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第10回:うさぎ包摂社会とうさぎプロフェッショナリズム

第10回:うさぎ包摂社会とうさぎプロフェッショナリズム

2023.01.27酒井 郁子(千葉大学大学院看護学研究院附属専門職連携教育研究センター センター長・教授)

 本年もどうぞよろしくお願いします。今年の干支はうさぎ、ということで、編集の S さんから、うさぎの話を書いてください、というリクエストをいただきました。うさぎのおとぎ話や神話、絵本っていっぱいあるんですね。いろいろ考えたのですが今回は、西洋のうさぎの話から考えたうさぎ包摂社会の模索、アジアのうさぎの話から考えたうさぎプロフェッショナリズムの話です。行けるところまで行ってみようと思います。

うさぎ包摂社会の模索

ピーターラビットの誕生は、アカデミアの非包摂性が背景?

 19世紀後半、女性が高等教育を受けることは一般的ではありませんでした。のちに『ピーターラビットのおはなし』を書くことになるビアトリクス・ポターは自宅で家庭教師による教育を受けました。ポターはスケッチを描くことが好きで、とくにキノコの観察研究で成果を出すようになりました。しかし学会で自分の研究を発表することはできませんでした。その当時、女性が学会に参加することは認められず、論文は植物園副園長が代理で読み上げたのだそうです(この時に性差別があったことを当該学会が認めて謝罪したのは50年後の1997年と言われています)。ポターはこの状況にたいへん傷つき研究をやめてしまいます。そのあとに親戚の子どもに送るために描いた物語が『ピーターラビットのおはなし』です。もしも学会の中に女性差別がなく、研究者として成功するキャリアを歩んでいたら、ピーターラビットという物語は誕生しなかったかもしれませんね。このような背景があるからでしょうか。ピーターラビットはかわいらしいというよりも、しっかり主張するちょっと皮肉屋に書かれているように思います。
 ポターはウォルト・ディズニーからアニメ化のオファーがあったとき、きっぱり断って、その後自社ブランドを立ち上げ、その収益を湖水地方の自然保護のため、ナショナル・トラストに寄付したそうです。

剣を持ち、しかし未来は花束にして

 さて、2018年に日本の複数の医学部の入試で性差別があったことが発覚し、そのあと改善のためのいろいろな取り組みが行われつつあることは皆さんの記憶に新しいと思います。ポターが生きた時代と変わらない女性への偏見が差別につながるっていう典型的な事例でした。海外ニュースでもかなり取り上げられていましたね。
 折しもその時わたしたち亥鼻 IPE 担当教員は、英国のレスターにいて、亥鼻 IPE スタートの時からお世話になっているレスター大学 IPE チームとのミーテイング中だったのですが、このニュースに対するレスター大学教員たちの剣幕は忘れられません。「なぜこのような差別を黙って見逃しているのか」「このような差別をそのままにする環境が医学部を含む IPE にとって隠れたカリキュラムとなり非効果的であることを認識しているのか?」と言われました。なんて言うの、彼女たちは戦い慣れているっていうか、剣の抜き方を知っている。黙っていたらその差別を認めたっていうことと同じなんだと再認識しましたね。未来のために権利を勝ち取るのはうさぎ当事者なんですけど、その勝負は公平なものでなくてはならない。それがうさぎ包摂社会の基盤となるのだと思います。

うさぎインクルージブな社会の模索

 さてうさぎが権利を勝ち取り、社会進出し、他の動物の多様性も認められている社会における、うさぎインクルージブな社会の模索を描いているのが、ディズニー・アニメの『ズートピア』だと思います。
 主人公はうさぎのジュディ・ホップス。田舎町の農家の娘である彼女は家族の反対を押し切り、長距離列車に乗って上京、っていうか上ズートピアし、夢を叶えて警察官になる。この導入部分の田舎の暮らし、都会に行くことを反対する両親や親戚、実家を後にして列車の乗り込む時に手を振って見送る家族の描写のところで、高校3年生のころの自分の経験とまるで同じだと、うっかり涙が出たカピバラでござった。
 わたしがルーラルエリアにある実家から千葉に出てきた時(ま、来てみたら千葉もけっこうなルーラルだったというのが誤算でした)、日本でも女性の高等教育への認識は低かったですね。高度経済成長期の終わり、バブルの前くらいのころです。女性は、専業主婦が人生のゴールとみなされていて、「クリスマスケーキ」とか、「寿退社」とか言われてました。昭和が終わり、平成を駆け抜け、令和の現在、ようやく女性が働き続けることは特別なことではなくなり、育休は両親が取れるようになったわけです。このプロセスでは、カピバラ世代も当事者として小さな声ではあったけれど発信してきたと思っています。

