教員をやっていた時にとても感心したのは、宮内先生などの基礎科目の先生方が病院実習の反省会に来られたんです。これこそ、『スローエシックスと看護のアート』にも書かれている、謙虚という徳だと思いました。そのとき、看護記録での主語が自分ではなくて患者であることに、「驚いた」「感激だ」って言っていましたね。そこに着目していることに、私も感激しました。

宮内:看護学生の海外研修の引率時に、病院や診療所のアポを自分で取って見学させてもらったこともありました。

中村:宮内先生の看護への興味、探究心が本書の翻訳に役立っているということですね。

宮内:今回『スローエシックスと看護のアート』を翻訳させてもらって、私の看護の知見がさらに広がりました。本書には、看護という学問の垣根を越えた、人文知というかヒューマニティにつながる内容が書かれていますので、そういう意味では、看護師に限定せず、たくさんの人に広く読んでもらえる本だと思いました。

『スローエシックスと看護のアート』翻訳者の小西先生(左)と宮内先生(右)
 

スローエシックスのキーワード:「物語」「持続可能性」

中村:本書は、細かい描写で印象深く描かれた物語を中心に構成されています。本書の特徴でもありますが、この構成にはどんな意図があるのでしょうか。

宮内:以前読んだ論文に、患者さんの語りをそのまま載せることによって、抽象化するよりも伝わらなかった何かが伝わるということが書いてありました。ある意味では抽象化するのも大事なのかもしれませんが、ありのままを伝えることによって、読み手を信用して解釈を任せるところから知見が発展する、想像の幅が広がるということがあるかもしれません。

小西:本書では物語だけを書くのではなく、ギャラガー先生がたくさんの文献を使っていろいろな見方をわかりやすく述べているので、偏らない公正な見方を読者に与えてくれているのも特徴ですね。

中村:ちょうど今、世界でSDGsが注目されていますが、本書の第5章でも、持続可能性について書かれていますね。

小西:この章の物語は獣医師の話でした。獣医師はある飼い犬に対して安楽死を選択します。獣医師にとってサービスを提供する対象は飼い犬なので、安楽死を終えた時点で獣医師の責任は果たされたと考えられるでしょう。しかし、獣医師は残された飼い主の老人はどうなるかというところまで心を配るんですよね。そして自分の獣医師としての業務範囲の限界を思い、町医者に飼い主の老人を往診するように連絡するわけです。これも持続可能性なんだなと考えさせられます。また、この章では看護師の持続可能性についても書かれています。自分を大事にしないと看護師を続けることはできない、看護師の自分自身のケアの重要性についても書かれています。臨床で実践している看護師さんはとても共感できるのではないでしょうか。看護でも持続可能性は大事な概念だと思います。

第15回日本看護倫理学会学術集会で先行販売されました。
 

翻訳書『スローエシックスと看護のアート』について

中村:なぜ『スローエシックスと看護のアート』という本を日本で翻訳出版しようと思われたのでしょうか。きっかけは何ですか。

小西:昔、ある研究のインタビューデータで、がんの告知を受けた患者さんが、自分の心が沈んでいた時に看護師が椅子をふたつ持ってきてくれて嬉しかったという語りがありました。そのことを西洋のある先生にお話ししたら、「椅子をふたつ持ってくるなんて看護師じゃなくたって誰だってできる」とおっしゃったんです。たしかに、椅子をふたつ持ってくることは誰にでもできることかもしれませんが。でもそこには、なぜ椅子がふたつかという文脈があった。

中村:似たエピソードが2章にもありましたね。

小西:2章のエピソードをギャラガー先生にお渡ししたら、そこから私が気づかなかったような、「和」とか、その看護師の高度な感受性とか、いろんな価値観でエピソードをとらえてくださっていました。ナースステーションに患者さんを入れるのって勇気がいりますよね。普段患者さんが入る場所ではないですし、安全面での問題も少なからずあります。けれども、エピソードに出てくる看護師は患者さんをナースステーションにお招きして無言のままお茶を共にする。この看護師のその感受性を西洋人のギャラガー先生は文学的にとらえるんですよね。翻訳しようと思ったのは、このようなギャラガー先生の物事のとらえ方、価値観に惹かれたからです。さらに、序章で描かれているギャラガー先生の貧しかった幼少期は、私自身の子ども時代に重なるところがあり、そういう面での共感もありました。

