看護教育のための情報サイト NurSHARE つながる・はじまる・ひろがる

第28回:高貴なる者の誇り~平等主義の精神~

第28回:高貴なる者の誇り~平等主義の精神~

2025.04.24川瀬 貴之(千葉大学大学院社会科学研究院 教授)

 分配的正義の構想の中で、帰結論陣営のチャンピオンは功利主義であったが、義務論陣営代表には、前回解説したノージック的リバタリアニズムと並んで、平等主義がある。平等主義の主張のうち、「どのように分配するか」という問いへの答えは、シンプルに「等しく」となるので、多くの論争は「何を分配するか」という問いに費やされている1。「何の平等か」という問いに対して、「機会の平等」とか「結果の平等」とか、多種多様な主張がなされるが、そのような細かい理論は、次回以降にゆずり、今回は、そもそもなぜ平等が大切なのか、どのような文脈で平等が要求されるのかという、平等主義の精神について考えたい。

平等とは誇りを尊重することである

 反時代的王党派・貴族主義・ダンディズムの作家で、それゆえに教科書主義的な文学史からはほとんど忘れ去られた、バルベー・ドールヴィイ2の箴言に、次のようなものがある。

 「平等という、卑しい者たちの抱く幻影は、実際は、高貴な者の間にしか存在しない」彼らしい反民主主義的毒舌であるが、これを、現代のポリティカル・コレクトネスに則って再解釈すると、平等主義の精神や本質がどこにあるか、見えてくる。上記のように、平等主義の精緻な諸理論は、平等に分配すべきものとして、人生のチャンスとか、自立できる能力とか、生活の満足感とか、細かい主張を展開しているが、これらは、ある意味で平等主義の根底にあるものを見失わせる、ミスリーディングで些細なものである。

  今回取り上げたい、平等主義が根源的・本質的に分配したがっているものとは、尊厳・名誉・誇りである。それは、年収・学歴・職業・容姿とは別のもの、いわば身分に由来するものである。人間の合理的な選択の結果や功績に影響されず、安定的に保障され、容易には奪われることのないもの3である。

公職選挙・大学教員・国連総会~高貴で平等な者たちの例~

 たとえば、株主総会の投票権は、出資額に比例し、人間単位では平等ではないのに対し、現代日本の公職選挙の多くでは、1人1票の価値をできるだけ平等にしようと工夫されている4。株主総会は、出資という功績に基づいて会社を運営しようという制度だから、これはこれでよい。それに対して、公職選挙はどうだろうか。ここで分配されているのは、社会のかじ取りをする議決権であるが、実際には自分の1票が社会を左右する影響力などほぼ皆無であるにもかかわらず、依然として多くの者が選挙権を貴重なものと考えているのは、それが平等に分配しているものが、社会への影響力ではなく、納税額や性別や知能に関係なく尊重される誇り・名誉・身分だからである。

 さらに例を挙げよう。一部の大学教員の中には、絶えて久しい貴族文化の残滓があり、互いの領分(研究内容・教育方針・講座の運営など)の主権を絶対に尊重し、他の教員に対しては努めて口を出さず、給与や業務負担(学内行政に関わる各種委員・入試の作問や監督や採点など)も、個々の教員の功績や能力に関係なく、かなり平等に分配するという慣習がある。この良き伝統は、各学問分野に対する尊敬の念に支えられているところがある。(近年は、「選択と集中」の名の下に、一部の大学・学部・研究室に集中的に資金や人員を分配することで、効率的に顕著な成果を上げようという功利主義的で反平等主義的な政策が流行し、そのために教員間に不毛でみっともない資源の奪い合いが起きているのは嘆かわしいが、これは仕事の愚痴である。)

   また、国際連合の総会で、大国も小国も等しく一票を有するのは、主権国家の誇りを尊重するためであろう。現実的な問題に対処しようとする安全保障理事会では、理事国の構成やその票の重みに格差があるのに対し、総会が平等主義的であるのは、その意義が実質的問題への対処ではなく、象徴的な相互尊重の維持にあるからだろう。

 これらの例は、短期的な仕事の出来・不出来、領土の広さ、一時の興隆・衰退によらず、単に、人間である・国民である・○○大学の教員である・主権国家であるという、ただその一事を以って、高貴な者として尊重することが、平等主義の根底にあることを、よく示している。

平等はいつ要求されるのか

 多元主義的な私の正義観によれば、私たちは、単一の普遍的な正義原理を常に適用するのではなく、文脈や場面に応じて多様な原理を使い分けるべきである。試験においては、点数という「功績」に応じて、合格が分配されるべきだし、戦時において前線に資源が集中的に分配されるのは、その防衛「能力」が期待されてのことである。試験という文脈では「功績」に応じた分配、戦争においては「能力」に応じた分配が適切であるとして、「平等」な分配が適切になる文脈とは何かという問いに対する、今回の答えが、「名誉の尊重が重視される場面」ということになる。

***

 このような平等主義の精神を前提に、次回は、平等主義の理論をいくつか紹介したい。


1前回取り上げた「誰が分配すべきか」という問いについては、ジョン・ロールズやロナルド・ドゥオーキンのような現代正義論の平等主義者の多くは、福祉「国家」による、税と社会保障による財の再分配という方法を支持している。
2「罪の中の幸福」や「ドン・ファンの最も美しい恋」などで知られる19世紀フランスの作家。
3ただ、これは絶対に不可侵というわけではない。公職選挙法には、たとえば、実刑に処せられて刑期を満了していない者の公民権の停止の規定がある。
4参議院や米上院の選挙は、1票の格差に寛容だが、これは個人間の平等ではなく、地域間の平等を意識したものだろう。

川瀬 貴之

千葉大学大学院社会科学研究院 教授

かわせ・たかゆき/1982年生まれ。専門は、法哲学。京都大学法学部卒業、同大学院法学研究科法政理論専攻博士後期課程修了。博士(法学)。千葉大学医学部附属病院講師などを経て、2022年10月より現職。好きなことは、旅行、娘と遊ぶこと、講義。耽美的な文学・マンガ・音楽・絵画が大好きです。好きな言葉は、自己鍛錬、挑戦。縁の下の力持ちになることが理想。

フリーイラスト

登録可能数の上限を超えたため、お気に入りを登録できません。
他のコンテンツのお気に入りを解除した後、再度お試しください。