女性の結婚年齢をクリスマスケーキになぞらえて揶揄した表現。24日(24歳)のクリスマスイブにケーキをゲットするには事前予約をする。25日(25歳)のクリスマス当日は定価でケーキを買う。やがて翌26日(26歳)には値引きされ、27日(27歳)は…、という。そんな時代もありましたねえ。。。

 そんなことを思いながらズートピアを観たんですが、このストーリー、草食動物と肉食動物の対立および包摂性にまつわる光と影を誠実に描いていて、そこがすごくよかったです。
 一見、多様性が配慮され制度として包摂社会がつくられているように見える。けれど住民の心の中のステレオタイプな見方、偏見はなくなっていないみたい。このテーマ、現在いろんな地域、国でうさぎインクルージブな社会をつくっていこうとする時に出あう社会課題の一つですよね。うさぎインクルージブな社会の構築は、「あなたを私はこう理解したけど、これで合ってる?」「うさぎといってもいろんなうさぎがいるから、あなたといううさぎのこれまでとこれからはどんなふうなの?」とお互いに対話し確認し、その確認したことに基づいて、勇気をもって相手を信頼し続けるっていうことなんじゃないかなって思います。

アジアにおけるうさぎをめぐる医療プロフェッショナリズム

月のうさぎに薬をつくらせたわけ

 月にうさぎが住んでいて、そのうさぎは、月の女神さまを手伝って不老不死の薬をつくっている、というのは、インドから中国に伝わった神話です。薬を作るときに使うすり鉢とすりつぶすための棒を持ったうさぎが、中国経由で日本に伝わった時、なぜか日本人はこの棒を杵だと思ったらしいです。そして日本では月でうさぎが餅をついているということになったのでした。

 そもそも、インドから中国に伝わったお話では、天帝が貧しい老人に化けて地上に下りて、サル、カワウソ、ジャッカル、うさぎに、腹が減ったからなんか食べ物を持ってきてよってお願いしたら、サルもカワウソもジャッカルも自分の能力を生かして魚を採ってきたり、果物を採ってきたりするんだけど、うさぎは何のとりえもなく獲物を採ってこられないので、私を食べてくださいって老人が燃やしていた焚火の中に飛び込んだ。だけどその火はうさぎを焼くことはなく、お前の無私の心には感動したぞよって、ご褒美に月に送られ、天帝のための不老不死の薬をつくることになったっていう話です。なんじゃそれ? と思う読者も多いのではないでしょうか。カピバラは思いっきりなにそれ?? って思いました。
 しかし、この神話エピソードには重要なポイントがあります。天帝のための不老不死の薬をつくるには天帝の試験に合格する(つまり国家資格ね)ことが必要ってことです。むかしは薬って偉い人しか飲めなかったでしょう。その偉い人には常に暗殺のリスクがあった。薬と毒は基本、表裏一体なので、薬を扱う人って本当に信頼できる人じゃないといけない。で、うさぎの行動「自分の身を火の中に投げ出す」という、利他と言いますか自己犠牲をいとわないってところ、ここが天帝としては、「薬をつくるのはヨシ! おまえだっ!」ていう感じになったんでしょうね。

 現在の医療者の教育や実践においては自己犠牲の理念は否定されています。自分を犠牲にすることに価値をおいてしまったら医療者の働き方改革もできないしね。一方、援助の目的は、その人の幸せ(wellbeing)であるという意味での利他の態度は、患者/利用者中心性の根幹であり、医療、介護、保健にかかわる専門職に共通するプロフェッショナリズムの一つです。うさぎプロフェッショナリズムですね。

因幡の白うさぎはだいこくさまのEBPで助けられた

 因幡の白うさぎは、ワニをだまし、海面にずらりと並んだワニの背中をたどって向こうの岸まで渡ろうとするんですが、もうあと1頭のワニの背中を踏めば向こうの岸に到着というところで、だましていたことをワニにばらしてからかい、怒ったワニに皮を剥がれてしまいます。このうさぎ、ほんとにおっちょこちょいで、どっか考えが浅い(カピバラ個人的意見)。嫌いじゃないけど。