中村:完成した翻訳本を読んでみて感じたことなどはありますか。

宮内:この本は、難しい哲学とか倫理とかそういった類のものではなく、私が見聞きしたことはこうですよ、こういう文献があるよ、あなたはどう思う? という感じに、エッセイ風で書かれています。つまり、看護倫理の専門家でなくても読める内容だと思います。示せど教えず、ですね。原本でも平易な英語で書かれているにもかかわらず、内容は濃くて深い。これはギャラガー先生の文章力だと思います。さすがは「Nursing Ethics」*の編集長ですね。伝えたいことを押し付けるのではない文体だと思います。本当にいい本だと思いますね。

*1994年からイギリスで発行されている看護倫理に関する論文を掲載する学術誌

小西:いい本だなというのは、訳してみて改めて思いますね。翻訳者としてではなく、読者として日本語で読んでも、「ああ、いい本だ」って素直に思いました。例えば倫理の考え方などは本当にわかりやすく、物語を織り交ぜつつ解説してくれるので、教科書を読むよりもわかりやすいんじゃないかなと思います。

中村:各章に想像力を刺激する緻密な物語があり、その物語を不純物なく理解できるように言葉を紡いでくださっているので、そのあとのギャラガー先生の解説や考察がスーッと胸に落ちるように入ってきたという感じが、読んでいて印象的でした。

 

学生は頭の中で必死に考えている。スローが必要

中村:この本はどんな人に、どんなふうに読んでほしいですか。

小西:大学院生はもちろんですけれど、看護師長さんが読むと共感されると思います。ある病院では、患者さんが息を引き取ろうとする瞬間にスタッフナースが慌ててバタバタ走り回るんじゃなくて、そういう時ほど水を入れたコップを手に持つようにゆっくり歩きなさいっていうスローガンがあるそうです。例えば、そういうことをスタッフナースみんなに気づかせてくれるような師長さんに、ぜひ読んでもらいたいですね。
 それから、学生の実習指導者や教員にも読んでほしいです。実習指導者や教員は、学生をみているとついイライラしてしまいますよね。きついことを言っちゃいそうになる。私も初めての実習では、学生がぼーっと立っていると、「何ぼーっとしてるの!」と言っちゃっていました。しかし、そんなとき学生は頭の中でぐるぐると必死に考えている。それこそスローですよね。教員はイライラする必要なんかなくて、ゆったりと構えて、学生をサポートし包みこむことが必要で、この本を読むと、その必要性に気づかされます。

宮内:この本を手にとって家に帰ってゆっくり読んでほしいです。そういう時間を提供する機会になればうれしい。さっき小西先生が言われましたが、学生は黙ってじっとしているけども頭の中はぐるぐる回っているっていう意味では、人間って本と対話しているんですよね。だからそういう時間をこの本を通して持ってもらえたらなと思います。

中村:「自分のやりたい看護ってこんなんだったっけ」と疲弊している看護師さんにもぜひ読んでほしいですね。こんな素敵な看護が世の中にあるんだ、と、きっと救われた気持ちになれるはず。そして、それは決して本の中だけの夢物語ではなくて、実は自分もそんな看護をやっていたんだと気づくきっかけになるのではと思います。また、この本の物語や考え方を患者さんにも伝えられたら、患者さんもすごく救われた気持ちになるかもしれないですね。

小西:6章のラグナホンダの看護師たちの話ですね。ケアを拒否して周囲に猛烈な悪臭を発している患者さんの思いを大事にしながら、それでも、何とか清潔ケアをさせてもらおうと少しずつ歩み寄って譲歩しながら患者さんと交渉して、患者さんが尊厳を取り戻すエピソード。実は、日本の看護師は日常的にやっていますよね。

中村:やっていると思います。むしろ日本の看護師のほうが外国のナースに比べて得意ですよね。

小西:本当にそう思います。譲歩しながら、折り合いつけながらということを日本の看護師は日々やってるんですよね。だから共感するところが多いです。この本に。患者さんがこの話を読んでくれたら、自分たちの考えていることを書いてくれているって思うかもしれないですね。

『スローエシックスと看護のアート:ケアする倫理の物語』の表紙
Ann Gallagher 著,宮内信治・小西恵美子 訳,南江堂,2022年6月発売(商品ページ:https://www.nankodo.co.jp/g/g9784524232628/
 