 だいこくさま(大国主命。読み=おおくにぬしのみこと)は良家のお育ちのいい末っ子で、お兄さんたちと、きれいな女性のいる隣村まで合コンに行こうとしている途中です。お兄さんたちはこの末っ子に自分たちの荷物も全部持たせて、自分たちだけ先に合コン会場に向かう途中で、この皮を剥がれたうさぎに出会います。うさぎが皮が剥けて痛いですと言うと、このお兄さんたちは、海水で洗って海風でよく乾かしたら治るよ、とテキトーなことを言います。まったくエビデンスに基づいていないし、患者中心性もない。
 うさぎは言うとおりにしたんですが、海水が乾いて傷がもっとひどくヒリヒリ痛み出し、泣いていました。そこに、だいこくさまが通りかかります。だいこくさまはそのうさぎを見てどうして泣いているのかわけを聞きました<アセスメント>。だいこくさまはそれを聞いてそのうさぎに言いました。「かわいそうに<苦痛への共感>、すぐに真水で体を洗い、それから蒲(がま)の花を摘んできて、その上に寝転ぶといい<EBPによる具体的なセルフケア方法の提示>。すっかり元の体に戻るだろう<ケア目標・期待される結果の説明>」。そう言われたうさぎは今度は川に浸かり、集めた蒲の花の上に静かに寝転びました。そうするとうさぎの体から毛が生えはじめ、すっかり元の白うさぎに戻りました。

蒲は、6~7月頃の花期に花粉を放出する前に摘み、新聞紙などの上で乾燥させれば、黄色の花粉が出てきて、容易に集めることができる。生薬(しょうやく)名を蒲黄(ほおう)と言う。蒲黄は日本の民間薬で、利尿薬や通経薬として滑石(かつせき)や芍薬(しゃくやく)、当帰(とうき)などと配合して内服し、また収攣性止血薬としてはそのまま傷口や火傷(やけど)に散布して用いられる。

 この神話は、うさぎの診療・ケアをめぐる大国主命の医療者としてのプロフェッショナリズムを示しているなあっていつも思います。どのような患者に対しても(たとえ浅はかでけがをした原因が自分の責めに帰す場合であっても)エビデンスに基づいた最新の知識と技術に基づいた最良の診療ケアを提供する、というプロフェッショナリズムです。
 余談ですけど、このお兄さんたちのアドバイス、褥瘡ケアにおける昭和の「聖なる牛(本連載第2回参照)」と似た内容ですよねえ。日光浴をして乾かしたり、イソジン(R)シュガーみたいなものを塗って浸出液をなくしたりしていたんですから。医療者にとっての継続学習は、そのまま患者さんへの診療ケアのアップデートと質の向上につながるというわけです。

* * *

 今回は西洋のうさぎとアジアのうさぎにまつわる話を書いてみました。牙も爪も鋭くはないけど、丈夫で繁殖力が強く、モフモフかわいい。速く走ることができ、跳躍でき、穴も掘れる。うさぎはかなり多機能でいろんなことを考えさせてくれます。うさぎにあやかって今年は元気よくホップ! ステップ!! ジャンプ!!! ですね。

参考文献
1)出雲大社ホームページ:いなばのしろうざぎ,https://izumooyashiro.or.jp/about/inaba,アクセス日:2023年1月18日

 

酒井 郁子

千葉大学大学院看護学研究院附属専門職連携教育研究センター センター長・教授

さかい・いくこ/千葉大学看護学部卒業後、千葉県千葉リハビリテーションセンター看護師、千葉県立衛生短期大学助手を経て、東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(保健学博士)。川崎市立看護短期大学助教授から、2000年に千葉大学大学院看護学研究科助教授、2007年同独立専攻看護システム管理学教授、2015年専門職連携教育研究センター センター長、2021年より高度実践看護学・特定看護学プログラムの担当となる。日本看護系学会協議会理事、看保連理事、日本保健医療福祉連携教育学会副理事長などを兼務。著書は『看護学テキストNiCEリハビリテーション看護』[編集]など多数。趣味は、読書、韓流、ジェフ千葉の応援、料理。

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