これからの看護師・看護教育に期待すること

中村:本書の内容、スローエシックスの考え方を通して、看護師のみなさんに伝えたいことはありますか。

小西:医療は物語で、看護師はその物語の舞台にいると思うんです。患者さんにも物語があるし、看護師にも物語があり、おそらく医師にも物語がある。看護師はそれに生で触れることができる立場にいるので、心の余裕をちょっと持って、目の前の出来事をひとつの物語ととらえると、自分のつらさとかそういうことも、客観的にみられるのではないかと思います。そこで大事なのは、「なぜ」というクエスチョンマークを心の中に持つこと。そして、わからなかったら勇気を出して聞くこと。お医者さんは怖いです。だから看護師は「なぜ」と医師に言えず飲み込んでしまう。そういうことから看護師が道徳的苦悩(moral distress)に陥ったり、つらいから仕事を辞めたりすることにつながります。「なぜ」と思ったら医師に言えるようになっていただきたいなと思います。またそういう職場環境であってほしい。そういう教育を後輩の看護師たちにしてほしいです。

中村:そのような看護師を育てるためには、教育も重要ですね。

小西:ギャラガー先生の言葉を借りるなら、「忘れっぽさ」という言葉を心に留めてほしいですね。最近、ある資格を取るための必修科目が「看護倫理」ではなく、「医療倫理」に変わってしまいました。「看護倫理」という言葉を捨て去ろうとしている、危機的な状況だと思います。ある先生は、生命倫理で注目されるトピックを「ネオン倫理」とよびました。例えばベトナムのドクちゃん、ベトちゃんのような、マスコミで大々的に話題になるようなトピックです。それは生命倫理ではホットディスカッションかもしれません。看護師はそのディスカッションには加わらないけれど、ドクちゃん、ベトちゃんに笑いかける。そして彼らが看護師の顔を見て笑う。看護はそこを重視しているんですよね。本当に小さなことだけど、むしろそちらのほうが大きなことじゃないかと思います。それを私たちは忘れてはいけないし、看護はそういう大事な仕事をやっているんだという教育をもっとする必要があると思います。

中村:看護や看護倫理の価値に、もっと注目する必要がありそうですね。

小西:昔、アメリカの看護大学に留学したとき、薬理学の先生も看護師で、看護の視点で教えてくれるのでとても理解しやすくて感激しました。日本で看護師になったとき、病棟には病態生理などの本がいっぱいありましたが、医師が書いたものばかりで、例えば心雑音はなぜ発生するか、医師が書いた本は刺激伝導系の難しいところから入るんですよね。だけど、看護師が書いた本は看護の視点で大事なところを解説してくれているので、本当に理解しやすいです。そういう医学モデルじゃない看護の教育が大事だと思いますね。アメリカでやっていることが全部よいとはいいませんが、アメリカの看護教育は看護モデルで、すべて看護の先生がやっていました。何もかも看護師がやることもないと思いますが、やっぱり看護からブレちゃいけないと思いますね。看護というものに誇りを持ってブレないことが大事だと思います。

中村:われわれ看護師にとって重要なのは、看護であり看護倫理であるということを忘れてはいけないですね。看護や看護倫理の価値に気づくためにも、ぜひたくさんの人に『スローエシックスと看護のアート』を読んでいただきたいと改めて感じました。小西先生、宮内先生、本日は貴重なお話をありがとうございました。

小西 恵美子(こにし・えみこ)
長野県看護大学名誉教授、鹿児島大学医学部客員研究員。
主な著書・訳書:「看護倫理を考える言葉」(日本看護協会出版会,2018,単著)/「倫理的に考える医療の論点」(日本看護協会出版会,2018,共著)/「看護学テキストNiCE看護倫理―よい看護・よい看護師への道しるべ(改訂第3版)」(南江堂,2021,編・分担執筆)/「看護倫理を教える・学ぶ―倫理教育の視点と方法」(日本看護協会出版会,2007,監訳)。

宮内 信治(みやうち・しんじ)
神戸市外国語大学外国語学部英米学科を卒業。住友ゴム工業株式会社勤務の後、退職してワーキングホリデービザにてオーストラリアに滞在。帰国後、英国University of Birmingham, Master of Arts (Teaching English as a foreign/second language, Open Distance Course)を修了。学習塾勤務を経て、2004年に大分県立看護科学大学看護学部人間科学講座言語学研究室講師に着任、2006年より現職。趣味は、釣り、料理、読書。

中村 充浩(なかむら・みつひろ)
長野県看護大学看護学部卒業後、諏訪中央病院訪問看護ステーション、内科病棟、ICU病棟に勤務。2009年長野県看護大学を経て、2010年より東京有明医療大学看護学部。修士(看護学)。好物はとり肉料理。

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